拝啓、259200秒後の君へ

野々峠ぽん

文字の大きさ
3 / 17
そもそもの話の章

(2)

しおりを挟む
 美術室準備室には、暗幕が引かれていた。
 天井にまで届くほど大きな棚に、ぎっしりと詰め込まれた画材や、絵の具の塗りこまれたキャンパスを、日光の毒から守る為なのか。それとも、その雑然とした室内の有様を、窓の外に見せつけて、周囲の顰蹙を買わない為なのか。どちらであっても、それ以外のどんな理由であっても、この部屋の主としては、全く構わなかった。
――とにかく絵が、自由に描けさえすればいい。
 だが、絵に関連するものに囲まれて、他人の目など関係のない環境ほど有難いものはなく、楽になれる場所はないとも感じていた。
 絵筆に乗せるのは、絵の具ではない。壁を覆うほど大きなキャンパスに塗りつけるのは、自分という人間性の中身だ。手探りの作業を、試行錯誤を他人の目にさらしたいとは思わない。そんなのは、恥だ。
 見せるのはいつも完全な、完成品でなければならない。

***


「不二磨さん、ちょっといいかな」

 光と星が弁当を抱えて廊下を歩いていると、背後から呼び止めるものがあった。振り返ってみれば、ハンサムで有名な上級生、佐伯悠馬サエキユウマが片手を上げながら、歩み寄ってくるところであった。
 彼の姿に、窓際に固まって話していた女性徒達が、色めき立った声を上げる。佐伯は甘いマスクもさながら、立ち居振舞いが洗練されており、歩いているだけで絵になっていた。俳優的な、華やかさのある青年である。
 佐伯は生徒会長をつとめており、星は生徒会に所属している。

「なんでしょう、佐伯先輩」
「昼休みにごめんね。昨日、作ってもらった資料のことなんだけど……」

 佐伯の伝えた用件は、今日締め切りの資料に、顧問が注意事項を書き足して欲しいといったので、昼休みも作業にこられないか、ということだった。
 真面目な星は、すぐにも生徒会室へ向かうと伝えかけて、躊躇う素振りを見せた。自分が行くと、必然的に一人になる光を気にしているようであった。

「星ちゃん、行っておいでよ」
「でも、光は私以外に友達いないでしょう。心配です」
「うぐっ」

 気遣わしげな眼差しが胸に刺さった。引っ込み思案なわけではないのだが、光はクラスメイトとは、未だにお昼を共にするまでの仲になっていない。特段気にしていなかったが、いざ指摘されてみると熱い汗が滲む事実であった。
 行くの行かないのと押し問答になっていると、やりとりを横から見ていた佐伯が、ぽんと一つ手を打った。

「なら、藤間さんも一緒に来るのはどうかな。お茶もあるから、お弁当もそこで食べられるし」
「えっ、いいんですか」
「それくらい、全然構わないよ。そもそも、俺のほうが昼休みに無理言ってるんだしね。俺と不二磨さん以外のメンバーはいないから、気兼ねはいらないよ」
「じゃあ、お邪魔します! やった、生徒会室って一回入ってみたかったんだ!」
「はは。普通の会議室だから、がっかりさせちゃうかも」

 ということで、皆で生徒会室に向かうことになった。
 先に印刷室に寄るという佐伯から鍵を預かり、二人で生徒会室へと歩いてゆく。午前の授業のことや、先ほどの佐伯の親切さなど、笑いながら喋っていたが、渡り廊下に差し掛かったころ、ふいに星が足を止めた。

「星ちゃん?」
「……いえ、なんでもないようです」

 緊張の面持ちで周囲を見回していた星は、小さく首を振ると、また歩みを再開した。光は、不思議に思って背後に目をやった。渡り廊下の入り口に、駆け去っていく黒い人影が見えた。

(あれって……)

 光が記憶を探ろうとしたとき、先を行く星に急かすように名を呼ばれる。光は、慌てて星の後を追った。


***

 生徒会室は佐伯のいっていた通り、普通の会議室であった。
 「会議室2」と札のかかったそこは、普通の教室よりやや手狭であり、黒板の替わりにホワイトボードが置かれていた。ごついファイルのぎっしりつまった鍵付きの本棚が二台、狭い部屋を威圧的に占領し、その隣には木製の古びた茶箪笥が置かれている。ぼろい会議机がコの字型に配置され、あちこちに所せましと資料やプリントが高く積み上げられていた。
 光は、佐伯に勧められたパイプ椅子に腰かけながら、漫画で培った「生徒会室」のイメージを彼方に葬り去った。

「なんかこう、真っ赤な絨毯とか、革張りのソファとか置いてあんのかと思ったよ」

 光が、室内をきょろきょろと見渡しながら言うと、星が呆れた顔をした。

「光は漫画の読みすぎですよ。生徒の模範となるべき生徒会が、そんな贅沢したら世論の袋叩きにあうに決まってます」
「でも、気持ちはわかるな。俺も、入った当初はイメージが崩れてがっかりしたよ。まあ、権力者の実態なんか、貧相なものってことだね」
「佐伯先輩まで」

 光のあけすけな落胆に、佐伯が笑いながら同調すると、星が意外そうに目を丸くした。

「ストイックな佐伯先輩も、豪華なお部屋に憧れたりしたんですね」
「不二磨さん、俺をなんだと思ってるの。普通に高二の男子らしく、俗な考えだって持つさ。だって、ご褒美もなしに他人に尽くすなんて、割に合わないって思わない?」
「またまた! 生徒会長なんて、モロに滅私奉公じゃないですか」

 肩をすくめて、大げさに嘆いて見せる佐伯に、おかしくなって光が突っ込んだ。すると、組み合わせた長い指の上から、どきりとするような視線を投げかけられる。光は思わず、唾を飲んだ。

「それがそうでもないんだよ、藤間さん」

 佐伯は一度にっこりとほほ笑んで、次の瞬間にはその気配は消え去っていた。光は、妙に落ち着かない心地がして、何度か座りなおす。

「時間がなくなりますから、そろそろお弁当を食べましょう。私、お茶をいれます」
「お、そうだね。藤間さん、お茶は生徒会に許された唯一の嗜好品なんだ。色々あるから、好きなのを選ぶといいよ」
「あ、ありがとうございます」

 壁時計を見上げた星が、雑談に区切りをつけ、立ち上がる。佐伯が、机の上からプリントを避けて、お弁当を広げるスペースを作りながら、光に笑いかけた。
 光も何か手伝いをするべく、三人分のコップを用意している星のほうへと駆け寄った。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...