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そもそもの話の章
(3)
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昼食を済ませた後、役員二人はさっそく作業に取り掛かった。
光も、一宿一飯の恩ではないが、ほうじ茶と場所代がわりに簡単な手伝いをした。三人で黙々と作業をしたおかげか、昼休み終了のチャイムが鳴るころには、資料は完成した。
「あとは、細かいチェックを終えたら、印刷して冊子にするだけですね」
「よかった。このペースなら、今日中に提出できそうだね」
佐伯は上機嫌に言った。星も、ほっとした表情で頷く。
「不二磨さん、昼休みにありがとう。藤間さんも、役員じゃないのに、手伝ってくれてありがとうね。助かったよ」
「い、いやあ、そんな! たいしたことじゃないですよ」
華やかな笑顔を向けられて、光はたじろいだ。星も、慌てる光を見て微笑んでいた。
「そんな、謙遜しなくてもいいでしょうに。佐伯先輩、私のほうこそ、お昼休みに時間を取って頂いて、ありがとうございました」
「いえいえ。不二磨さんも、真面目だなあ」
折り目正しく頭を下げる星に、今度は佐伯が苦笑する。
呆れたような口調だが、生真面目な後輩をあたたかく見守っているのが、視線から見て取れた。
(星ちゃん、生徒会なんて大変そうだなって思ってたけど……いい先輩がいるんだね)
光は、二人の様子を眺めながら、ほんわりと胸が温かくなる。
星は、光にとって大切な親友だ。いつも自分を後回しにして、光のことを心配してくれる。光は、星にだって、高校では楽しい思いを沢山してほしいと思っているのだ。
***
雨が降っている。
白く曇った窓には、ひっきりなしに雨が打ち付けていた。その名残のように浮かんだ銀の水滴に、外の景色が逆様に映っている。窓一面に、無数に浮かぶ校舎が、降り続く雨に弾かれて、ころころと滑り落ちていった。
指先で行方をなぞれば、キュッと鋭い音が立つ。一文字に残った指の跡の分、曇りの晴れた窓からは、本当の景色が覗いた。
――なんか、ウソみたいだ。
冷たく湿った指を、手の中に握りこむ。
しばらくすると、周囲に追いつこうとするように、透明の亀裂がまた白く染まっていった。
ふと、自分を呼ぶ声が聞こえて、窓に背を向ける。
そちらに向かって歩き出してからは、もう振り返ることはなかった。
***
午後の授業を終えて、光は帰り支度を済ませると、さっさと教室を後にした。今週は、どの掃除当番も当たっていないので、すぐに部活に行くことができる。光は、鼻歌交じりに廊下を歩いた。
北側の渡り廊下を通り、中庭を経由していつもの教室棟と違う棟へ出ると、全く生徒の姿が見えなくなる。放課後、この静まり返った廊下を歩くときに、いつも光は少しの緊張と、わくわくする気持ちの両方を感じた。
(先輩、もう来てるかな)
やがて、廊下の突き当りの「美術室」と札のかかった教室に到着した。
光は、ぴっちり閉まった引き戸の前に立つと、スマホを取り出す。アプリを起動し、身だしなみをささっと整えた。一呼吸して、いよいよ戸に手をかけた。
「こんにちはー」
美術室は、しんと静まり返っていた。
黒いカーテンが引かれたままで、全体的に薄暗い。光は、電気をつける。ぱっと明るくなった室内を、隅まで見渡したが、無人であった。
少しがっかりしたが、気を取り直して自分の定位置の席に鞄を置いた。
「仕方ない。先になんか描いてよう。そのほうが真面目に見えるかもしれんし……」
美術室には、独特の湿気と、絵の具の匂いが充満していた。中学の頃までは、好きでも嫌いでもなかったが、今は嗅いでいるだけで、心がときめいた。
教室の後ろにある棚から、自分のスケッチブックと、適当な瓶を二本掴み、途中でそれらをセットする椅子も拝借する。今日の画題は、「椅子の上にある瓶」というところだろう。
画題を並べ、席に戻ってスケッチブックを開いたところで、コトリ、と物音がした。黒板の方面から鳴ったようであった。光は、黒板の隣にある扉――自分が入ってきた戸とは逆の、窓側にあるそれを見た。
それは、美術準備室の扉であった。
(もしかして、先輩が中にいたりして!)
光は鉛筆を放り出すと、期待に胸を高鳴らせながら、そちらへ近づいた。
ドアノブにそっと手をかけた――そのとき。
――バン!
ものすごい音とともに、すぐ横の窓が揺れた。
「ぎゃっ!?」
光は驚愕して、飛び上がった。窓が叩かれたのだ、と気づいた瞬間、二度目がやってきた。
(う、うわーー! 何!? こわいんですけど!!)
光は、唐突な窓への強襲に、恐怖を覚え後じさった。その間も、窓は叩かれ続けている。
何が何だかわからないが、逃げるべきか。
そう思ったとき、窓の向こうから、声が聞こえた。
「おい! ちょっと早く開けてくれ!」
その声にハッとして、光はカーテンを開くと、勢いよく窓を開けた。
「よっくん?!」
「よう、光」
そこには、雨に濡れた前髪を乱暴にかき上げながら、藤間陽が人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。
光も、一宿一飯の恩ではないが、ほうじ茶と場所代がわりに簡単な手伝いをした。三人で黙々と作業をしたおかげか、昼休み終了のチャイムが鳴るころには、資料は完成した。
「あとは、細かいチェックを終えたら、印刷して冊子にするだけですね」
「よかった。このペースなら、今日中に提出できそうだね」
佐伯は上機嫌に言った。星も、ほっとした表情で頷く。
「不二磨さん、昼休みにありがとう。藤間さんも、役員じゃないのに、手伝ってくれてありがとうね。助かったよ」
「い、いやあ、そんな! たいしたことじゃないですよ」
華やかな笑顔を向けられて、光はたじろいだ。星も、慌てる光を見て微笑んでいた。
「そんな、謙遜しなくてもいいでしょうに。佐伯先輩、私のほうこそ、お昼休みに時間を取って頂いて、ありがとうございました」
「いえいえ。不二磨さんも、真面目だなあ」
折り目正しく頭を下げる星に、今度は佐伯が苦笑する。
呆れたような口調だが、生真面目な後輩をあたたかく見守っているのが、視線から見て取れた。
(星ちゃん、生徒会なんて大変そうだなって思ってたけど……いい先輩がいるんだね)
光は、二人の様子を眺めながら、ほんわりと胸が温かくなる。
星は、光にとって大切な親友だ。いつも自分を後回しにして、光のことを心配してくれる。光は、星にだって、高校では楽しい思いを沢山してほしいと思っているのだ。
***
雨が降っている。
白く曇った窓には、ひっきりなしに雨が打ち付けていた。その名残のように浮かんだ銀の水滴に、外の景色が逆様に映っている。窓一面に、無数に浮かぶ校舎が、降り続く雨に弾かれて、ころころと滑り落ちていった。
指先で行方をなぞれば、キュッと鋭い音が立つ。一文字に残った指の跡の分、曇りの晴れた窓からは、本当の景色が覗いた。
――なんか、ウソみたいだ。
冷たく湿った指を、手の中に握りこむ。
しばらくすると、周囲に追いつこうとするように、透明の亀裂がまた白く染まっていった。
ふと、自分を呼ぶ声が聞こえて、窓に背を向ける。
そちらに向かって歩き出してからは、もう振り返ることはなかった。
***
午後の授業を終えて、光は帰り支度を済ませると、さっさと教室を後にした。今週は、どの掃除当番も当たっていないので、すぐに部活に行くことができる。光は、鼻歌交じりに廊下を歩いた。
北側の渡り廊下を通り、中庭を経由していつもの教室棟と違う棟へ出ると、全く生徒の姿が見えなくなる。放課後、この静まり返った廊下を歩くときに、いつも光は少しの緊張と、わくわくする気持ちの両方を感じた。
(先輩、もう来てるかな)
やがて、廊下の突き当りの「美術室」と札のかかった教室に到着した。
光は、ぴっちり閉まった引き戸の前に立つと、スマホを取り出す。アプリを起動し、身だしなみをささっと整えた。一呼吸して、いよいよ戸に手をかけた。
「こんにちはー」
美術室は、しんと静まり返っていた。
黒いカーテンが引かれたままで、全体的に薄暗い。光は、電気をつける。ぱっと明るくなった室内を、隅まで見渡したが、無人であった。
少しがっかりしたが、気を取り直して自分の定位置の席に鞄を置いた。
「仕方ない。先になんか描いてよう。そのほうが真面目に見えるかもしれんし……」
美術室には、独特の湿気と、絵の具の匂いが充満していた。中学の頃までは、好きでも嫌いでもなかったが、今は嗅いでいるだけで、心がときめいた。
教室の後ろにある棚から、自分のスケッチブックと、適当な瓶を二本掴み、途中でそれらをセットする椅子も拝借する。今日の画題は、「椅子の上にある瓶」というところだろう。
画題を並べ、席に戻ってスケッチブックを開いたところで、コトリ、と物音がした。黒板の方面から鳴ったようであった。光は、黒板の隣にある扉――自分が入ってきた戸とは逆の、窓側にあるそれを見た。
それは、美術準備室の扉であった。
(もしかして、先輩が中にいたりして!)
光は鉛筆を放り出すと、期待に胸を高鳴らせながら、そちらへ近づいた。
ドアノブにそっと手をかけた――そのとき。
――バン!
ものすごい音とともに、すぐ横の窓が揺れた。
「ぎゃっ!?」
光は驚愕して、飛び上がった。窓が叩かれたのだ、と気づいた瞬間、二度目がやってきた。
(う、うわーー! 何!? こわいんですけど!!)
光は、唐突な窓への強襲に、恐怖を覚え後じさった。その間も、窓は叩かれ続けている。
何が何だかわからないが、逃げるべきか。
そう思ったとき、窓の向こうから、声が聞こえた。
「おい! ちょっと早く開けてくれ!」
その声にハッとして、光はカーテンを開くと、勢いよく窓を開けた。
「よっくん?!」
「よう、光」
そこには、雨に濡れた前髪を乱暴にかき上げながら、藤間陽が人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。
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