拝啓、259200秒後の君へ

野々峠ぽん

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そもそもの話の章

(9)

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  しばらくして、森住が美術室に戻ってきた。

「遅なってすまん。冨嶋くん、これ使って」
「あ、ありがとうございます」

 螢は、差し出された保冷剤をおずおずと受け取り、額に当てた。日香里は、椅子の背もたれに肘をつき、その様子をのんびりと眺めている。

「ありがとなー、北斗。結構かかってたけど、なんかあった?」
「いや、保健室へはさっと行ってんけど。帰りに磯崎先生につかまってしもてなあ」
「磯ちゃんに? そりゃあ、おつかれさん」

 森住の答えに、日香里は思わずと言うように苦笑した。磯崎というのは、美術部の副顧問だ。生徒想いの熱心な教師だが、一度喋りだすと止まらない。

「で、先生から伝言なんやけど。今日は雨が酷いから、根詰めすぎんと早いとこ切り上げなさい、やて」
「マジかよ! じゃあ、さっさと絵の仕上げしちゃわねーと」

 磯崎からの伝言に、日香里はにわかに慌てて立ち上がる。
 恐らく、最終刻限の十九時まで粘るつもりだったのだろう。居残りが禁止されたとなると、部活終了時刻まで、もう一時間も残っていない。
 慌ただしく荷物をまとめる日香里の袖を、螢が掴んだ。

「ひかりちゃん、ぼくも入っていい?」
「ええ……オレ、描くから相手しないぞ」
「いいよ、一緒に居たいだけだもん」

 螢にシャツの袖に縋られて、日香里は困り顔で頷いた。仕方なし、と言う感じではあったが、日香里が了承すると思わず、光はぎょっとした。

(えっ!! 冬ちゃん先輩、入れちゃっていいの!?)

 光の驚愕をよそに、日香里はこちらを振り返り、明るい顔で手を振った。

「じゃ、二人ともバイバイ! 鍵と保冷材は返しとくからな」
「さようなら」

 どやどやと連れ立って美術準備室に入っていった二人を、光はポカンと見送った。口をぱくぱくさせていると、森住はその言わんとすることを察して苦笑する。

「冨嶋くんは入ってええねん」
「そ、そうなんですか? 絶対、何が何でも駄目、モンガイフシュツ! ってわけじゃないんですね」
「はは。幼馴染やからかなぁ。冨嶋くん、昔から冬さんの絵見てたって言うてたし」

 言いながら、森住は少し寂しそうだった。
 日香里にとって螢がどれほど特別であるか、そのことに傷ついているように見えた。
 光は、陰のある森住の表情にときめきつつ、かなりのショックを受けた。
 森住にとって、それほど日香里が特別な存在だったとは――。
 もしや森住も、螢と日香里が仲良くするたびに、光と同じように苦しい思いをしていたのだろうか。そんなときに自分ときたら、螢が来ると森住と話す機会が増えて嬉しいと、喜んでいた。
 光は、森住のことをちっとも見ていなかった己を恥じた。

「先輩っ! わたし達も描きましょう!」

 ガタッ! と派手な音を立てて、光は立ち上がる。その勢いに、森住は目を丸くした。

「お、おう。そうやな」
「それで、モチーフ変えたいんですけど、いいですか?」
「ええよ。何したい」
「あの、人物デッサンで、お互いに向き合って描くのって、どうでしょう?!」
 
 光は、声に力をこめて森住に提案した。
 見ていなかったなら、これから見て知れば良い。そして、森住にもこっちを見てもらえれば、寂しい者は誰もいなくなるではないか!
 ずれた計画だが、本人は力一杯本気である。好きなら前に進むのみだ。基本的に、光の中に後退と言う言葉はない。
 森住は、椅子を二つ向かい合わせに置くと、その片方に座った。スケッチブックを開いて、首を少し傾げる。

「ほな、そうしよう。時間無いし、同時に描こか」

(やった~~!!)

 光は、心の中で両こぶしを天に突き上げ、勝利の雄たけびを上げた。


***

 
 星からの連絡に気づいたのは、片づけがすんでからだった。
 森住の美しさをなんとか再現しようと、稚拙な腕で頑張るあまり時間を忘れていた。
 ひと段落して連絡の有無を確認したころには、メッセージが届いてから、すでに三十分は経っていた。
 光は、慌ててアプリを開いた。
 
『星:光、お疲れ様です。私の方はもう終わりました。
 今日は、暁が車で迎えに来るそうです。放っておくとうるさいので、先に合流しようと思います。
 光も、終わったら来てくださいね。いつもの、坂の下の書店にいますから』

 読み終わると、光は思わず歓声を上げた。大雨の日に歩いて帰らずに済む、そんなツイてることってあるだろうか! 

『光:星ちゃん、ありがとう~! わたしももう終わるよ^▽^ 走ってくね!』

 にこにこしながら返事を送った。
 丁度、鞄を斜めに下げて完璧に帰り支度を済ませた森住が歩みよってくる。

「藤間さん、出よか」
「あ、はいっ」

 スマホを胸ポケットに滑らせると、鞄を肩にかけて森住に駆け寄った。まず外に出てから、室内に「おつかれさま」と一声をかけて森住が扉を閉めた。
 二人で並んで、薄暗い廊下を歩いた。運動部も早く切り上げたのか、しんと静まり返っており、足音だけが響いた。



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