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第三章【イリュリア事変】
3-37.獣人族(2)
しおりを挟む「東方世界だと虎や猿、兎や猪なんかの獣人族もいるよ」
「おいちゃん、“虎”ってなん?」
「ああ、そうか、見たことないよね」
虎、とは東方世界にのみ棲息する大型の獣で、時には人を襲うこともある危険な猛獣である。主に森林に生息し、しなやかな体躯を巧みに駆って音もなく獲物を捕らえる恐るべきハンターだ。
「へえ、そげんとがおるったい。ならその獣人なら…」
「うん、狼人族よりは少しだけ小柄だけど、多分狼人族よりも強いんじゃないかな」
「狼人族より強いのなら、獣人族の中でも戦闘能力はかなり上ってことね」
「ただ、虎人族は東方でも東の方の華国に住んでる種族だから、東方に行っても会えるかは分からないけどね。昔ひとりだけ知り合った人がいるけど、その人も流れの冒険者だったし」
蒼薔薇騎士団の目的地はリ・カルン公国。東方世界のもっとも西の大河沿いの国である。対して華国は東方世界でも東の果ての方にある国だ。華国から延びる絹の道の終着点がリ・カルンなのだ。
「虎って…おっきな猫…?」
「んーまあ、確かに似てると言えば似てるかな」
「じゃあ…もふもふ?」
「毛並みは触らせてもらってないから分からないけど、確かにふわふわしてそうだったね」
「そっか…ふわふわ…もふもふ…」
どうやらクレアの中では虎人族はもふもふペットということでインプットされたようである。
ちなみに、西方世界において猫と言えば“二尾猫”のことである。姿形は地球上の猫とほぼ変わらず、だが長くしなやかな尻尾が二本ある。いわゆる猫又に近い。
知能も非常に高く、ある程度歳を経た個体は人語も解するようになる。そのため魔術も覚えることができ、悪さを覚えた個体は魔獣として扱われることもある。ペットとして人気が高いが、そういった危険性があるため子供が飼うことは難しいとされている獣だ。
ペットとして人気の獣と言えば他には“犬熊”が挙げられる。大型犬サイズの熊で、見た目には小熊にしか見えないがそれで立派な成獣である。飼い主には従順・忠実で勇敢でもあるため、番犬ならぬ「番熊」として中流階級以上の家庭で飼われることが多い。
「クレア、もしかしてペット欲しい?」
「欲しい!」
もふもふを想像してにやけているクレアを見たレギーナが何かを察して聞いてみると、案の定の答えが返ってきた。
だがそう言われても、遠征の旅の途中ではいかんともしがたい。
「[召喚]で使い魔でも呼んで[契約]したら良かっちゃない?」
話の流れにさり気なくミカエラが乗ってきた。クレアの実力なら二尾猫でも犬熊でも他の獣でも好きに喚べるだろうし、二尾猫が多少魔術を覚えたところで問題なく抑え込めるはずだ。
まあさすがに、氷狼なんかを喚ばれてしまっては少々面倒だが。
「使い魔は、ペットじゃないもん…」
だがミカエラの提案はあえなく却下された。
「うーん、ペットを飼うにしてもこの旅が終わってからの方がいいんじゃないかな…」
「まあねえ。世話するのも大変だものね」
アルベルトが苦笑し、ヴィオレが同意する。
「ペット…だめ…?」
クレアの顔がみるみる曇る。それを見て全員が何とかしてやりたいと思ってしまった。
イリュリアでの一件以来、アルベルトはクレアの“おとうさん”の立場を事実上公認されてしまっていた。というのも、彼女が“おとうさん”の匂いと声で正気を取り戻したのだと語ったからである。
要はミカエラが見立てた通りであったわけだが、そのことによってクレアの中での彼の重要性がさすがに無視できなくなってしまい、結局それ以降彼女が彼を“おとうさん”と呼ぶのを誰も止められなくなってしまったのだ。
そして、当のアルベルト自身も苦笑しつつ受け入れるしかなく、受け入れてしまえばその気になるいつもの性格を発揮して、すっかり彼はクレアを本当の娘のように感じるようになってしまっている。
本当の子供なんかひとりもいないのに、父親気分になってしまっていることに虚しさを覚えないでもなかったが、ひとたび受け入れてしまえば懐いてくるクレアは思いの外可愛かったのだ。
というわけで、クレアには姉3人に加えて父ができた。いずれも現実には実在しない存在だが今この場には間違いなくいるのだ。
いやヴィオレはどちらかというと母のような気がしないでもないが、多分姉で合っている。少なくとも本人は姉で通したいだろう。
「うーんだけど、まだ討伐が無事に成功するかも分からないからね」
ただそれはそれとして、アルベルトは娘を諭すように言う。
君たちには大事な役目があるのだから、と。
「だからペットを飼うなら、蛇王の封印を終えてエトルリアに戻ってからにしようね」
「…………わかった」
だからクレアも、渋々頷くしかなかった。
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