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鬼の巻 上
盗賊ども女を攫うこと
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三人の影が、吉野川のほとりを動いていた。
外道丸は荷車を押しながら後ろを気にしている。もうすぐ馬を繋いだ隠れ家に到着する。
混乱の中幾人か逃げ出した奴がついてきていたが、野盗の足には追い付かない。暗闇の中、忌部の侍も彼らを見失っているようであった。
「うまくいったな」
荷車を引く鬼畜丸が声をかけてきた。
「葦方士のやつ上手く逃れたかのう」
「なに、やつが仕事をしくじることなどないわ」
計画通り奴を解放し、門を開ける手引きをした葦方士の姿だけがなかった。
三人は吉野川の河原に荷車を停める。中身には検討をつけていた。邪道丸は荷車に被せた麻袋を取り剥す。
「また大層なことだ」
麻布が山のようになっている。その中にいくらか真綿と絁が積んであった。大和の都から貨幣は広く使われるようになってはいたが、どこか信用がない。その点織物は手堅く流通している。
「大量だ」
鬼畜丸が真綿を手に取る。闇夜でもわかるほど艶があった。
外道丸は不機嫌そうに瓢に口を付けた。この男は酒が無かったことに不満を覚えていた。外道丸が小さく舌打ちをする。すでに瓢箪の中身も無くなっていたのである。
「仕事も済んだし帰るか」
不機嫌な外道丸を二人は呆れたように見た。
瞬間、人の気配が闇の中から漂う。三人は身構えた。
「誰だ?」
邪道丸が小さく、しかし鋭く闇に問いかける。はっきりと闇の中に荷車を押す音が聞こえてきていた。
「よせよせ。わしじゃ」
低くしわがれたような声に聞き覚えがあった。暗闇からのそりと現れた能面のような顔。葦方士がようやく追いついたのである。
「すまんな。遅れた」
三人は緊張を解いた。葦方士は小ぶりな荷車を引いている。やはり麻袋がかぶせられていた。
「なんだ。方士殿も持ってきたのか」
葦方士の口元が上がりわずかに笑ったように見えた。方士は荷車に手を入れ、小ぶりの瓶子を外道丸に投げてよこす。
瓶子を受け取った外道丸は蓋を開いた。
「流石は方士殿よ。ようわかっておられる」
遠慮なく外道丸は瓶子に口を付け、新しい酒を喉に流し込んだ。
「よい酒じゃ」
葦方士は顔色を変えずに頷くと、麻袋を取る。
瓶子が詰められた木箱、塩の壺。そして年若い女が一人、手と足を縛られたまま寝かされている。太くあまり手入れをしているようには見えない眉、大きな瞳に高い鼻。口も比較的大き目で黒い髪を束ねていた。
「なんだ。奴か?」
「逃げ遅れておったのでな」
鬼畜丸が女の頬を掴み見分してみせる。
「慰み物にしかならんぞ。連れていくのか?」
鬼畜丸と邪道丸が振り返り、鬼畜丸に顔を向ける。
「勝手にすればよい。主たち二人が飽いたら田吉に任せるがいい」
その言葉に鬼畜丸の表情がいやらしく変わる。加虐的な顔は鬼のように見えた。
◇
黒麻呂の屋敷の庭で、馬之助が待たされていた。
麻植での出来事で呼び出されたものと思い込んでいたが、どうやらそれだけではないようであった。
黒麻呂が姿を現す。表情は険しいものがあった。
「馬之助。聞いておいでか?」
「麻植の社の一件でございますな」
馬之助は裏をかかれたとは思っていない。都から讃岐経由で運ばれる品は、無事に届いいていた。牛市を彩るにはあまりあるほどの物資が揃っている。
黒麻呂の不機嫌を馬之助は何とも思っていなかった。土佐方面の守りを疎かにしたつもりはなかったが、兎追が出し抜かれるとは考えもしていなかった。
黒麻呂の声色には、怒りよりも困惑が強く滲み出た。
「左様。件の野盗のこと、少々困ったことになっておる」
「困ったこと?はて、黒麻呂殿には野盗どもに心当たりがございましたか?」
黒麻呂の眉が上がった。馬之助は扱い辛いところがあり、そこが癪に障る。
黒麻呂は駆け引きをやめ、本題に入ることにした。
「招き人がおる。馬之助殿にも会っていただきたい」
黒麻呂の表情が消えたことに、馬之助は姿勢を正した。
後ろの納戸が音もなく開き、身の丈が5尺八寸ほどの男が、二人の前に姿を現した。
頭は反り上げられ、みすぼらしい袈裟をきている。歳の頃は三十路には達していないであろう。太い眉、着物は擦り切れて汚れていたが、顔はどこか雅な風が漂い、凛々しくもあった。
「金剛峯寺より参りました。親水と申します」
馬之助は親水と名乗る僧侶に軽く頭を下げる。
黒麻呂が口元を扇子で隠した。
「親水殿、こちらは侍の馬之助でございます。馬之助、困ったことというのは…」
「忌部様、それは私からお話いたします。馬之助様どうかこちらへ。場所を変えましょう」
親水が馬之助を促す。二人は並び納戸を抜けて裏手へと向かった。黒麻呂もそれに付き従った。
「僧侶殿、何が起きたのでござろう?」
馬之助の問かけるよりも前に、裏手から出た草原に黒い塊が荷車の上に横たわっていた。近づくと異様な臭気を漂わせている。
「これは!?」
荷車に近づくとそれは死体であった。
目玉は抜け落ち空洞になり、舌も無くなっている。穴という穴から蛆が湧き、紫がかった皮膚の下で蠢いているのが見て取れた。
死体の服装は何とか狩衣とわかるが、それもいたるところが破けている。かろうじて首元に獣の歯型のような傷が見て取れる
「わしの使こうておった陰陽方士じゃ。数日前から行方が分からぬ様になっておったが、昨晩祈祷所でこうなっておったのを親水殿が見つけられた」
黒麻呂はあまり近づこうとしなかった。穢れを嫌ったのである。
「僧侶殿が?それは奇妙な」
親水は馬之助の嫌疑の目を受け流す。
「拙僧、修行で御大師様の霊場をめぐっております。まぁまだ始めたばかりなのですが、讃岐から阿波に来たところで、少し気になることが起きておりました」
親水が黒麻呂の表情を伺う。臭気に耐えられぬ表情であったが、黒麻呂は頷いた。
了承を得た親水は続ける。
「讃岐と阿波の国境からでありました。牛飼いどもが難儀をしているところを見かけることが多くなったのでございます」
馬之助は得心がいかない。牛飼いとこの陰陽師に何の因果があるのかわからなかった。
「牛でござるか?」
「左様、牛の病で疣が出来るのですが、それが阿波に近づくにつれて異常に多くなっておりました。この牛の疣、さほど珍しいものではありませんが、その数が異様に多いのです」
黒麻呂が手招きをする。やはり死体には近づき難いのであろう。
馬之助と親水は黒麻呂のほうへと戻った。
「わしの牛車の牛も疣が出ておった。そのとき親水殿に見てもらったのよ。だがどうも様子がおかしい」
親水が頷く。普通の牛疣とは様子が違っているのである。
「駆血を行い疣への血を停めると取れるのですが、取った先からまた新たなものが出来るのです。しかも他の牛へと移っている」
馬之助は話を黙って聞いていた。牛の疣や病について詳しいわけがない。仏僧の浸水がなぜこれほど詳しいのか不思議に思っている。
「西の遠国などでは牛の疱瘡がありますが、それともまた違う。牛痘は人にも移る危険があるらしいですが、これらはやはり疣なのでございます」
「その疣が牛同士で移るというのが奇妙だと?」
親水は馬之助の問に真顔で頷いた。移る牛疣などというものを聞いたことがない。
「黒麻呂様の牛を見せていただいたとき、合点がいきました。この牛疣、どうやら呪法でござる」
馬之助の顔色が変わる。呪法とうことは、何者かが呪いで広めているということである。
「呪法?しかしなぜそのようなことがわかるのでしょう?」
親水は、もう一度方士の死体へと近づき馬之助を招き寄せた。近づくと腐敗臭がきつくなる。首の後ろから何かに噛み千切られたか、引き千切られたかのような傷が、どす黒く変色し蛆が湧いている。
「この傷、おそらく疣を引きちぎられた後でございましょう。傷の大きさ根の深さ、どれを見ても牛疣のそれに近い。何らかの呪法で牛疣をこの方士に植え付けたとしか考えられぬのです」
親水が空間で疣を掴む真似をし、そのまま引き千切るように手を引く。食い千切られたように見えるのは、爪が食い込んだのであろう。
馬之助は思案する。方士の死体を見つめていたが、黒麻呂のほうへ声をかけた。
「黒麻呂殿、牛のほうは大事ないのですな?」
臭いに耐えきれず、馬之助は黒麻呂のほうへと戻る。親水もそれに続いた。呪法で殺されたならば、下人も方士の遺体に触れるのを躊躇うであろう。
「牛は大事無い。いや実のところかなり弱っておったが、方士がいなくなるのと同時に疣も瘤も出来なくなったのじゃ」
「では方士には何をさせておいででした?隠されては私も仕事がしづらい」
一拍の間があった。
「このところ暇にさせておった。失せ物を占わせたりはしておったがな」
黒麻呂の目が泳ぐ。どうも腹に一物抱えている様子である。しかし馬之助はそのことに触れはしなかった。
方士の死骸は変死体である。
首の後ろにできた疣か瘤かわからなかったが、それを食い千切られたか、引き千切られたかしているのである。人の力ではないのは一目でわかる。
「親水殿、牛疣を人に植え付けるなどということが出来るのでしょうか?」
親水の顔が難しいものになった。
牛疣を人に植え付け、それをもう一度引き千切るなどというおぞましい事は聞いたこともない。ただし親水は方士の傷口を見て思いいたることもある。
「このような呪法は聞いたことも見たこともありませぬ。しかし…」
親水は言い淀んだ。自分の考えを口に出すのも憚られるほどおぞましい考えが、親水の頭に浮かんでいる。
馬之助は青ざめた親水の顔をじっと睨んでいる。親水は吐き出すように呟いた。
「恐ろしい事ではありますが、おそらく人の体で牛疣を育てておったのではなかろうかと、思案しております」
◇◆
考えるのも怖気がつく邪法に当てられ、馬之助と黒麻呂は顔色が悪い。方士の死体を残して母屋の庭へと戻っていく。
「馬之助には悪いが、野党の一件とは別で、この趣味の悪い牛疣の呪法を広めておる者を探しだして欲しい。流石にこれほど忌まわしいことが広まると、百姓どもが怯えるのでな」
馬之助は黙って頷いた。今のところ百姓に犠牲があったという報はなかった。
「そうじゃ悪い話ばかりではない。例の野盗だが名が分かった。麻植の百姓どもにはよく知られているようじゃな」
「随分と派手にやっているようですからな。ただやはり土佐との国境にねぐらがあるようですな」
馬之助の探索はかなり広範囲になっていたが、確実に実を結んでいる。
「首魁の名は外道丸。ふざけた名乗りじゃ。大人数のように見せてはいるが、実のところ四人しかおらぬらしい」
馬之助は気色ばむ。百姓の噂話では、一味の人数にバラツキが多く二十人ほどはいると思い込んでいた。
「なるほど、足がつかぬわけだ」
黒麻呂が外道丸一味の報を得るために、どれほど乱暴な真似と、金銭を使ったか馬之助には想像がついた。荘園を管理する忌部氏の気苦労が伝わってくるようである。
「馬之助。そちは何としてでも外道丸一党を捕縛せよ。出来れば生きてとらえて欲しい。」
馬之助は黙って頷き了解を示す。馬之助の悩みは馬之助に隠している部分なのであろう。全てを話されていない馬之助にとって、黒麻呂の疑念と不安を解決する責任は何一つなかった。
外道丸は荷車を押しながら後ろを気にしている。もうすぐ馬を繋いだ隠れ家に到着する。
混乱の中幾人か逃げ出した奴がついてきていたが、野盗の足には追い付かない。暗闇の中、忌部の侍も彼らを見失っているようであった。
「うまくいったな」
荷車を引く鬼畜丸が声をかけてきた。
「葦方士のやつ上手く逃れたかのう」
「なに、やつが仕事をしくじることなどないわ」
計画通り奴を解放し、門を開ける手引きをした葦方士の姿だけがなかった。
三人は吉野川の河原に荷車を停める。中身には検討をつけていた。邪道丸は荷車に被せた麻袋を取り剥す。
「また大層なことだ」
麻布が山のようになっている。その中にいくらか真綿と絁が積んであった。大和の都から貨幣は広く使われるようになってはいたが、どこか信用がない。その点織物は手堅く流通している。
「大量だ」
鬼畜丸が真綿を手に取る。闇夜でもわかるほど艶があった。
外道丸は不機嫌そうに瓢に口を付けた。この男は酒が無かったことに不満を覚えていた。外道丸が小さく舌打ちをする。すでに瓢箪の中身も無くなっていたのである。
「仕事も済んだし帰るか」
不機嫌な外道丸を二人は呆れたように見た。
瞬間、人の気配が闇の中から漂う。三人は身構えた。
「誰だ?」
邪道丸が小さく、しかし鋭く闇に問いかける。はっきりと闇の中に荷車を押す音が聞こえてきていた。
「よせよせ。わしじゃ」
低くしわがれたような声に聞き覚えがあった。暗闇からのそりと現れた能面のような顔。葦方士がようやく追いついたのである。
「すまんな。遅れた」
三人は緊張を解いた。葦方士は小ぶりな荷車を引いている。やはり麻袋がかぶせられていた。
「なんだ。方士殿も持ってきたのか」
葦方士の口元が上がりわずかに笑ったように見えた。方士は荷車に手を入れ、小ぶりの瓶子を外道丸に投げてよこす。
瓶子を受け取った外道丸は蓋を開いた。
「流石は方士殿よ。ようわかっておられる」
遠慮なく外道丸は瓶子に口を付け、新しい酒を喉に流し込んだ。
「よい酒じゃ」
葦方士は顔色を変えずに頷くと、麻袋を取る。
瓶子が詰められた木箱、塩の壺。そして年若い女が一人、手と足を縛られたまま寝かされている。太くあまり手入れをしているようには見えない眉、大きな瞳に高い鼻。口も比較的大き目で黒い髪を束ねていた。
「なんだ。奴か?」
「逃げ遅れておったのでな」
鬼畜丸が女の頬を掴み見分してみせる。
「慰み物にしかならんぞ。連れていくのか?」
鬼畜丸と邪道丸が振り返り、鬼畜丸に顔を向ける。
「勝手にすればよい。主たち二人が飽いたら田吉に任せるがいい」
その言葉に鬼畜丸の表情がいやらしく変わる。加虐的な顔は鬼のように見えた。
◇
黒麻呂の屋敷の庭で、馬之助が待たされていた。
麻植での出来事で呼び出されたものと思い込んでいたが、どうやらそれだけではないようであった。
黒麻呂が姿を現す。表情は険しいものがあった。
「馬之助。聞いておいでか?」
「麻植の社の一件でございますな」
馬之助は裏をかかれたとは思っていない。都から讃岐経由で運ばれる品は、無事に届いいていた。牛市を彩るにはあまりあるほどの物資が揃っている。
黒麻呂の不機嫌を馬之助は何とも思っていなかった。土佐方面の守りを疎かにしたつもりはなかったが、兎追が出し抜かれるとは考えもしていなかった。
黒麻呂の声色には、怒りよりも困惑が強く滲み出た。
「左様。件の野盗のこと、少々困ったことになっておる」
「困ったこと?はて、黒麻呂殿には野盗どもに心当たりがございましたか?」
黒麻呂の眉が上がった。馬之助は扱い辛いところがあり、そこが癪に障る。
黒麻呂は駆け引きをやめ、本題に入ることにした。
「招き人がおる。馬之助殿にも会っていただきたい」
黒麻呂の表情が消えたことに、馬之助は姿勢を正した。
後ろの納戸が音もなく開き、身の丈が5尺八寸ほどの男が、二人の前に姿を現した。
頭は反り上げられ、みすぼらしい袈裟をきている。歳の頃は三十路には達していないであろう。太い眉、着物は擦り切れて汚れていたが、顔はどこか雅な風が漂い、凛々しくもあった。
「金剛峯寺より参りました。親水と申します」
馬之助は親水と名乗る僧侶に軽く頭を下げる。
黒麻呂が口元を扇子で隠した。
「親水殿、こちらは侍の馬之助でございます。馬之助、困ったことというのは…」
「忌部様、それは私からお話いたします。馬之助様どうかこちらへ。場所を変えましょう」
親水が馬之助を促す。二人は並び納戸を抜けて裏手へと向かった。黒麻呂もそれに付き従った。
「僧侶殿、何が起きたのでござろう?」
馬之助の問かけるよりも前に、裏手から出た草原に黒い塊が荷車の上に横たわっていた。近づくと異様な臭気を漂わせている。
「これは!?」
荷車に近づくとそれは死体であった。
目玉は抜け落ち空洞になり、舌も無くなっている。穴という穴から蛆が湧き、紫がかった皮膚の下で蠢いているのが見て取れた。
死体の服装は何とか狩衣とわかるが、それもいたるところが破けている。かろうじて首元に獣の歯型のような傷が見て取れる
「わしの使こうておった陰陽方士じゃ。数日前から行方が分からぬ様になっておったが、昨晩祈祷所でこうなっておったのを親水殿が見つけられた」
黒麻呂はあまり近づこうとしなかった。穢れを嫌ったのである。
「僧侶殿が?それは奇妙な」
親水は馬之助の嫌疑の目を受け流す。
「拙僧、修行で御大師様の霊場をめぐっております。まぁまだ始めたばかりなのですが、讃岐から阿波に来たところで、少し気になることが起きておりました」
親水が黒麻呂の表情を伺う。臭気に耐えられぬ表情であったが、黒麻呂は頷いた。
了承を得た親水は続ける。
「讃岐と阿波の国境からでありました。牛飼いどもが難儀をしているところを見かけることが多くなったのでございます」
馬之助は得心がいかない。牛飼いとこの陰陽師に何の因果があるのかわからなかった。
「牛でござるか?」
「左様、牛の病で疣が出来るのですが、それが阿波に近づくにつれて異常に多くなっておりました。この牛の疣、さほど珍しいものではありませんが、その数が異様に多いのです」
黒麻呂が手招きをする。やはり死体には近づき難いのであろう。
馬之助と親水は黒麻呂のほうへと戻った。
「わしの牛車の牛も疣が出ておった。そのとき親水殿に見てもらったのよ。だがどうも様子がおかしい」
親水が頷く。普通の牛疣とは様子が違っているのである。
「駆血を行い疣への血を停めると取れるのですが、取った先からまた新たなものが出来るのです。しかも他の牛へと移っている」
馬之助は話を黙って聞いていた。牛の疣や病について詳しいわけがない。仏僧の浸水がなぜこれほど詳しいのか不思議に思っている。
「西の遠国などでは牛の疱瘡がありますが、それともまた違う。牛痘は人にも移る危険があるらしいですが、これらはやはり疣なのでございます」
「その疣が牛同士で移るというのが奇妙だと?」
親水は馬之助の問に真顔で頷いた。移る牛疣などというものを聞いたことがない。
「黒麻呂様の牛を見せていただいたとき、合点がいきました。この牛疣、どうやら呪法でござる」
馬之助の顔色が変わる。呪法とうことは、何者かが呪いで広めているということである。
「呪法?しかしなぜそのようなことがわかるのでしょう?」
親水は、もう一度方士の死体へと近づき馬之助を招き寄せた。近づくと腐敗臭がきつくなる。首の後ろから何かに噛み千切られたか、引き千切られたかのような傷が、どす黒く変色し蛆が湧いている。
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