拝啓、259200秒後の君へ

野々峠ぽん

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そもそもの話の章

(2)

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 美術室準備室には、暗幕が引かれていた。
 天井にまで届くほど大きな棚に、ぎっしりと詰め込まれた画材や、絵の具の塗りこまれたキャンパスを、日光の毒から守る為なのか。それとも、その雑然とした室内の有様を、窓の外に見せつけて、周囲の顰蹙を買わない為なのか。どちらであっても、それ以外のどんな理由であっても、この部屋の主としては、全く構わなかった。
――とにかく絵が、自由に描けさえすればいい。
 だが、絵に関連するものに囲まれて、他人の目など関係のない環境ほど有難いものはなく、楽になれる場所はないとも感じていた。
 絵筆に乗せるのは、絵の具ではない。壁を覆うほど大きなキャンパスに塗りつけるのは、自分という人間性の中身だ。手探りの作業を、試行錯誤を他人の目にさらしたいとは思わない。そんなのは、恥だ。
 見せるのはいつも完全な、完成品でなければならない。

***


「不二磨さん、ちょっといいかな」

 光と星が弁当を抱えて廊下を歩いていると、背後から呼び止めるものがあった。振り返ってみれば、ハンサムで有名な上級生、佐伯悠馬サエキユウマが片手を上げながら、歩み寄ってくるところであった。
 彼の姿に、窓際に固まって話していた女性徒達が、色めき立った声を上げる。佐伯は甘いマスクもさながら、立ち居振舞いが洗練されており、歩いているだけで絵になっていた。俳優的な、華やかさのある青年である。
 佐伯は生徒会長をつとめており、星は生徒会に所属している。

「なんでしょう、佐伯先輩」
「昼休みにごめんね。昨日、作ってもらった資料のことなんだけど……」

 佐伯の伝えた用件は、今日締め切りの資料に、顧問が注意事項を書き足して欲しいといったので、昼休みも作業にこられないか、ということだった。
 真面目な星は、すぐにも生徒会室へ向かうと伝えかけて、躊躇う素振りを見せた。自分が行くと、必然的に一人になる光を気にしているようであった。

「星ちゃん、行っておいでよ」
「でも、光は私以外に友達いないでしょう。心配です」
「うぐっ」

 気遣わしげな眼差しが胸に刺さった。引っ込み思案なわけではないのだが、光はクラスメイトとは、未だにお昼を共にするまでの仲になっていない。特段気にしていなかったが、いざ指摘されてみると熱い汗が滲む事実であった。
 行くの行かないのと押し問答になっていると、やりとりを横から見ていた佐伯が、ぽんと一つ手を打った。

「なら、藤間さんも一緒に来るのはどうかな。お茶もあるから、お弁当もそこで食べられるし」
「えっ、いいんですか」
「それくらい、全然構わないよ。そもそも、俺のほうが昼休みに無理言ってるんだしね。俺と不二磨さん以外のメンバーはいないから、気兼ねはいらないよ」
「じゃあ、お邪魔します! やった、生徒会室って一回入ってみたかったんだ!」
「はは。普通の会議室だから、がっかりさせちゃうかも」

 ということで、皆で生徒会室に向かうことになった。
 先に印刷室に寄るという佐伯から鍵を預かり、二人で生徒会室へと歩いてゆく。午前の授業のことや、先ほどの佐伯の親切さなど、笑いながら喋っていたが、渡り廊下に差し掛かったころ、ふいに星が足を止めた。

「星ちゃん?」
「……いえ、なんでもないようです」

 緊張の面持ちで周囲を見回していた星は、小さく首を振ると、また歩みを再開した。光は、不思議に思って背後に目をやった。渡り廊下の入り口に、駆け去っていく黒い人影が見えた。

(あれって……)

 光が記憶を探ろうとしたとき、先を行く星に急かすように名を呼ばれる。光は、慌てて星の後を追った。


***

 生徒会室は佐伯のいっていた通り、普通の会議室であった。
 「会議室2」と札のかかったそこは、普通の教室よりやや手狭であり、黒板の替わりにホワイトボードが置かれていた。ごついファイルのぎっしりつまった鍵付きの本棚が二台、狭い部屋を威圧的に占領し、その隣には木製の古びた茶箪笥が置かれている。ぼろい会議机がコの字型に配置され、あちこちに所せましと資料やプリントが高く積み上げられていた。
 光は、佐伯に勧められたパイプ椅子に腰かけながら、漫画で培った「生徒会室」のイメージを彼方に葬り去った。

「なんかこう、真っ赤な絨毯とか、革張りのソファとか置いてあんのかと思ったよ」

 光が、室内をきょろきょろと見渡しながら言うと、星が呆れた顔をした。

「光は漫画の読みすぎですよ。生徒の模範となるべき生徒会が、そんな贅沢したら世論の袋叩きにあうに決まってます」
「でも、気持ちはわかるな。俺も、入った当初はイメージが崩れてがっかりしたよ。まあ、権力者の実態なんか、貧相なものってことだね」
「佐伯先輩まで」

 光のあけすけな落胆に、佐伯が笑いながら同調すると、星が意外そうに目を丸くした。

「ストイックな佐伯先輩も、豪華なお部屋に憧れたりしたんですね」
「不二磨さん、俺をなんだと思ってるの。普通に高二の男子らしく、俗な考えだって持つさ。だって、ご褒美もなしに他人に尽くすなんて、割に合わないって思わない?」
「またまた! 生徒会長なんて、モロに滅私奉公じゃないですか」

 肩をすくめて、大げさに嘆いて見せる佐伯に、おかしくなって光が突っ込んだ。すると、組み合わせた長い指の上から、どきりとするような視線を投げかけられる。光は思わず、唾を飲んだ。

「それがそうでもないんだよ、藤間さん」

 佐伯は一度にっこりとほほ笑んで、次の瞬間にはその気配は消え去っていた。光は、妙に落ち着かない心地がして、何度か座りなおす。

「時間がなくなりますから、そろそろお弁当を食べましょう。私、お茶をいれます」
「お、そうだね。藤間さん、お茶は生徒会に許された唯一の嗜好品なんだ。色々あるから、好きなのを選ぶといいよ」
「あ、ありがとうございます」

 壁時計を見上げた星が、雑談に区切りをつけ、立ち上がる。佐伯が、机の上からプリントを避けて、お弁当を広げるスペースを作りながら、光に笑いかけた。
 光も何か手伝いをするべく、三人分のコップを用意している星のほうへと駆け寄った。

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