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第五章【蛇王討伐】

5-05.原因不明の体調不良

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「…………あー、死ぬかと思ったわ……」

 そう呟くレギーナが今いるのは、大河のリ・カルン公国側にある港に建てられている、休憩救護所の中である。アナトリア側の港にもある施設だが、大河渡河により乗客乗員の気分が悪くなったり怪我をしたりといった場合に備えて、割と本格的な医療施設が設けてあるのだ。
 あのあと人事不省に陥ったレギーナは乗務員たちの手で担架に乗せられ船を降り、この救護所に担ぎ込まれた。勇者としても王女としても有り得ない、黒歴史確定である。
 今の彼女は急遽カーテンで仕切って個室に仕立てた救護所のベッドに寝かされていて、救護所が常備している患者用の寝間着に着替えさせられている。

「姫ちゃん、着替えば持ってきたばい」
「…………ありがと、サイドテーブルそこ置いといて」

 レギーナは青い顔のままで、ベッドの上で身を起こす事もできない。
 ちなみにアルベルトは今ここにいない。彼はアプローズ号を船から下ろしたあと、そのまま車内で待機している。というかスズを気遣って側にいてやっている。銀麗も同様だ。
 ミカエラはそのアプローズ号が下ろされるのを待って車内に入り、寝室のクローゼットからレギーナの着替えを持ってきたわけだ。

 なおレギーナのベッドの隣にはもうひとつベッドが用意されていて、そこにはぐったりしたままのクレアが寝かされている。虚無顔のまま固まっていると思われていた彼女はすでに気絶していて、それで彼女も担架のお世話になった。
 そして彼女の意識は、まだ戻らない。

「貴女も顔色が相当悪いわよ。少し休んだらどうかしら?」

 レギーナとクレアに付き添っているヴィオレは青褪めたままだがまだ比較的元気そうである。だがミカエラは青いどころか血の気が引いて蒼白で、今にも倒れそうだ。

「いや、座ったらもう動っきらん動けないもん」

 ミカエラまで動けなくなると、ヴィオレだけではどうにもならなくなる。だからこそ彼女は無理をしているのだろう。ヴィオレとしては、無理をしたミカエラがひとり離れたところで倒れてしまうことの方を危惧しているのだが。
 だが意地になっているのか、ミカエラはヴィオレの忠告を頑なに聞こうとしなかった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「勇者殿、銀麗インリーだ。入っても宜しいか」

 と、その時、カーテンの向こうから銀麗の声がした。

「いいわよ、入って頂戴」
「では失礼する」

 起き上がる気力がなくてまだ着替え始めていなかったレギーナが許可を出し、カーテンの隙間からするりと銀麗が入ってくる。

「我が主からの提案だが」
「提案?」
「いつまでも救護所この場に留まっておっても宜しくなかろう。蒼薔薇号の車内の方がまだしも気が休まるであろうから、動けるうちに移ってはどうかと」

 なるほど、確かに一理ある。アプローズ号ならベッドもあるから休めるし、そのまま移動も可能だし、ある程度の魔術防御も施してあるから救護所よりは安全だろう。何より、初めて入った救護所よりは心身を落ち着けることができ、治療の手段もミカエラの調子さえ戻ればどうとでもなる。

「そう……ね。動けるうちに……」

 言いつつレギーナは隣に寝かされているクレアの方に顔を向けた。魔術師の少女は、船から担ぎ出された時の虚無顔とは打って変わって、今は額に玉のような汗を浮かべて苦しげに顔を歪めている。
 彼女たちは直接見ていないので分かりようもないが、クレアの苦しみようはティルカンで拐われた際の、魔力欠乏症のまま昏倒してうなされていたあの時の様子とも少し似ていた。

「……クレアの様子がおかしいのよね」
「ウチもそうっちゃけど、なんか体内の魔力マナがえらい落ち着かんとよね」

 レギーナの言葉に、ミカエラも同意を示す。先ほどからずっと顔が青いままなのは、船酔いなどではなく魔力の不調であるらしい。

「なんちゅうか、魔力マナのバランスのおかしいっちゅうか。⸺魔力マナ酔いとはまたなんか違うとよねえ」

 魔力酔いとは、急激に多量の魔力に晒されたりすることで起こる、一種の急性中毒症状である。魔力の高い者の身にははなかなか起こらないが、魔力なしの人物を中心に一定数の症例報告が西方世界の各所で毎年上がっている。
 どれほどの量をと魔力酔いの症状を起こすのかは人それぞれだが、霊力オド⸺人体を構成する魔力のことを特に霊力と称する⸺の高いクレアとミカエラが揃って似たような症状を来たしているとすれば、これはちょっと由々しき事態かも知れない。

「それは、まあ、慣れれば治る」

 だが事も無げに銀麗がそう言うので、全員が一斉に彼女を見た。

「慣れれば、治るの?」
「恐らくだが、西方と東方とで魔力のことわりが異なっている。われも西方に渡った直後は似たような症状を得たが、程なくして治まったゆえ問題はないはずだ」
「これだけ苦しそうなものを、問題ないと言われても俄には受け入れられないわね……」
「理が違う……?」
「まあ吾も詳しく解っているわけではない。そう推測しておるだけだ」

 そう言われてミカエラが思案顔になった。

「ほんなら、クレアの意識が戻ったら聞いてみうかね。こん子やったらなんかしら分かるやろ」
「…………じゃ、とりあえずアプローズ号に戻りましょうか」

 ということでレギーナは半ば無理やり身を起こして、ミカエラに持ってきてもらった衣服に着替えはじめた。
 時間をかけて着替える間にヴィオレが救護所の所員を呼んで退去の手続きをして、レギーナは強がって自力でアプローズ号まで歩いて行った。本当はヴィオレに肩を借りたいところだったが、さすがに人目のある場所では勇者としてもエトルリア王女としても弱いところを見せられなかったのだから仕方ない。その代わり、彼女はアプローズ号に乗り込むなり寝室の自分のベッドに突っ伏して眠ってしまったのだった。
 なお、クレアは銀麗が横抱きにして移動させた。

「……大河ば渡った直後やのに、あんたえらいずいぶん元気やない?」
「今回は仕立ての良い座席を得て揺れもさほどでもなかったのでな。自分でも意外と平気じゃと驚いておるよ」
「…………あれ、ほんなこつ大したことない揺れやったんや……」
「普段はどうだか知らんよ。だが吾は前回、頑丈な檻の中で天井と言わず壁と言わず叩き付けられ続けながら渡ったのでな。それに比べればどうという事も無かった」
「うわぁ……」

 銀麗は前回の大河渡河で、他の奴隷たちとともに大きな檻に押し込められたまま船倉に放置された。
 檻の中には座席も身体を固定する腰帯もなく、重い手枷足枷を嵌められたままの奴隷たちは渡河中ずっと檻の中で壁や床や天井に叩き付けられ続け、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。身体能力に優れる銀麗ができうる限り助けてやったものの、それでも手足を骨折する者が続出したし、当たりどころが悪くて命を落とした奴隷さえ出たのだった。
 それに比べれば座面が柔らかで作りのしっかりした座席に腰帯で固定され、全身に打ち身を作ることもなく渡河を終えられた今回は、銀麗にとっては天国のようだった。しかも今回は西方から東方への帰還であり、体内の魔力もなにやらしっくりと馴染んで調子が良い。そんなわけで、銀麗だけがやたら元気なのであった。





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