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第一章【出立まで】
【幕間】あの日見た、憧れを追いかけて(4)
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「アヴリー!私も手伝う!」
声をかけられて振り向くとそこにはステファンが立っていて、その目がやる気に満ちている。
「ステファン、ダメよ。お家にいなさい」
「なんで!?私だってアヴリーとパパの役に立ちたい!」
「ダーメ。あなたはまだ学校を終えたばかりでしょ」
ステファンは今年12歳で、中等教育の学校を卒業したばかりだ。そして12歳と言えば、アヴリーが“輝ける虹の風”の凱旋パレードを見て憧れを抱いた年齢でもある。
そういう意味では、彼女が冒険者の派手な生活に憧れを抱いてもおかしくはない。彼女は幼い頃から店内を遊び場にしていて、マスターのひとり娘ということで冒険者たちにもよく可愛がられていたから、その意味で不安は少ない。それに彼女はここ数年の閑散とした店の状況も見て知っているから、余計に父の仕事を手伝いたくもあるのだろう。
だがまだ未成年の娘を大人の職場、それも酒場で働かせるわけにはいかない。
「ステファン、いつも言ってるだろ。お前にゃこの仕事は向かねえ」
マスターも困惑気味だ。父親を手伝いたいと言ってくれるのは嬉しいが、それ以上に娘の身の安全と健全な成長が大事だ。そういう葛藤が彼のいかつい顔に如実に出ている。
「イヤ!私だってできるもん!」
「いいや、できねえ」
「そうよステファン。パパの言うこと聞きなさい」
「子ども扱いしないでよ!」
「そうは言っても子供じゃねぇか。子供は子供らしくしていろ」
「あのねステファン。私も15歳になってすぐ、働かせてくれってこのお店に来たの。でもマスターに、あなたのパパに言われたわ」
アヴリーは身を屈めて、ステファンに目線を合わせてから諭すように優しく言う。
子供とは言えない、でも大人にはなりきれない、今のステファンや当時のアヴリーのような年頃の娘には、冒険者の酒場という『大人の職場』は確かにまだ早い。憧れるのは無理もないが、意気込みだけでできるほど生易しい仕事ではないのだ。
「…なんて?」
「まだ早い、って」
「…15歳になったのに?」
「そうよ。お酒が飲めるようになって、冒険者のお客さんたちが喧嘩しても仲裁できるように勉強も魔術も頑張って覚えてからまたおいで、って言われたわ」
今ならあの時のマスターの気持ちがアヴリーにはよく分かる。成長し、25歳になった今でさえ酔った冒険者に絡まれて手も足も出ない事さえあるのだから。
だが幸いにも、働き始めてからずっと彼女はマスターやジャネットなど先輩たち、それに客である古参の冒険者たちにも可愛がられていて、新参者などが酔って絡んできてもみんな彼女を助けてくれる。きっと彼女もそうしてみんなから可愛がられるだろうが、それでもせめて15歳になってお酒が飲めるようになるまでは待たせるべきだろう。
「だからね、今はステファンもたくさんお勉強して、いっぱいご飯食べて、大きく育ちなさい。あなたが大人になって働けるようになるまで私もマスターも待っていてあげるし、お店もなくなったりしないから」
「………………わかった」
ややあって、渋々とステファンは頷いた。どうやらこの場は納得してくれたようで、アヴリーはホッと息を吐く。
「でも、じゃあ…」
だがステファンが続けた言葉に彼女は狼狽することになる。
「アヴリー、ママになって」
「は?」
「んなっ!?」
アヴリーと、横にいたマスターとがふたりして思わず間抜けな声を出してしまう。
「だってママがいないと寂しいもん!アヴリーがママになってくれたら、おうちでも寂しくないもん!」
「い、いや…それは…」
そこまで言って、あとの言葉が続かない。今までアヴリーはマスターをそんな目で見たことはなかったし、それどころか父親みたいに思っていたのに。
というか自身の結婚など考えたこともない。漠然と心に思い描いている相手がいないでもなかったが、その人と結ばれることはないと分かっていたし、そういう自分でも処理しきれない無理めな恋心があったからこそ、陰で「嫁き遅れ」だと言われるようなこの歳まで結婚できずに独身でいるハメになっているのに。
何より、マスターは確かもう50になるはずだ。流石に自分の倍も生きている相手とそういう仲になるなんて、アヴリーにはとても考えられなかった。
「いいいやステファン!お前何言い出すんだ!?」
そしてアヴリー以上にマスターが狼狽えている。彼にとっても思ってもみない提案だったのがこれ以上ないほどよく分かる。
「だって今までもアヴリーはママみたいに優しくしてくれてたもん!」
「いやそれを言うならお姉ちゃんって言って!?」
アヴリー25歳、ステファン12歳。13歳差というのは確かにどっちつかずで、世間では未成年のその年頃で子供を産んでしまう早熟な娘がいないでもないから、確かに母子と言えなくもない年齢差ではあるのだが。それでもやっぱり母と言うには少し若すぎるし、何よりもアヴリーはステファンのことを歳の離れた妹みたいにしか思っていなかった。
だから、いきなり「ママになって」などと言われても困ってしまう。というかおそらくきっと、ステファンは「アヴリーが母親になる」ということの正確な意味も分かっていない気がする。
余談だが、ステファンの母ジャネットがもし生きていたら今年で35歳になる。そういう意味でもアヴリーはどっちつかずだ。
「い、いいからステファン!ほら、家に帰ろう、なっ?」
「ヤーダー!ママになってくれるまで帰らーなーいー!」
ステファンの手を握って半ば強引に家に戻そうとするマスター。
それに全身で抵抗するステファン。
実の父娘だというのを知っていなければ、まるで人攫いが少女を攫っているようにしか見えない。
「おお?なんだなんだ、マスターとアヴリーが結婚するって?」
「いいんじゃねぇか?男やもめと嫁き遅れで丁度いい組み合わせだと思うぞ」
「違ぇねえ!」
「ならないから!私とマスターはそんなんじゃないから!」
その場に居合わせた冒険者たちに口々に囃し立てられ、真っ赤になって否定するアヴリーであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして現在。
アルベルトが蒼薔薇騎士団に雇われて、東方世界へと再び旅立って行った、〈黄金の杯〉亭の店内。
殺しても死ななそうだったマスターも前年の暮れにふと拗らせた病で呆気なく死に、周囲の反対を押し切ってステファンがマスターを継ぎ、店には今年アヴリーが採用したニースが増えているが、その店からはアルベルトだけがいなくなっている。
「アヴリーさぁん。元気出しなよ~。いくら恋しいアルさんが居ないからって…」
「だっ誰が誰を恋しいって!?」
ニースの一言に、店の掃除の途中でつい手が止まってぼーっとしていたアヴリーが、目に見えて狼狽した。
「いやだから、アルさんのこと好きなんでしょ、アヴリーさん」
「そっそそそ、そんな事なわいよ!?」
「いやアヴリーさん、テンパりすぎ」
「あらあら~。アヴリーちゃんやっぱりそうだったのねぇ」
「ちっちっ違うからね!?」
ニースとホワイトに口々に囃され、5年前のあの日のように顔を真っ赤にするアヴリー。
「ほっほ。バレとらんと思うとるのはお主だけじゃ」
「ざ、ザンディスさん!?」
「いや結構分かりやすいと思うけど?」
「ファーナも!?」
「えぇ…だから誰もアヴリーさんのこと口説こうとしないし…」
「だよね…」
「ミックくんにアリアちゃんまで!?」
「あれだけあやつの世話ばかり焼いとったら、そりゃ誰でも分かるじゃろ」
自分でさえ漠然としか気付いていなかった恋心を、周囲の親しい人たち全員に見抜かれていると、アヴリーだけが気付いていなかった。
「だからほら、アルさんが帰ってくるまで女磨いとかないと。じゃないと勇者さまに取られちゃうよ?」
「だっだから違うってば!?」
「そんな顔を真っ赤にして、説得力ゼロだからね?」
「う、ううう…」
30歳にして未だ恋する乙女なアヴリーである。彼女の恋路が実るかどうか、それはお天道様のみが知ることだろう。
声をかけられて振り向くとそこにはステファンが立っていて、その目がやる気に満ちている。
「ステファン、ダメよ。お家にいなさい」
「なんで!?私だってアヴリーとパパの役に立ちたい!」
「ダーメ。あなたはまだ学校を終えたばかりでしょ」
ステファンは今年12歳で、中等教育の学校を卒業したばかりだ。そして12歳と言えば、アヴリーが“輝ける虹の風”の凱旋パレードを見て憧れを抱いた年齢でもある。
そういう意味では、彼女が冒険者の派手な生活に憧れを抱いてもおかしくはない。彼女は幼い頃から店内を遊び場にしていて、マスターのひとり娘ということで冒険者たちにもよく可愛がられていたから、その意味で不安は少ない。それに彼女はここ数年の閑散とした店の状況も見て知っているから、余計に父の仕事を手伝いたくもあるのだろう。
だがまだ未成年の娘を大人の職場、それも酒場で働かせるわけにはいかない。
「ステファン、いつも言ってるだろ。お前にゃこの仕事は向かねえ」
マスターも困惑気味だ。父親を手伝いたいと言ってくれるのは嬉しいが、それ以上に娘の身の安全と健全な成長が大事だ。そういう葛藤が彼のいかつい顔に如実に出ている。
「イヤ!私だってできるもん!」
「いいや、できねえ」
「そうよステファン。パパの言うこと聞きなさい」
「子ども扱いしないでよ!」
「そうは言っても子供じゃねぇか。子供は子供らしくしていろ」
「あのねステファン。私も15歳になってすぐ、働かせてくれってこのお店に来たの。でもマスターに、あなたのパパに言われたわ」
アヴリーは身を屈めて、ステファンに目線を合わせてから諭すように優しく言う。
子供とは言えない、でも大人にはなりきれない、今のステファンや当時のアヴリーのような年頃の娘には、冒険者の酒場という『大人の職場』は確かにまだ早い。憧れるのは無理もないが、意気込みだけでできるほど生易しい仕事ではないのだ。
「…なんて?」
「まだ早い、って」
「…15歳になったのに?」
「そうよ。お酒が飲めるようになって、冒険者のお客さんたちが喧嘩しても仲裁できるように勉強も魔術も頑張って覚えてからまたおいで、って言われたわ」
今ならあの時のマスターの気持ちがアヴリーにはよく分かる。成長し、25歳になった今でさえ酔った冒険者に絡まれて手も足も出ない事さえあるのだから。
だが幸いにも、働き始めてからずっと彼女はマスターやジャネットなど先輩たち、それに客である古参の冒険者たちにも可愛がられていて、新参者などが酔って絡んできてもみんな彼女を助けてくれる。きっと彼女もそうしてみんなから可愛がられるだろうが、それでもせめて15歳になってお酒が飲めるようになるまでは待たせるべきだろう。
「だからね、今はステファンもたくさんお勉強して、いっぱいご飯食べて、大きく育ちなさい。あなたが大人になって働けるようになるまで私もマスターも待っていてあげるし、お店もなくなったりしないから」
「………………わかった」
ややあって、渋々とステファンは頷いた。どうやらこの場は納得してくれたようで、アヴリーはホッと息を吐く。
「でも、じゃあ…」
だがステファンが続けた言葉に彼女は狼狽することになる。
「アヴリー、ママになって」
「は?」
「んなっ!?」
アヴリーと、横にいたマスターとがふたりして思わず間抜けな声を出してしまう。
「だってママがいないと寂しいもん!アヴリーがママになってくれたら、おうちでも寂しくないもん!」
「い、いや…それは…」
そこまで言って、あとの言葉が続かない。今までアヴリーはマスターをそんな目で見たことはなかったし、それどころか父親みたいに思っていたのに。
というか自身の結婚など考えたこともない。漠然と心に思い描いている相手がいないでもなかったが、その人と結ばれることはないと分かっていたし、そういう自分でも処理しきれない無理めな恋心があったからこそ、陰で「嫁き遅れ」だと言われるようなこの歳まで結婚できずに独身でいるハメになっているのに。
何より、マスターは確かもう50になるはずだ。流石に自分の倍も生きている相手とそういう仲になるなんて、アヴリーにはとても考えられなかった。
「いいいやステファン!お前何言い出すんだ!?」
そしてアヴリー以上にマスターが狼狽えている。彼にとっても思ってもみない提案だったのがこれ以上ないほどよく分かる。
「だって今までもアヴリーはママみたいに優しくしてくれてたもん!」
「いやそれを言うならお姉ちゃんって言って!?」
アヴリー25歳、ステファン12歳。13歳差というのは確かにどっちつかずで、世間では未成年のその年頃で子供を産んでしまう早熟な娘がいないでもないから、確かに母子と言えなくもない年齢差ではあるのだが。それでもやっぱり母と言うには少し若すぎるし、何よりもアヴリーはステファンのことを歳の離れた妹みたいにしか思っていなかった。
だから、いきなり「ママになって」などと言われても困ってしまう。というかおそらくきっと、ステファンは「アヴリーが母親になる」ということの正確な意味も分かっていない気がする。
余談だが、ステファンの母ジャネットがもし生きていたら今年で35歳になる。そういう意味でもアヴリーはどっちつかずだ。
「い、いいからステファン!ほら、家に帰ろう、なっ?」
「ヤーダー!ママになってくれるまで帰らーなーいー!」
ステファンの手を握って半ば強引に家に戻そうとするマスター。
それに全身で抵抗するステファン。
実の父娘だというのを知っていなければ、まるで人攫いが少女を攫っているようにしか見えない。
「おお?なんだなんだ、マスターとアヴリーが結婚するって?」
「いいんじゃねぇか?男やもめと嫁き遅れで丁度いい組み合わせだと思うぞ」
「違ぇねえ!」
「ならないから!私とマスターはそんなんじゃないから!」
その場に居合わせた冒険者たちに口々に囃し立てられ、真っ赤になって否定するアヴリーであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして現在。
アルベルトが蒼薔薇騎士団に雇われて、東方世界へと再び旅立って行った、〈黄金の杯〉亭の店内。
殺しても死ななそうだったマスターも前年の暮れにふと拗らせた病で呆気なく死に、周囲の反対を押し切ってステファンがマスターを継ぎ、店には今年アヴリーが採用したニースが増えているが、その店からはアルベルトだけがいなくなっている。
「アヴリーさぁん。元気出しなよ~。いくら恋しいアルさんが居ないからって…」
「だっ誰が誰を恋しいって!?」
ニースの一言に、店の掃除の途中でつい手が止まってぼーっとしていたアヴリーが、目に見えて狼狽した。
「いやだから、アルさんのこと好きなんでしょ、アヴリーさん」
「そっそそそ、そんな事なわいよ!?」
「いやアヴリーさん、テンパりすぎ」
「あらあら~。アヴリーちゃんやっぱりそうだったのねぇ」
「ちっちっ違うからね!?」
ニースとホワイトに口々に囃され、5年前のあの日のように顔を真っ赤にするアヴリー。
「ほっほ。バレとらんと思うとるのはお主だけじゃ」
「ざ、ザンディスさん!?」
「いや結構分かりやすいと思うけど?」
「ファーナも!?」
「えぇ…だから誰もアヴリーさんのこと口説こうとしないし…」
「だよね…」
「ミックくんにアリアちゃんまで!?」
「あれだけあやつの世話ばかり焼いとったら、そりゃ誰でも分かるじゃろ」
自分でさえ漠然としか気付いていなかった恋心を、周囲の親しい人たち全員に見抜かれていると、アヴリーだけが気付いていなかった。
「だからほら、アルさんが帰ってくるまで女磨いとかないと。じゃないと勇者さまに取られちゃうよ?」
「だっだから違うってば!?」
「そんな顔を真っ赤にして、説得力ゼロだからね?」
「う、ううう…」
30歳にして未だ恋する乙女なアヴリーである。彼女の恋路が実るかどうか、それはお天道様のみが知ることだろう。
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