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07.情激の百合姫
しおりを挟む「お久しぶりです。一別以来、お変わりありませんか」
夜会の開始が宣言され、招待客たちが個々に主催である公爵夫妻に挨拶に向かう。アロガントのクラシーク侯爵家は招待客の中でも序列上位であり、すぐに順番が回ってきた。
公爵夫妻に挨拶と招待への礼を述べ、嫡男と儀礼的な挨拶を交わし、それから彼はおもむろに公女グロリオーサに目を向けた。
「ええ、久しぶりだわねアロガント卿。ご実家の爵位をお継ぎになったのですってね?」
公女グロリオーサはあの頃と変わらずたおやかな笑みで、だがあの頃とは比べ物にならないほど美しくなっていた。今が華やかに舞う蝶だとすれば、自分が最高の女だと憧れていた学生時代の彼女など、まだまだ蛹でしかなかったのだと痛感させられる。
婚姻したこと、外国の社交界で揉まれたこと、夫に先立たれたことまで含めて、そういった多くの経験が彼女をひと回りもふた回りも成長させたのだろう。そんな彼女が自分の顔と名前を覚えていたことに、思わず心中で快哉を叫んだ。
「それで今日は、おひとりかしら?ご婚姻なさったと伺ったのだけれど?」
だが続けてそう言われ、心胆が一気に冷えた。
そう。結婚したのは彼女だけではないのだ。アロガントもまた、子爵家からフォーニーを妻に迎えていたのだから。
「ご存知でしたか。ですが生憎と、妻は体調を崩しておりまして」
「まあ、それはいけないわ。それで、侍医の診断はなんと?」
既婚者の場合、こうした夜会には夫婦での参加が半ば常識である。妻を伴わぬというだけでも不仲を噂されかねず、それは下手すれば家門の不穏な噂にまで広がりかねない。
だが、人間誰しも体調や気分に波があるもので、夫婦揃って夜会に出ない場合には体調不良だと返しておくのが社交辞令として常態化している。だから彼もそう答えたのだが、まさか医者に診せたのかなどと問い返されるとは思わなかった。
「は、あ、いえ、軽度のものですので、安静にしていればそれで」
「そんなことでどうなさるの。懐妊なさっていらっしゃるかも知れないのに!」
「…………は?」
それだけは絶対にあり得ない。だって懐妊するような行為は何もしていないのだから。
だが万が一にもそんな事実を漏らすわけにはいかない。なのでここは、話を合わせておくしかないだろう。
「ああ、いや、婚姻からまだひと月も経っておりませんから、その可能性まで考えてはおりませんでした。ですが……そうですね。今からでも家に遣いをやって医師を呼ばせることと致しましょう」
「ええ、それがよろしいわ。奥方様もきっと不安に思っていらっしゃるでしょうから」
アロガントは振り返って、いつも連れている従者に小声で指示してその場から下がらせた。これですぐさま対応してくれたと彼女も安心したことだろう。
だがもちろん医者など呼ぶはずがない。従者は家庭の事情も愛人たちのことも全て知っているので、上手くやってくれるはずである。
その後、アロガントはグロリオーサと少し雑談を交わして一旦離れた。その後は再び友人知人と雑談を交わしつつ、ダンスタイムになるのを見計らって再び彼女に声をかけた。
招待客の大半はまず自分のパートナーと踊る。ひとりで来ている彼は、やはり相手のいないグロリオーサを誰よりも早く誘うことができたわけだ。
「失礼、ダンスにお誘いしても?」
「まあ、嬉しいわ。お相手して下さるのね」
艶やかな笑みで嬉しそうに誘いに応じる彼女に、これは脈アリだと心中でほくそ笑むアロガントであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
公女グロリオーサは噂通りに社交界に復帰し、たちまち人々の話題を独占した。元々国内の社交界でも最上位に位置する女性のひとりであり、出戻りとはいえ25歳の女盛りの彼女は男女問わず誰の目も惹き付けた。
アロガントは下心を悟られぬよう、夜会から敢えてしばらく間をおいてから観劇に誘った。学生時代からの古い付き合いということで、久々に帰国した彼女との旧交を温めるという名目だ。彼女の兄である三席補佐官からは訝しげな目を向けられはしたものの、彼も社交界復帰したばかりの妹の手助けには丁度よい相手だと考えたのか、表立っては何も言われなかった。
グロリオーサは誘いに応じてくれ、迎えに来たアロガントの馬車に同乗して観劇と食事を共にした。当たり障りのない会話で、だが努めて気分の上がる話題ばかりを選んで、アロガントは彼女の歓心を買うことに腐心した。
最終的には彼女と肉体関係を含めた深い仲になることが目的だが、極上にして最高の女である彼女は当然のごとく難攻不落である。だから焦りは禁物で、じっくりと攻めなくてはならない。そう簡単に落ちるような女ではないからこそ攻略のしがいもあるというものだ。
アロガントの妻フォーニーは原因不明の体調不良が続いて、今は領の静養地で療養していることになっている。だからアロガントの周囲には独身時代と同じく令嬢や夫人たちが群がって来るが、彼は持ち前の爽やかな笑みでスマートに躱し続けた。その裏でグロリオーサとの交流は欠かさず、彼女もパートナーのいない現状では何かとアロガントを頼りにしてくれている。
公女グロリオーサの帰国後、アロガントは愛人たちを全て捨てて別邸から追い出した。もちろん彼女たちからは涙混じりの抗議を受けたが、グロリオーサに比べれば彼女たちなど路傍の石以下でしかない。むしろこんな低能どもを相手にしてよく満足できていたものだと、彼は過去の自分にすら悪態を吐いた。
愛人たちを住まわせていた別邸も全て売却し、王都郊外にある閑静な別荘地に、小ぶりながらも格式高い別宅を新たに建築した。いつかここに、あの美しいグロリオーサを迎え入れるのが今の彼の目標である。その彼女との交流もつつがなく、彼女の方でも彼のほかには懇意にしている男性など居なさそうである。
全ては順調で、そしてアロガントの思い通りに事が運んでいる。そのことが彼の自信を幾重にも深めていた。
アロガントはグロリオーサを口説き落とすのに、実に約2年もの歳月をかけた。その過程で観劇の観覧席や夜会での休憩室など人目を避けられる状況を密かに作り上げ、何度も何度も口説きに口説いて、ついに彼は彼女を頷かせた。
妻との仲が政略であり最初から冷めきっていること、父の意向もあり今まで離婚には踏み切れなかったが、貴女と縁づくのならばきっと父の了承も取り付けられるはずだからと赤裸々に打ち明けられ、その上でどうか自分を選んでほしい、クラシーク侯爵家の正妻として迎えたいと熱烈に愛を乞われて、最終的に彼女は涙を流して喜び受け入れたのである。
「嬉しいわ、アロガントさま。夫に先立たれたわたくしが妻に望まれることなんてもうあり得ないと諦めていたのに。⸺本当に、わたくしを選んで下さるのね?」
「無論だよ。貴女のことは学生時代からずっと憧れていたんだ。でもあの頃は、貴女のまばゆさに目が眩むばかりで名乗りを上げるなど考えることさえできなかった。けれど宰相府の次席補佐官となり、襲爵も果たした今ならばこそ、貴女に相応しい男に成れたと自負している。どうかお願いだ、私の愛を受け入れてくれないか」
「本当に嬉しいわ。わたくしもね、学生の頃は心密かに貴方に憧れていたのよ」
「えっ、本当か?」
「嘘なんて言うわけないでしょう?ああ……わたくし、本当に貴方の妻になれるのね」
「もちろんだとも。私たちこそが真実の愛だったんだ!そうだと分かったからには、今の妻などどんな手を使ってでも別れてみせる。必ずや貴女を妻にしてみせると、今この場で真実の愛に賭けて誓うとも!」
今、ふたりが密会しているのは公爵家の別邸であり、グロリオーサの私邸として使われている邸である。仕える使用人たちはみなグロリオーサに忠実な口の固い者たちばかりで、アロガントとの逢瀬も手助けしてくれていた。
そんな邸の彼女の私室で、ふたりきり。今までは紳士であろうと努めて決して手を出さなかったアロガントだったが、真実の愛を確かめ合った上、婚姻歴のある彼女に対してはもう我慢も遠慮もいらなかった。
「ああ、愛しているグロリオーサ!」
「ええ、わたくしもよアロガント!」
熱烈な口づけを交わしたふたりは、そのまま朝まで思う存分、むさぼるように愛を交わしあった。アロガントにはそのめくるめく夜が、一生忘れられない最高の一夜になった。
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