なくたって生きていけるモノ

佳樹

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 北海道の弥生ケ浜は、その昔遊郭として栄えた町人文化の町である。智樹が幼少の時分には、遊郭に代わり、全長八百メートル、百二十店舗から成る大きなアーケードがこの町の名物として、大きな賑わいを見せていた。商売人の家系が多く、おせっかいで気性の荒い人間が多いのがこの町の特徴である。
 弥生ケ浜小学校の校舎には六年一組の溌剌な歌声が響いている。
 一小節歌った所で、歌が尻すぼみに小さくなる。
 「みんな、ストップ、ストップ」
 担任教師の水原が頭の上で両手を交差させながら言った。
 生徒達には、どうやらこれは毎度の事らしく慣れたものだ。
 「斎藤。どうして歌わないんだ?」
 水原は嘆息しながら言った。毎回繰り広げられるこの遣り取りに、ほとほとうんざりしている。歌わなくても口パクでもしていれば良いのだ。歌が苦手な生徒の何人かが実際にそうしてるのを水原は知っている。だからと言って、それを責め立てはしない。集団行動から大きく外れていなければ良いのだ。しかし智樹はどうだ。一人そっぽを向いて鼻をほじりながら欠伸している。嫌でも目に付くのだ。
 「人から言われるがまま、何の疑問も持たずに、それに従って他人と同じ事をすんのが嫌なんじゃ。皆で声をそろえて合唱するなんて寒気がする。それでも、みっちゃんがどうしても歌えって言うんなら、俺は一人で歌うぞ」
 智樹は後ろ手を組み、声高に独唱を始めた。声変わりしていない甲高い声だ。
 水原は智樹の大人振った喋り方と、幼い声とのアンバランスさが可笑しくなった。
 「分かった分かった。もういい」
 水原は噴き出しそうになるのを堪えて言った。
 教師に敵愾心を向け、言う事を全く聞かない生徒はこれまでに何人と見て来た。しかし、智樹に限ってはこれらの生徒達とは違う。愛嬌があり、不思議と腹が立たない。教師という立場上、叱ってはみるのだが、どうも説教に身が入らない。それは、水原自身、智樹の言い分の全てとはいかないが、その一部に頷ける所があるからだろう。こんな生徒は大抵はクラスのはぶられ者として、腫れ物に触る様に扱われるのだが、智樹には不思議と人望があり、周りに人が集まる。笑う時は人一倍大きな声で笑うものだから、輪の中心に智樹が居るのだとすぐに分かる。そう。クラスの笑い声の中心には、いつも智樹が居るのだ。
 勉強は出来る方では無いが、足は学年で一番速い。それに、聞いての通り歌はあまり上手くないらしい。それでも、物怖じせずに大声で歌えるのだから大したものだ。教育者として、これは間違っているかもしれぬが、智樹を秩序を乱さぬ鋳型に嵌った人間などにはしたく無い。奔放に生きて世を搔き乱して欲しいとすら思う。水原はこの少年が将来どんな大人になるのか楽しみでならなかった。
 
 中学校へと上がった智樹はサッカー部に入部した。小学校の頃には遊びで球蹴りをしていたが、本格的なクラブチームなどには所属していなかった。持って生まれた運動神経の良さがここで大きく花開き、一年生の中で唯一人レギュラーを勝ち取り、二年生になる頃には市の選抜チームに選出されるまでになった。
 智樹はあどけなさを残しつつ、美男子へと成長した。生来からの剽軽者であったので、クラスでも人気者があり、男子からも女子からもモテた。サッカー部の試合には、学内だけで無く、他校からも智樹目当てに応援に駆け付ける女子生徒が後を絶たなかった。
 そんな智樹ではあったが、上級生からのやっかみには手を焼いていた。名も知らぬ上級生から襲撃を受けたのは一度や二度とはいわない。
 そんな状況を憂いた智樹を慕う有志が集い、智樹防衛隊なるものを結成したのだ。彼等は主に智樹の身辺警護を担っていた。当の本人は「お山の大将みたいで好かん」と突き放すのだが、目を血走らせた隊員達の情熱を冷ますまでには至らなかった。
 そんな時、事件が起こった。
 生活指導の教員から呼び出しを食らった智樹は、何の事で呼ばれているのか、思い当たる事が多過ぎて身構える準備が出来ずにいた。校舎に蛙の大群を放った事だろうか、それとも校内マラソン中に側溝で立小便をした事だろうか。考え出すと切りが無かった。
 ええい、なるまでよと、生徒指導室の引き戸を開ける。
 教員の小島が厳めしい顔で座り、その隣には同じサッカー部員である二年生の吉田が背中を丸めて俯いて座っている。吉田はサッカーの才に乏しく、智樹と同じ学年であるが、入部以来ずっとベンチを温めている。小柄で気も小さく、上級生から使い走りにされている。サッカーボールをぶつけられている姿を何度か見たが、その度に義侠心の強い智樹は上級生に食って掛かるのだ。
 そんな吉田と小島の取り合わせが妙だと感じた。
 「おい斎藤、何突っ立てるんだ。とっととそこに座れ」
 小島は顎をしゃくり、傲岸な態度で目の前の椅子に座る様に促した。智樹は言われるがまま、小島を睨みながら二人の差し向かいに座った。
 「なあ吉田よ、こいつが主犯で間違い無いんだな」
 小島からギロリとした目を向けられた吉田は、俯いたまま唇を震わせ、小さく頷いた。
 「主犯?何の事言ってんだ?ちゃんと説明しろよ」
 「教師に向かってなんだその口の利き方は!まあいい。どうして呼ばれたのか、自分の胸に聞いてみろ」
 「分かんねえから聞いてんだろ!」
 「惚けてるとは男らしくない。お前が吉田に万引きする様、命令したんだろ?」
 小島は確信得たりといった表情で舐るような目で智樹を見た。腕っ節に自身のあるこの男は、智樹を虐めるのを愉しんでいる。智樹が弁解しようがしまいが、端から聞く耳は持っておらず、権柄ずくである。
 「知らねえよ!なあ、吉田。お前が一番よく分かってんだろ?」
 智樹は吉田に訴えるが、吉田は顔を下げたまま此方を見ようとはしない。
 「往生際が悪いぞ!認めないのならそれでいい。今からお前の親に来て貰うまでだ。お前達、そこで待っとれ!」
 小島は椅子から乱暴に立ち上がり、智樹の家に電話をするべく部屋から出た。
 吉田と二人きりになった。
 「とも、ごめん・・・」
 吉田が目に涙を湛えながら、ぼそりと言った。
 「上級生の奴らに命令されたのか?」
 吉田は頷いた。
 どうせそんな所だろうと思っていたが、やはりそうだ。。
 吉田によると、部活の帰りに荷物持ちとして上級生のカバンを持たされたていた吉田は、スーパーの外で上級生が戻るのを待っていた。店から半狂乱で出て来た上級生は、吉田に持たせていたカバンを引っ手繰ると、手に持っていたガムを吉田に握らせ、そのまま走り去って行った。そこで、何が起こったか分からず、呆然と立ち尽くす吉田を店員が捕まえたのだ。事務所に連れて行かれた吉田は、万引きはしていないと主張した。だったら誰がしたんだと話になったが、上級生の名前を出すと、後でどんな仕返しをされるか分からずに、怖くて黙していた。そして今朝、吉田が校門を潜るとその上級生が待ち構えており、智樹に命令されて万引きしたと言えと脅されたのだ。
 昨日の内に、店から連絡を受けていた学校側としても、吉田が万引きしてないと黙すのならば、誰がやったのか口を割らさねばならない。小島から呼び出しを受けた吉田は友を売って、上級生の暴力に屈したのだ。
 それを聞いた智樹は吉田が可哀そうだとは思わなかった。自分に濡れ衣を着せたのだから当然である。だが、不思議と吉田に対して怒りは沸かない。智樹は頭を掻いた。
 仕方ない。罪を被ってやるか・・・。そう決めた。
 どうしてそうしようと思ったのか、智樹も自分の気持ちが分からない。きっといつもの気まぐれを起こしたのだろう。
 「なあ吉田。俺が罪を被っちゃる。そん代わし一つ約束しろ。これから先、俺がお前に何かを頼んだ時は、それを必ず呑むと。たった一度だけ、それはいつ言うか俺も分んねが、今ここで、それを約束してくれ」
 吉田は智樹の目を見据えて「分かった」と力強く答えた。そして安堵したのか、「ごめん、ごめん」と繰り返し泣いて謝った。
 部屋の引き戸が開き、小島が入室した。
 吉田は再び、目を伏せ押し黙る。
 「小島先生。さっきの話だが、吉田に万引きする様に指示したのは俺だ」
 智樹は小指の先で鼻を穿りながら言った。
 小島はにやけ顔を隠そうともせず、智樹の頬を平手打ちした。智樹は椅子ごと横倒しになる。小島は透かさず馬乗りになり、智樹の胸倉を掴んだ。
 「今更認めても遅い。お前の親を呼んだから、これからたっぷりと親子まとめて俺が絞ってやる」
 程なくして、智樹の母が戸を叩き入室した。
 割烹着姿であるが、その顔は白磁の様に美しく、凛とした佇まいに小島は思わず息を飲んだ。
 切れ長の鋭い目で息子を睨む。智樹は思わず身を竦ませた。
 「お宅では一体どんな教育をされてるんすか。ああ、そうか。立派な泥棒を育てる教育をなさってるんでしたね」
 小島は鬼の首でも取ったかのように、嬉々として言った。
 母は小島をキッと睨み黙殺した。
 「先程のお電話で何故私がここへ呼ばれたか理解はしております。しかし、親の贔屓目に見ても息子が他所様の子に万引きを唆すなど、信じられないのです」
 「そうは言いますが、お宅の息子さんは罪を認めていますよ」
 小島はここから更に追い打ちを掛けようとしたが、母が小島の前に右手を突き出し、二の句を告げさせない。
 「私から問わせて下さい。智樹、あなたは本当に人様に万引きを唆したのですか?」
 「ああ、そうだ」
 智樹は投げ槍に言った。
 母がスタスタと息子の傍らに立つ。
 「立ちなさい。そして歯を食い縛りなさい」
 そう言われるだろうと覚悟はしていた。智樹は素直に立ち上がり、歯を食い縛った。
 母は右袖を捲ると、拳骨を固め、力一杯息子の横っ面を殴った。
 小島ですら目を覆う光景だった。智樹を日頃から目の敵にする彼ですら、平手打ちだったのだから、この親は常軌を逸していると戦慄した。
 母は拳骨の手を止めない。繰り返し拳骨を受ける智樹は、耐え切れず膝を崩す。口と鼻からは大量の血が滴り床板を濡らす。
 母が小島の前に歩み寄る。
 小島は殴られると思い、情けない声を出しながら両手で顔を庇った。
 「店の方にはこれから謝りに行きます。どうか、これで堪忍して下さいませ」
 「は、はい」
 小島は恐る恐る手を開き、声を上擦らせながら言った。
 母は息子に肩を貸し、無理矢理立たせる。
 智樹は痛みから視界が定まらず、ぼんやりとした状態のまま体重を母に預けている。
 校舎を歩き、校庭に出る。こんな情けない姿を他の生徒に見られるのは恥ずかしい。
 校門を出た時に智樹は堪らず泣き言を漏らした。
 「俺は本当は万引きなんかさせてねえ・・・」
 「ええ、母は知ってます。部屋に入ってすぐ、隣に居たあの子の目を見て察しました。あなたは、彼を庇っているのだと。母はあなたを立派だと思います。だけど、男が一度秘密を守ると胎を決めたにも関わらず、それを翻し、こうして母に打ち明けたのだけは頂けません」
 「ははは・・・。母ちゃんには敵わねえ。だけどやってもねえ事を、今から本当に謝りに行くのか?」,
 「当然です。息子が男を上げて決断した事に、とことん付き合うのが母の役目です。その為の方便は幾らでも使います」
 智樹は目頭が熱くなり俯いた。母が何もかも知ってくれていた事が嬉しかった。涙が頬を伝ったが、それは拭わない。情けない泣き顔を他の誰に見られても構わない。だけど唯一、母にだけは、泣いている所を見られたくなかった。母はそんな息子の気持ちを知っている。だから前だけを見て、これ以上は何も語らない。

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