なくたって生きていけるモノ

佳樹

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吹奏楽部への道が絶たれたからと言って、智樹の音楽に対する情熱が冷めた訳では無い。
 誠一と智樹は両親を必死に説得し、二人で一本のギターを買って貰った。智樹は部活から帰ると、食事もそこそこに自室に籠りギターを弾いた。誠一は自らも練習をしたかっただろうが、その時間を割いて、智樹にせがまれるまま、弾き方を教えてやった。誠一は智樹の上達の速さに舌を巻いた。この分では、直ぐに自分など追い越されるだろうと思った。そこに、悔しさは無い。寧ろ智樹の成長を見るのが、誠一の愉しみとなっていた。
 智樹が中学三年生になる頃、ロックバンドブームの波が訪れた。
 智樹は大きな衝撃を受けた。最盛期にあるロッカーの多くが、誰にも媚びず、己が信じるがまま、その激情を詩に乗せ、身を削るかの如く、自らを曝け出しながら魂で歌った。野獣の様なギラついた目で世の中を睨み、これまでの主流であった、優しく心に染み入る歌とはまるで違う。ロックは聴く者を奮起させ、行動せよと執拗に駆り立てるのだ。
 智樹の心は震えた。そして、バンドを組もうと決意したが、そこで考えた。智樹の学校では、ロックブームの影響で、ロッカーの恰好を真似する生徒が散見された。智樹はそんな人間を見て、自分では何も生み出せぬ、人真似しか出来ぬ愚か者と決めつけ冷笑していたのだ。ならば、ブームに乗ってロックバンドを組む事こそ、愚の骨頂ではないかという考えが頭を過った。ロックバンドを組みたいという思いと、それを行うには、自らの価値観を曲げねばならぬという思いとの板挟みに煩悶した。ギターを始めてまだ一年と経っていないのに、そんな大層な悩みを抱くのは、自惚れが強いと人は笑うだろうが、智樹にとって、これは大問題である。
 そこで、「ならば、誰も想像だにしていない、新しいバンドってやつを作ってみるか」と思い立った。
 智樹は誠一が部屋で流す、フォークソングのカセットテープの歌声が耳に残っていた。単純にフォークとロックを掛け合わせたら面白そうだと思った。男と女のデュエット曲があるのだから、フォークとロックの掛け合いのデュエット曲があっても良いんじゃないか。一つのバンドの中に、爽やかな服装の人間と、派手な服装の人間が居たらどうだろうか。
 これを妙案だと思い、誠一に相談する事にした。
 「兄貴。俺、バンドでも作ろうかと思うちょるんだ」
 「智樹がバンドをなあ。作るって言ってもバンドは一人じゃ出来ないだろ?メンバーは集まってるのかい?」
 「メンバーはこれからじゃ。だけんど、凄く面白いアイディアが浮かんだんじゃ。ちいと聞いちょくれ」
 智樹は意気揚々と先程思い付いたばかりの構想を語った。
 しかし、誠一の反応は悪く、腕を組んで時々頷くだけだ。痺れを切らした智樹は、何か言ってくれと責付いた。
 「それは難渋すると思うぞ。まず、その考えを面白いと思い、一緒にやろうと言う人間が居るかどうかだ。今日のロックミュージシャンに憧れる人間は、主流のロックミュージックをやりたいのだから、奇を衒った音楽には見向きもしないだろう。それに、そんな歌を聴きたがる人間も、今の世の中に居るかどうか・・・」
 「そんなの、やってみんと分からんじゃろ!」
 「確かにやってみないと分からない。だがな、智樹はそんなコミックバンドで有名になりたいのか?ちゃんとした音楽を学ばぬ内から、そんな物に時間を費やすのは勿体無いと思わないのか?どうなんだ?そのコミックバンドに信念はあるのか?確固たる信念も無しに、そんなものに情熱を注げるのか?」
 智樹は物腰の柔らかい兄がこんなにも強い口調で喋るのを初めて聞いた。短絡的な発想なのだから、誠一の言う信念などは欠片も無いのだ。誠一がどうして、こうまでも感情的になるのか、智樹には理解出来なかった。誠一は困惑する智樹に気付き、すっかり気勢を削がれたらしく、肩を落とす。
 「ごめんな。せっかく智樹が俺に相談してくれたのに、冷静さを欠いて声を荒げて批判ばかりしてしまった。これじゃ駄目な兄貴だな。少し外で頭を冷やして来る」
 誠一は意気消沈し、ベランダへ出た。帳が降りた星空をぼんやりと眺めながら考えた。弟の味方となり、背中を押してやれる兄であろうと、今まで努めて来た。それが傑出した弟に対して、凡庸な兄がしてやれる数少ない事だと思っている。今一度、智樹のアイディアを反芻してみた。やはりコミックバンドを従え、軽薄に歌う智樹の姿を思い描く事が出来ない。だが、華やかなステージ上で、満員の観客を相手に、魂の籠った歌を歌う智樹の姿は容易に想像出来る。
 「そうあって欲しいと願う俺のエゴかな」と誠一は独り言ちた。
 間も無く、ベランダの戸が開かれ、誠一の傍らに智樹が立った。
 「兄貴の言いたい事、よおく分かったけえ安心してくれ。まずは正攻法で一番とっちゃる」
 誠一が仰ぐ天穹の星空を智樹も仰ぎながら言った。
 「そうか」
 誠一は一際力強く輝く星と、その横で鈍く光る星を眺めながら頷いた。

 高校へ進学した智樹は、ギターの技量に加え、歌唱力にも磨きがかかっていた。考え抜いた末、部活には所属せず、独学で自らの音楽を探求しようと考えた。その間も、バンドメンバーの勧誘は続けていた。しかし、此方はどうも上手く行かない。必ず有名になってやるという智樹の熱意に付いて行ける人間が居ないのだ。皆、学生時代の間だけの、ほんの一時の趣味から脱しようとしない。
 誠一から、近日執り行われる近隣の町で執り行われる、ライブハウスのこけら落としの話を聞いたのはそんな時だった。
 当日、智樹はバスをに乗ってそのライブハウスへ一人で向かった。
 沿線の傍に黒い外壁の上に海老色のトタン屋根を被せた建物が見えた。入口の前では、目つきの悪い不良の一群が目が合ったのどうだのと喚き散らし、別の似たり寄ったりの一群と一触即発の様子であった。智樹はそれに構わず、両者の間を擦り抜けた。会場でチケットを求める列に並び、防音扉の向こうから、微かに聞こえるバンド演奏に耳を澄ます。生のバンド演奏を聴くのはこれが初めてとあって気持ちの昂ぶりを抑えられない。
 扉を開くと、耳を劈く様な大音響に、場内は沸き立ち、熱を帯びていた。身震いした。前方は黒山の人だかりで、押し合いへし合いし、軽い小競り合いが要所要所で巻き起こっている。智樹は群衆の中に入り、近くで聴いてみようかと悩んだが、何だかそれが滑稽に思え、遠くから傍観する事にした。
 つと、智樹の背後で声がした。何と言っているのか、判別出来なかったが、はっきりと聞こえた言葉がある。「下手糞」。
 声が発せられた方を顧みると、そこに智樹と年端の変わらぬであろう、色白の美丈夫が立っていた。青年はその怜悧な目で侮蔑を込めてステージを睨んでいる。
 「おまんは、これが下手糞って言うんか?」
 智樹が目を瞬かせて尋ねるが、青年はステージを見据えたまま一顧だにしない。
 「ああ、そうだ。下手糞なだけなら罪は無いが、これで入場料を取ってるんだから、最早これは害悪でしかない」
 「そう言うからには、おまんはこれ以上の音楽が出来るんか?」
 「こんな素人集団と比較されるのは心外だが、無論、俺は近い将来、世界一のベーシストになるのだから、こいつらより上手くて当たり前だ」
 それを聞いて智樹は笑った。すると男は自分が莫迦にされたと思いムッとした顔をした。
 この時の智樹は、同じ途方も無い夢を描いている人間が、自分以外にもう一人、今まさに手の届く距離に居るのが嬉しくて仕方無かったのだ。智樹ですら、その夢は日本で有名になる事だったのに、少年はあまつさえ世界一になると豪語してみせた。だから智樹は嬉しくて、大笑いせずには居られなかった。
 「世界一かい。大きか事言うなあ。だったら、ここにも将来の世界一のギタリストが居る。俺と組んで一緒に世界ば驚かせちゃらんか?」
 「フン。足手纏いを抱えるのは御免だ。何より俺は馴れ合いで音楽をするのは好かん。しかし、これも何かの縁。お前に相応の実力があるなら考えてやってもいいが」
 「ああ、だったら近い内、俺の音楽を思う存分聞かせちゃる。びっくりして、小便漏らすなよ」
 智樹は右肩を回しながら鼻息を荒くした。
 青年は目を輝かせながら意気込むこの男を面白いと思った。バンドメンバーへの勧誘はこれまでに何度となくあったが、悉く断って来た。元来、他人を寄せ付けぬこの青年が、斯様な提案をする事自体が極めて異例なのである。もし、彼を知る人間が近くに居たなら、きっと腰を抜かして驚いていただろう。
 それに青年には予感もあった。この男の力量はいざ知らぬが、もし二人が組んだなら、お互いが一人では決して見られぬ景色も見られるのやもしれない。初対面の相手に対して、こんな奇妙な予感を抱いたのは勿論初めての事である。
 青年は自らを君嶋秀一と名乗り、二人は同い年である事、学区が隣り合っており、互いの家が然程離れていない事を知ると、妙に親近感が沸いた。君嶋は智樹に父親が営むミュージックカフェの住所を告げると、明日の放課後、そこでお互いの実力を見せ合う事を約束した。
 翌日。智樹はクラス内に君嶋を知る人物が居ないか尋ねて回った。幸いにも数名のクラスメイトが君嶋と同じ中学の出身だと知り、その人となりを尋ねてみた。「無口で自分以外の人間を下に見てる嫌な奴」と言うのが彼らの君嶋に抱く印象であった。智樹が受けた印象とはまるで違う。取っ付き難そうではあるが、内に潜む温かみの様なものを感じた。きっと根が正直過ぎるので、他人から誤解され易いのだろう。
 終礼を待ち切れず、智樹は六限目の終わりと共に鞄を持って教室を飛び出した。階段ですれ違う担任教師が、「終礼前にどこへ行くか」と声を掛けるも智樹の耳には、まるで入っていない。
 家に着くや鞄を放り出し、制服のままギターだけを抱えて玄関を出た。約束の時間まで、たっぷりと余裕があるのだから、何も急ぐ必要は無いのだが、逸る気持ちが抑えられず、急いてしまう。君嶋が自分のギターを称賛せぬなど露程も思ってはいないのだ。君嶋が自分のギターを聴いて腰を抜かす姿が頭に浮かび、思わず笑いが止まらない。道端ですれ違う人々は、ニタニタ笑う智樹を不気味がっている。
 バスに乗り込み、車窓から外の景色を眺める。
 
 バスを降り立つと二軒先に、白モルタルの外壁に楕円形の木製ドアを持つ平屋が目に入った。君嶋が言っていたのは、きっとここだな。扉の前まで歩くと、外壁にDELSOL CAFEと記されているのを確認し、軋む扉を開いた。
 「御免仕る!」
 店内に入ると、長髪を後ろで束ねた、気難しそうな顔の男がフローリングの床をモップがけしている。煙草を咥えたままなので、拭いた傍から灰が床に落ちる。だからと言って、男は煙草を灰皿に置こうとはしない。
 ランチ営業と夜間営業の合間とあって、店内に客の姿は無い。
 「俺はヒデに呼ばれて来たんじゃが・・・」
 「ああ聞いてるよ。あいつが友達をここに呼ぶなんて初めての事だ。一体どう言う風の吹き回しなのやら」
 「おっちゃんは、ヒデのオヤジさんか?」
 「はっはっは、おっちゃんとは言ってくれるなぁ。如何にも。俺はこの店のマスターであり、秀一の父親だ。そして、あいつにベースを仕込んでやった張本人さ」
 「ほー。おっちゃんもベース弾けんのか?」
 「まあな。ちょっくら聞かせちゃるから、そこに座っとれ」
 マスターは壁際に掛けてあるエレキベースを掴み、アンプへと繋いだ。木製のスツールを引き寄せ、それに座ると、チューニングもそこそこに、ベースを爪弾いた。クラシックの名曲「カノン」をロック調にアレンジしている。心地の良い重低音が、店内に彩りと息吹を与える。智樹はマスターの演奏に魅入っていた。
 演奏が終わると、智樹は両手を打ち鳴らし、喝采を送った。
 「おっちゃん。センスあんな。そんだけ上手けりゃ、プロにでもなれんじゃないか?」
 「はっはっは、生意気な。だが、これの良さが分かるってんだから、中々見所のある餓鬼だ」
 マスターの顔は綻び、智樹の事が甚く気に入ってしまったらしく、瓶のコーラとハンバーグを振る舞った。
 音楽談義にも花が咲き、智樹がミュージシャンの滑稽な物真似などをすると、マスターは涙を流しながら哄笑した。
 カウベルが鳴り、入口の扉から君嶋が姿を見せた。
 「やあ、トモ。もう来てたのか」
 「ああ。どうも、待ち切れんくてな」
 「さっそくだけど、お前のギターを聴かせて貰いたいが、準備はいいか?」
 「勿論」
 智樹はギターケースの中から、アコースティックギターを取り出した。君嶋は智樹が弾くのはエレキギターだとばかり思っていので、当てが外れて複雑な表情を見せた。
 「このスタンドマイク使わしてくれんか?」
 「歌うのか?」
 「ああ。ギターと歌の二足の草鞋じゃ」
 マイクの前に立ち、一度大きく息を吸い込む。
 「それじゃ聴いてくれ!」
 右手を高らかに掲げると、弦を一度大きく打ち鳴らした。ネックに指を走らせる。
曲はチャック・ベリーの「ジョニー・B.グッド」である。予想外の選曲に秀一は目を丸くした。カウンター越しに聴いていたマスターも思わず横手を打つ。イントロ部分の運指は滑らかとは言い難いが、アコースティックギターでこれを弾こうと言うのだから大したものだ。その選曲の妙をたたえながらも、まずまずといった顔で秀一は頷いた。
 ギターの腕前はイントロ部分から察するに大凡の見当は付いた。まあ、及第点といった所だろう。だからだろう。イントロの間、歌もこの程度だろうかと高を括っていた。
 しかし、その甘い予想は一蹴される事となる。歌に入った瞬間、智樹の目が煌々と一際輝きを増すのを見た。その一挙手一投足に華がある。本人はまるで意識していないのだから、天性のものだろう。鼓膜を震わせる力強い歌声に、君嶋の表情も自然と引き締まる。空気さえも変わった。煮え滾る様な熱気に、君嶋のこめかみを一筋の汗が伝う。
 綺麗な歌声で器用に歌える俊才ってのは、これまでに何人か見た事がある。こいつの歌は決して上手いとは言えない。この歌声を形容する言葉が見つからないのが残念だ。ただ言えるのは、この歌声は、一見荒々しく感じるが、その深奥に慈しみが感じられる。聴く者を狂乱させながらも、その心に安らぎを与える。そんな歌を歌える奴は初めてだ。君嶋は立ち上がりたくなる衝動を、椅子のひじ掛けを掴みグッと堪えた。
 独奏を終えた智樹は、額に汗をかきながら、白い歯を見せ笑った。
 君嶋は智樹の演奏に拍手喝采したかったが、敢えて平静を装い、泰然自若とした態度を崩さなかった。
 「どうじゃった?」
 「ギターの腕だが、これは口程にもない。この程度で世界一になるなど笑止千万。出直して来い!」
 「だったら、おまんはどんだけのもんが弾けるんじゃ」
 智樹は称賛されるとばかり思っていただけに、自らのギターを貶された怒りはひとしおである。此方も負けとられん。けちょんけちょんに貶してやると息巻いた。
 「そこに座って見とれ」
 そう言い捨てると、君嶋は先程マスターが使っていたギターを掴んだ。
 軽快にネックに指を走らせる。曲はたった今、智樹が弾いたばかりのチャック・ベリーの「ジョニー・B.グッド」である。独自のアレンジが加えられており、それが何とも小気味良い。目の覚める様な運指に思わず見惚れる。どれだけ練習すれば、こんなにも華麗に指遣いが出来るのだろうか。智樹が幾ら練習を重ねた所で、その領域に辿り着けるかどうか怪しい。実力差をまざまざと見せつけられた。
 演奏が終わった。
 智樹は感嘆の声を上げ、君嶋に抱き着かんばかりだ。自分のギターを貶された事などすっかり忘れている。
 「ヒデ凄いな!どんだけ練習したらこんなに上手くなるんじゃ?俺もヒデみたいに上手くなれっかな?」
 君嶋は演奏を聴くまで、怒り心頭だった智樹の、その変わり様に驚かされた。この男は本当に素直な奴なんだなと心から思った。同時に信用に足る男だなとも思った。
 「凡人には血の滲む様な努力ってやつが必要だが、俺には天賦の才があるからな。端から練習なんてもの必要としなかったのさ。一週間後だ。一週間後、またここで、お前の血の滲む努力の成果とやらを見せてくれ」
 「ああ見せちゃる。そんで、おまんを唸らせちゃる」
 君嶋の父親であるマスターが、カウンターの奥で忍び笑いした。実際には、ここに至るまで、それこそ君嶋は血の滲む様な努力をして来たのだ。マスターはそれを知っているから、見栄を張る息子が可笑しくてしょうがない。平素、不愛想な息子が、饒舌に話すのも可笑しかった。しかし、ここで笑っては息子も立つ瀬が無いと思い、笑いを堪えながらカウンターの奥に引っ込んだのだ。
 君嶋が智樹を突き放したのには幾つか理由がある。ここで智樹の望むがまま、易々とバンドを組んでしまっては、自らの価値を落とす様でこれまた癪である。それに、自信を持って挑んだギターを真っ向から否定された後、智樹がどの様な反応を示すのか見てみたかった。智樹を苛めてみようと言う多少の下心もあったが、そこで腐る様な男であれば願い下げだった。しかし、反骨精神の塊である智樹は、これからもっと上手くなろうとしている。そんな男だから賭けてみたくなった。
 智樹は復路を行きながら思いを巡らせた。朧気だったバンド結成という目下の目標が俄かに輪郭を帯びて来た。それに、先の君嶋のベースを聴いて確信した。少しばかり気は早いが、君嶋と俺が組めば向かう所敵なしでは無かろうか。自然と気も大きくなる。「ドラムも一人欲しいな」などと、更に気の早い事を思ったりした。
 川に掛かる鉄橋を望みながら歩いていると、河川敷の藪の中に人影が見えた。藪が深く、人が立ち入らない場所である。中に居るのは、制服から察するに智樹と同じ高校の生徒らしい。少し離れた石垣の上に腰を下ろし様子を伺う。
 五人の女子生徒が一人の女子生徒を取り囲んでいる。集団でリンチでもしようというのだろう。女ちゅうのは、まっこと卑怯な事ばかりしよる。ギターを置き、止めに入ろうと腰を上げるが、そこで一考する。女の喧嘩に男が出張るのはみっともないと思い、二の足を踏む。取り囲んでいる女達も、まだ手を出してなさそうだから、暫く様子を伺ってみる事にするか。そして、いよいよとなったら、恥も外聞も捨てて飛び出そうと考えた。
 女達をよく見ると、リーダー格らしき女が、石段の上にふんぞり返り、他の女達を指図している。
 あいつか。そのリーダー格の女は智樹と同じクラスのスケバンの桜井だ。丈の長いスカートを履き、切れ長の目をしている。美人の部類なのだから、御淑やかにしてれば、男子からも人気が出るだろう。同じクラスでありながら、数える程しか話した事が無い。
 取り囲まれている女の方にも見覚えがある。最近、他校から転校して来た女で、確か名前は一ノ瀬薫だ。栗色の長い髪の仙姿玉質。男なら誰しもが憧れる美貌の持ち主でありながら、どこか翳を感じる。この女は、周囲に対して異様とも思える敵愾心を剥き出しにし、転校早々孤立しているのだ。智樹も最初はそんな彼女が不憫に思え、声を掛けてみたが、話し掛けるなと、鋭い目で睨まれるので、どうしたものかと手を焼いていたのだ。群れるのを嫌う気の強過ぎる美人は同性に敵を作り易いのだろう。
 「その澄ました態度が気に食わねえんだよ!」
 集団の一人が、薫の横っ腹を蹴り上げた。薫が苦悶の表情を浮かべ膝を崩した所を、別の女が髪を引っ掴んで無理矢理立たせる。他の女達は薫を平手打ちしたり、激しく腹を殴った。薫は抵抗しようとも逃げようともせずに、女達になされるがままだ。
 やがて、リーダー格の桜井が腰を上げ、薫の眼前に迫った。その瞬間を薫は虎視眈々と狙っていたのだ。頭から突っ込み、桜井の腰に手を回すと、そのまま仰向けに倒した。敏捷な身のこなしで馬乗りになるや、足元に転がる石礫を掴み拳を固めると、他の女達には一切目もくれず、桜井だけを一心に殴った。あたふたしながら、二人を引き離そうとする女達を肘で払いながら、顔色一つ変えず決して手を止めない。桜井は口から血飛沫を上げ、先刻までの傲岸不遜が、今では手で顔を庇いながら無様な泣き顔を晒し、許してくれと乞うている。
 智樹は薫の手首を掴み、二人を引き離した。
 「もう十分じゃろ。この辺で止めちゃらんね」
 薫は一瞬智樹を睨んだが、直ぐに立ち上がり、無言のまま石礫を放り投げると、自らの鞄を掴み、さっさと歩いて行ってしまった。
 「おまん達も、これでもう懲りたじゃろう。集団で一人を寄って集って苛めんのは金輪際止めとけ。もし、今度またおんなし事しちょったら、女だからって容赦せんからな」
 智樹のこれまでに見た事の無い恐ろしい顔に女達は戦慄した。
 智樹はポケットを探ると、先程の恐ろしい顔から一転し、優しい顔で打撲創で顔が鬱血した桜井にくしゃくしゃに丸まった鼻紙を広げて渡してやった。
 平素突っ張っている桜井にしては珍しく、素直にそれを受け取った。助けて貰った恩もあったのだが、それだけでは無い。桜井自身もこの想いの出処が分からない。智樹に対して新たに芽生えた感情を認められずに、小さな胸を焦がしているのだ。
 「あ、ありがとう」
 思わず零れ出たこの言葉を、最後に使ったのはいつだったろうか。桜井はそんな遥か昔の事など、どう頑張っても思い出せないと諦め、そんな莫迦な事を考えようと試みた自分自身を自嘲した。
 「それでチーンと鼻を噛んどれ」
 桜井は言われた通り、しおらりく鼻紙を鼻にあてた。
 「なんかこの紙、べとべとするんだけど」
 「おー、しもうた。こりゃ勘弁してくれ。ここへ来る前にこれで鼻を噛んどったのを、すっかり忘れちょった」
 「ギャー、汚いな!どうして使ったままの鼻紙を捨てずにポケットなんかに入れてんだよ!」
 桜井は鼻紙を智樹に投げ付けた。
 智樹はそれはヒラリと躱す。
 「ははは。般若が鬱血顔でおたふくさんになりよったと思うちょうたら、また般若に戻りよった」
 智樹は手を叩いて笑った。
 「あんた、レディに対して般若だのおたふくさんだのって失礼にも程があるわ」
 智樹は再度大口を開けて笑おうとしたが、それを止め、膨れっ面で不満を露わにする桜井の目を、中腰になり真正面から真剣に見つめた。目の焦点も合っているし、眼球の内出血も見られない。これなら、安心して良さそうだ。
 急に真剣な目で見つめられた桜井の方はと言えば、気勢を削がれ、すっかり黙りこくってしまった。顔を紅潮させ無様に腫れた顔を見つめられている恥ずかしさから、彼女らしからずモジモジしている。
 智樹は立ち上がってニッと笑った。
 「まあ、勘弁せい。しっかりと養生しろよ小悪党共」
 智樹は石垣に戻り、ギターを掴むと再び歩き出した。
 つと、薫の凍り付く様な冷たい目を思い出し身震いする。「あの女子は容赦の無え。まっこと狂犬の如く恐ろしか女子よ」そう呟いてから、薫の外面の並外れた美貌と内面の凶暴性の齟齬とが奇妙に思え首を傾げる。
 いや、待てよ。智樹は自分の間違いに気付いた。薫は集団にリンチに遭っていた被害者だったのだ。少々行き過ぎてはいたが、身に降り掛かる火の粉を払っただけなのに、悪者扱いするのは良くなかった。自分も他の生徒達同様に、危うく薫を誤解する所だったと猛省した。

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