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そもそもの話の章
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冨嶋螢は、椅子に埋まりそうなほど小さくなって座っていた。
「本当にドジだな~。扉開けずに入ろうとするなんて」
日香里にけらけら笑われて、螢は恥ずかしそうに俯いた。その拍子に、綺麗に切り揃えられた前髪が、ぱらりと揺れる。その隙間から一瞬覗いた額が、少し赤くなっていた。
先ほどの怪音の正体は、螢であった。
本人が言うには、入室を急ぐあまり戸を開けるのを忘れ、扉と正面衝突したのだそうだ。
怪奇現象でなかったのは良かったが、確かにすごいドジだと光も思った。
今は、「一応、頭冷やすものを取りに行くわ」と、森住だけ外に出ている。
「ひかりちゃん、笑うなんてひどいよ。痛かったんだから」
「ごめんごめん、大丈夫か? ああ、かわいそうになあ」
甘ったれた口調で文句を言う螢に、日香里が喉の奥では笑いながら謝った。よしよしと、つやつやのおかっぱ頭を撫でてやっている。螢は、むくれた顔をして見せているが、構われて嬉しいと、頬の赤さから丸わかりだ。
「あれ、なんか頭しっとりしてる。外に出てたのか?」
「だって、写真撮ってたんだもん」
「風邪ひくじゃんか。光ー、悪いんだけど、オレの鞄からお茶取ってもらえない?」
「はーい、わかりました」
ぱたぱたと水筒を持っていくと、日香里のシャツの裾を握っている螢にじっとりとした目で睨まれて、ぎくりとする。日香里は何も気づかずに、朗らかに礼を言い受け取った。
(うひゃあ……冨嶋先輩、今日も絶好調に冬ちゃん先輩ラブだ)
二年の冨嶋螢は、日香里の幼馴染だ。二人は姉弟の様に仲が良く、特に螢は日香里に”べったり”と言ってよかった。それが恋愛感情かは知らないが、とにかく「ぼくは、ひかりちゃんの側にいたくてたまりません!」と顔に描いてあるのだ。
螢は、よく美術室に訪ねてくる為、もちろん光とも面識はあった。普段の彼は、繊細な顔立ちに似合った大人しい少年だ。しかし、日香里といる時間に割りこむと、それはもう不機嫌になるので注意が必要だった。
(やっぱ、わたしも森住先輩についていくんだったよ~)
光は、トホホと肩を落とした。
螢の持つコップからは、もわりと白い湯気とほうじ茶の芳しい香が立ち上っていた。そこから、何やら味覚以上の幸福を味わっている様子の彼に、触らぬ神にたたりなし、という言葉が脳裏によぎる光だった。
***
「ところでさ。そんな急いで来るなんて、なんかあったのか?」
日香里が不思議そうに訊ねると、温かいお茶を貰ってご満悦の螢がはきはきと話し出す。
「えっと、それはね。どうしても相談したいことがあったんだ」
「相談って、写真の?」
「うん。あのね、まずこれを見てほしいんだけど……」
螢が、胸に下げていたカメラを掲げた。日香里が身を屈めて、その手元をのぞき込んだ。それから、歓声をあげた。
「すごい、これ、超かっこいいじゃん」
「ほんと? ぼくもそれ、いちばん気に入ってるんだぁ。だから、コンテストに出したいと思ってるんだけど……だめかもしれなくて」
螢は、嬉しそうに破願したが、話しながらすぐに意気消沈してしまった。
その様子に、日香里は首を傾げる。
「駄目ってこたーないだろ。出した方がいいよ」
「それが……モデルの人に許可を貰えないんだ」
「なんでさ。もしかして、コンテストに出すつもりって、先に相談し忘れたとか」
「ええと、実は……初めからその子にモデルをお願いしたわけじゃなくて。たまたま、撮れたんだ。放課後、学校うろうろしてるときに居合わせて、思わずシャッターをね。だから……」
「じゃあ、そもそも撮る許可も取ってないのか! あー、なるほどなあ。そりゃ、ちょっと厳しいなあ」
日香里は、難しい顔で腕を組んだ。螢は、がっくりと項垂れる。
「やっぱり、だめかなあ。でも、諦めきれなくて」
「気持ちはわかるけど、許可は欲しいと思う。事後承諾で、なんとかわかって貰えたらいいかもしれねーけど。その様子じゃ、話し合いも上手くいってないんだろ」
「ううう」
螢は、悲痛な顔で呻いた。今にも泣きだしそうである。日香里も、少しかわいそうになったのか、声を和らげた。
「まあ、そう気を落とすなって。駄目でも、もっといい写真を撮るチャンスってことかもしれないし」
「わかってる。でもね、そう思って色々撮ってみてるんだけど、全然ピンと来ないんだ。それってたぶん、本当はあの写真がいいのに、自分に嘘をついてるから……」
螢はそう言うと、日香里のシャツを握りしめて俯いてしまった。日香里は困り顔で、頬を掻いている。なんとかしてやりたい、そう思っているのが見て取れた。
日香里はしばらく考え込んでいたが、ふいに光を振り返った。
「光、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「へっ?! なんですかっ?」
光は、努めて空気でいたところに急に話を振られて、素っ頓狂な声を上げた。拍子に、手持無沙汰にやっていたスケッチの、瓶の輪郭が大きく歪んだ。
話の流れは聞いていたが、まさか自分にその矛先が向いてくるとは思わない。
無言で手招かれたので、慌てて駆け寄る。螢の反応が気になったが、落ち込んでいるらしく、小さくなったまま無反応だった。
「あのさ。光って、生徒会の不二磨星さんとは友達だったよな?」
「えっ、はい。幼馴染です」
「そうか! じゃあさ、さっきまでの話って、聞こえてた?」
「まあ、聞こえたというか、聞いてたというか」
何故ここで、星の名前が出てくるのだろう。話の展開が読めず、うろたえつつ聞かれたことに答えると、日香里は顔を輝かせた。
「なら話が早い! あのさ、ちょっと、光にお願いがあるんだ」
高い音を立てて、目前に両手を打ち鳴らした日香里が、がばりと頭を下げる。光はその勢いに若干たじろぎつつ、聞き返した。
「な、なんでしょうか?」
その後、日香里が提案したことは光にとって予想外のことであった。
「本当にドジだな~。扉開けずに入ろうとするなんて」
日香里にけらけら笑われて、螢は恥ずかしそうに俯いた。その拍子に、綺麗に切り揃えられた前髪が、ぱらりと揺れる。その隙間から一瞬覗いた額が、少し赤くなっていた。
先ほどの怪音の正体は、螢であった。
本人が言うには、入室を急ぐあまり戸を開けるのを忘れ、扉と正面衝突したのだそうだ。
怪奇現象でなかったのは良かったが、確かにすごいドジだと光も思った。
今は、「一応、頭冷やすものを取りに行くわ」と、森住だけ外に出ている。
「ひかりちゃん、笑うなんてひどいよ。痛かったんだから」
「ごめんごめん、大丈夫か? ああ、かわいそうになあ」
甘ったれた口調で文句を言う螢に、日香里が喉の奥では笑いながら謝った。よしよしと、つやつやのおかっぱ頭を撫でてやっている。螢は、むくれた顔をして見せているが、構われて嬉しいと、頬の赤さから丸わかりだ。
「あれ、なんか頭しっとりしてる。外に出てたのか?」
「だって、写真撮ってたんだもん」
「風邪ひくじゃんか。光ー、悪いんだけど、オレの鞄からお茶取ってもらえない?」
「はーい、わかりました」
ぱたぱたと水筒を持っていくと、日香里のシャツの裾を握っている螢にじっとりとした目で睨まれて、ぎくりとする。日香里は何も気づかずに、朗らかに礼を言い受け取った。
(うひゃあ……冨嶋先輩、今日も絶好調に冬ちゃん先輩ラブだ)
二年の冨嶋螢は、日香里の幼馴染だ。二人は姉弟の様に仲が良く、特に螢は日香里に”べったり”と言ってよかった。それが恋愛感情かは知らないが、とにかく「ぼくは、ひかりちゃんの側にいたくてたまりません!」と顔に描いてあるのだ。
螢は、よく美術室に訪ねてくる為、もちろん光とも面識はあった。普段の彼は、繊細な顔立ちに似合った大人しい少年だ。しかし、日香里といる時間に割りこむと、それはもう不機嫌になるので注意が必要だった。
(やっぱ、わたしも森住先輩についていくんだったよ~)
光は、トホホと肩を落とした。
螢の持つコップからは、もわりと白い湯気とほうじ茶の芳しい香が立ち上っていた。そこから、何やら味覚以上の幸福を味わっている様子の彼に、触らぬ神にたたりなし、という言葉が脳裏によぎる光だった。
***
「ところでさ。そんな急いで来るなんて、なんかあったのか?」
日香里が不思議そうに訊ねると、温かいお茶を貰ってご満悦の螢がはきはきと話し出す。
「えっと、それはね。どうしても相談したいことがあったんだ」
「相談って、写真の?」
「うん。あのね、まずこれを見てほしいんだけど……」
螢が、胸に下げていたカメラを掲げた。日香里が身を屈めて、その手元をのぞき込んだ。それから、歓声をあげた。
「すごい、これ、超かっこいいじゃん」
「ほんと? ぼくもそれ、いちばん気に入ってるんだぁ。だから、コンテストに出したいと思ってるんだけど……だめかもしれなくて」
螢は、嬉しそうに破願したが、話しながらすぐに意気消沈してしまった。
その様子に、日香里は首を傾げる。
「駄目ってこたーないだろ。出した方がいいよ」
「それが……モデルの人に許可を貰えないんだ」
「なんでさ。もしかして、コンテストに出すつもりって、先に相談し忘れたとか」
「ええと、実は……初めからその子にモデルをお願いしたわけじゃなくて。たまたま、撮れたんだ。放課後、学校うろうろしてるときに居合わせて、思わずシャッターをね。だから……」
「じゃあ、そもそも撮る許可も取ってないのか! あー、なるほどなあ。そりゃ、ちょっと厳しいなあ」
日香里は、難しい顔で腕を組んだ。螢は、がっくりと項垂れる。
「やっぱり、だめかなあ。でも、諦めきれなくて」
「気持ちはわかるけど、許可は欲しいと思う。事後承諾で、なんとかわかって貰えたらいいかもしれねーけど。その様子じゃ、話し合いも上手くいってないんだろ」
「ううう」
螢は、悲痛な顔で呻いた。今にも泣きだしそうである。日香里も、少しかわいそうになったのか、声を和らげた。
「まあ、そう気を落とすなって。駄目でも、もっといい写真を撮るチャンスってことかもしれないし」
「わかってる。でもね、そう思って色々撮ってみてるんだけど、全然ピンと来ないんだ。それってたぶん、本当はあの写真がいいのに、自分に嘘をついてるから……」
螢はそう言うと、日香里のシャツを握りしめて俯いてしまった。日香里は困り顔で、頬を掻いている。なんとかしてやりたい、そう思っているのが見て取れた。
日香里はしばらく考え込んでいたが、ふいに光を振り返った。
「光、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「へっ?! なんですかっ?」
光は、努めて空気でいたところに急に話を振られて、素っ頓狂な声を上げた。拍子に、手持無沙汰にやっていたスケッチの、瓶の輪郭が大きく歪んだ。
話の流れは聞いていたが、まさか自分にその矛先が向いてくるとは思わない。
無言で手招かれたので、慌てて駆け寄る。螢の反応が気になったが、落ち込んでいるらしく、小さくなったまま無反応だった。
「あのさ。光って、生徒会の不二磨星さんとは友達だったよな?」
「えっ、はい。幼馴染です」
「そうか! じゃあさ、さっきまでの話って、聞こえてた?」
「まあ、聞こえたというか、聞いてたというか」
何故ここで、星の名前が出てくるのだろう。話の展開が読めず、うろたえつつ聞かれたことに答えると、日香里は顔を輝かせた。
「なら話が早い! あのさ、ちょっと、光にお願いがあるんだ」
高い音を立てて、目前に両手を打ち鳴らした日香里が、がばりと頭を下げる。光はその勢いに若干たじろぎつつ、聞き返した。
「な、なんでしょうか?」
その後、日香里が提案したことは光にとって予想外のことであった。
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