拝啓、259200秒後の君へ

野々峠ぽん

文字の大きさ
9 / 17
そもそもの話の章

(8)

しおりを挟む
 冨嶋螢は、椅子に埋まりそうなほど小さくなって座っていた。

「本当にドジだな~。扉開けずに入ろうとするなんて」

 日香里にけらけら笑われて、螢は恥ずかしそうに俯いた。その拍子に、綺麗に切り揃えられた前髪が、ぱらりと揺れる。その隙間から一瞬覗いた額が、少し赤くなっていた。
 先ほどの怪音の正体は、螢であった。
 本人が言うには、入室を急ぐあまり戸を開けるのを忘れ、扉と正面衝突したのだそうだ。
 怪奇現象でなかったのは良かったが、確かにすごいドジだと光も思った。
 今は、「一応、頭冷やすものを取りに行くわ」と、森住だけ外に出ている。

「ひかりちゃん、笑うなんてひどいよ。痛かったんだから」
「ごめんごめん、大丈夫か? ああ、かわいそうになあ」

 甘ったれた口調で文句を言う螢に、日香里が喉の奥では笑いながら謝った。よしよしと、つやつやのおかっぱ頭を撫でてやっている。螢は、むくれた顔をして見せているが、構われて嬉しいと、頬の赤さから丸わかりだ。

「あれ、なんか頭しっとりしてる。外に出てたのか?」
「だって、写真撮ってたんだもん」
「風邪ひくじゃんか。光ー、悪いんだけど、オレの鞄からお茶取ってもらえない?」
「はーい、わかりました」

 ぱたぱたと水筒を持っていくと、日香里のシャツの裾を握っている螢にじっとりとした目で睨まれて、ぎくりとする。日香里は何も気づかずに、朗らかに礼を言い受け取った。

(うひゃあ……冨嶋先輩、今日も絶好調に冬ちゃん先輩ラブだ)

 二年の冨嶋螢は、日香里の幼馴染だ。二人は姉弟の様に仲が良く、特に螢は日香里に”べったり”と言ってよかった。それが恋愛感情かは知らないが、とにかく「ぼくは、ひかりちゃんの側にいたくてたまりません!」と顔に描いてあるのだ。
 螢は、よく美術室に訪ねてくる為、もちろん光とも面識はあった。普段の彼は、繊細な顔立ちに似合った大人しい少年だ。しかし、日香里といる時間に割りこむと、それはもう不機嫌になるので注意が必要だった。

(やっぱ、わたしも森住先輩についていくんだったよ~)

 光は、トホホと肩を落とした。
 螢の持つコップからは、もわりと白い湯気とほうじ茶の芳しい香が立ち上っていた。そこから、何やら味覚以上の幸福を味わっている様子の彼に、触らぬ神にたたりなし、という言葉が脳裏によぎる光だった。


***


「ところでさ。そんな急いで来るなんて、なんかあったのか?」

 日香里が不思議そうに訊ねると、温かいお茶を貰ってご満悦の螢がはきはきと話し出す。

「えっと、それはね。どうしても相談したいことがあったんだ」
「相談って、写真の?」
「うん。あのね、まずこれを見てほしいんだけど……」

 螢が、胸に下げていたカメラを掲げた。日香里が身を屈めて、その手元をのぞき込んだ。それから、歓声をあげた。

「すごい、これ、超かっこいいじゃん」
「ほんと? ぼくもそれ、いちばん気に入ってるんだぁ。だから、コンテストに出したいと思ってるんだけど……だめかもしれなくて」

 螢は、嬉しそうに破願したが、話しながらすぐに意気消沈してしまった。
 その様子に、日香里は首を傾げる。

「駄目ってこたーないだろ。出した方がいいよ」
「それが……モデルの人に許可を貰えないんだ」
「なんでさ。もしかして、コンテストに出すつもりって、先に相談し忘れたとか」
「ええと、実は……初めからその子にモデルをお願いしたわけじゃなくて。たまたま、撮れたんだ。放課後、学校うろうろしてるときに居合わせて、思わずシャッターをね。だから……」
「じゃあ、そもそも撮る許可も取ってないのか! あー、なるほどなあ。そりゃ、ちょっと厳しいなあ」

 日香里は、難しい顔で腕を組んだ。螢は、がっくりと項垂れる。

「やっぱり、だめかなあ。でも、諦めきれなくて」
「気持ちはわかるけど、許可は欲しいと思う。事後承諾で、なんとかわかって貰えたらいいかもしれねーけど。その様子じゃ、話し合いも上手くいってないんだろ」
「ううう」

 螢は、悲痛な顔で呻いた。今にも泣きだしそうである。日香里も、少しかわいそうになったのか、声を和らげた。

「まあ、そう気を落とすなって。駄目でも、もっといい写真を撮るチャンスってことかもしれないし」
「わかってる。でもね、そう思って色々撮ってみてるんだけど、全然ピンと来ないんだ。それってたぶん、本当はあの写真がいいのに、自分に嘘をついてるから……」

 螢はそう言うと、日香里のシャツを握りしめて俯いてしまった。日香里は困り顔で、頬を掻いている。なんとかしてやりたい、そう思っているのが見て取れた。
 日香里はしばらく考え込んでいたが、ふいに光を振り返った。

「光、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「へっ?! なんですかっ?」

 光は、努めて空気でいたところに急に話を振られて、素っ頓狂な声を上げた。拍子に、手持無沙汰にやっていたスケッチの、瓶の輪郭が大きく歪んだ。
 話の流れは聞いていたが、まさか自分にその矛先が向いてくるとは思わない。
 無言で手招かれたので、慌てて駆け寄る。螢の反応が気になったが、落ち込んでいるらしく、小さくなったまま無反応だった。

「あのさ。光って、生徒会の不二磨星さんとは友達だったよな?」
「えっ、はい。幼馴染です」
「そうか! じゃあさ、さっきまでの話って、聞こえてた?」
「まあ、聞こえたというか、聞いてたというか」

 何故ここで、星の名前が出てくるのだろう。話の展開が読めず、うろたえつつ聞かれたことに答えると、日香里は顔を輝かせた。

「なら話が早い! あのさ、ちょっと、光にお願いがあるんだ」

 高い音を立てて、目前に両手を打ち鳴らした日香里が、がばりと頭を下げる。光はその勢いに若干たじろぎつつ、聞き返した。

「な、なんでしょうか?」

 その後、日香里が提案したことは光にとって予想外のことであった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...