エスタシオン

野々峠ぽん

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一章

16,夜は更ける

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 気楽な寝巻に着替えたジューンは、窓に凭れて片膝を抱えていた。
 夜空には、真っ白い丸い月が浮かんでいる。
 あんな騒ぎがあったとは思えないほど、静かな夜だった。
 ジューンは、翠の宝玉をポンポンと宙に投げては受け止めて、物思いに耽っていた。

「その格好じゃ、冷えるぞ」
「ユーリ」

 寝室の扉を開け、同じく寝巻姿のユリウスが歩み寄ってくる。ジューンは顔を上げ、玉を守り袋に仕舞った。
 ジューンが自分の隣を叩くと、ユリウスもそこに腰を下ろした。
 ユリウスは、小脇に抱えていた赤い肩掛けを、ジューンの頭にぱふりと乗せる。

「わっ、ありがとう」
「どうした?」
「ううん、何も。ただ、今日は大変だったなーって」
「ああ……」

 心配そうなユリウスに、肩掛けを巻きながらジューンは笑って見せる。夫の気遣いと、肩かけの暖かさに気持ちが和らいだ。
 今朝には想像もしなかった、今日の日の顛末を言うと、ユリウスも思案気に頷いた。

「本当に、今日はめまぐるしかった。兄上の結婚式というだけで、緊張していた自分を笑いたいくらいだ」
「はは。あんなん、誰も予想できないよ。でも、みんな無事でよかったね。タイロスお義兄さまは、無事って言っていいのか、わかんないけどさ……」

 ジューンは、今夜のタイロスの、あまりにも平素とかけ離れた姿を思い浮かべた。
 巨大で、凶暴で、恐ろしく無感情に破壊を繰り返す姿――。
 あれは、タイロスに似た何かだと言われたら、そっちの方が信ぴょう性があるくらいだと、ジューンは思う。

「タイロスお義兄様、どうなっちゃうんだろう」
「……わからない。ともかく、兄上がああなった原因を、まず調べるのだろう。姉上は、魔法研究所で身柄を引き取るよう進言すると言っていたが……俺は、難しいと思う」
「なんで?」

 ジューンが尋ねる。ユリウスは、暗い顔をして答えた。

「兄上の生国、アテルはルス教への信仰心が篤いんだ。教会と対立している魔法研究所に、自分達の貴公子が検査されるなど認めるはずがない」
「じゃあ、お義兄さまは――」
「教会に、行かれることになるだろう」

 ユリウスは、抱えた膝に乗せた拳に力を込めた。
 「教会」という言葉を発するとき、その横顔が痛みに耐えるように強張ったのに、ジューンは気づいた。
 ジューンも含めて、殆どの咎者はルスの教会に対していい思いを持っていない。それでも、ユリウスの持つ教会への忌避感に比べたら、余程ましだった。
 ジューンは、ユリウスの手を取った。冷たい手を温めるように、ぎゅっと握りしめる。

「ジューン」
「ユーリ、大丈夫?」
「ああ。俺は平気だ」

 じっと目をのぞき込むジューンに、ユリウスは唇の端を少し持ち上げた。握った手を、やわらかく握り返される。
 気遣おうとして逆に気遣われてしまい、ジューンは眉を下げた。

(あたし、大丈夫って言わせたいんじゃないよ)

 ジューンは、性格なのかあまり悩まない。
 だから、悩むユリウスの気持ちがよくわからなかった。それで、彼が落ち込んだ時、かける言葉が見つからず、もどかしい思いをする。
 ジューンは、胸元のお守りを握りしめた。ユリウスが、自分にしてくれるように、すこしは出来たらいいのに。

(ま、がんばるしかないね)


 さっくりと切り替えて、ジューンは笑顔を作った。

「ところでさ。ユーリ、今日はありがとうね?」
「ん?」
「お守り。一緒に戻ろうって言ってくれて、嬉しかったよ」
「ああ……」

 ジューンは、彼のおかげで無事に戻ってきた守り袋を、目の前にずいと掲げてみせた。
 ユリウスは、はちみつ色の目を瞬かせて、首を横に振った。

「別に、大したことじゃない。大切なものなんだから当然だ」
「えーっ、違うよ! そりゃ、あたしにとってはそうだけどさ。他の人には、ただのぼろい袋じゃん」

 だから、あの場にいた兵士に頼もうなんて考えもしなかったのだ。唇を尖らせるジューンに、ユリウスは真っ直ぐな目で言った。

「違わない。ジューンの大切なものは、俺だって大切だ」

 ジューンは目を丸くした。
 ユリウスは、そっと手を伸べて、守り袋に触れる。指先が触れる瞬間、ジューンはすこし息をつめて、上目にユリウスを見た。

「よかったな。無事に戻ってきて」
「うんっ」

 穏やかに笑うユリウスに、ジューンは顔をほころばせた。胸の奥から、何かわくわくするような、温かな気もちが湧いてくる。

「ありがと、ユーリ!」
「わっ」

 ジューンは、ぼて! と頭をぶつけるようにユリウスの肩に凭れた。
 ユリウスはぎょっとしたが、よろけもせずジューンを受け止めた。愉快そうに喉の奥でくっくっと笑うジューンに、ユリウスは眉を八の字にする。

「こら、危ないだろ」
「なぁにが? 平気じゃん」
「まったく……」

 突拍子もない妻に、ユリウスは呆れ声をあげた。でも、そこには微笑の調子が残っている。
 調子に乗ったジューンは、よりぴったりとユリウスにくっつく。
 すると、ふわりと隣の体温が上がった気がした。急にぎくりと強張った肩に、ジューンはきょとんとする。

「ユーリ?」
「さ、寒いな」
「そう?」

 むしろ熱そうに見えたが、何故かつついてはいけない気がして、ジューンは黙った。
 ふと、窓ごしの月を見上げれば、かなり傾いている。
 体温の高いユリウスに凭れているうちに、ジューンは猛烈に眠くなってきた。

「眠いのか?」

 ユリウスに聞かれ、ほとんど夢うつつで頷く。

「すぐに寝たほうが良い。今朝も早かった」
「うん……」

 ジューンはユリウスに助けてもらい、どうにか布団に潜り込む。それから、すぐに寝てしまった。
 だから、ジューンは――ユリウスがしばらく眠らず、物憂げにベッドの縁に座っていたことなど、知る由もない。
 夜は、静かに更けて行った。


 翌朝早く、王太子が逝去なされたという報せが、ユリウスの宮に届いた。
 全身が裂ける、惨死であったという。


 
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