この愛がたとえ罪でも、あなたに出逢えてよかった。あなたをずっと愛しています。

吉乃

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聖都からの使者

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午後遅く、空を覆っていた雲がようやくわずかに裂け、淡い光が城の一角を照らし始めていた。
けれどそれは、ほんの束の間の晴れ間でしかなかった。

エリシアは部屋の窓辺に立ち、静かに空を見上げていた。
遠くに霞む山並みの輪郭が、かすかに金の縁取りを受けて輝いている。

(あの夢……あの赤い月……)

繰り返し浮かんでは消える映像。
そして、剣を抜いたあの影。

あれがノルディスだったのか、それすら確信は持てなかった。
だが、感じた痛みと恐怖だけは、確かだった。

エリシアはそっと胸元に手をあてた。

「何かが、近づいている……」

声は小さく、吐息のようだった。
けれどその言葉は、まるで空気の流れを変えるかのように、静かに部屋に響いた。



一方、ノルディスは軍議の席を終え、ひとり書庫へと足を向けていた。
普段であれば滅多に立ち寄ることのない静かな場所。
けれど今日は、どうしても確認したいことがあった。

彼の手が開いたのは、王家の歴史と神殿の関係を記した古い記録書。
月神を祀る巫女の系譜と、その力について記された断片的な言葉。

「月の神託を視る者には、未来を垣間見ることがある……か」

声に出すと、それは思いのほか自分の中にしっくりと収まった。

彼女が見た何か。
その表情。
あの揺れた瞳に宿っていたもの。
それは言葉にされなかったが、確かに何かを視た者の目だった。

(やはり、あの瞳に宿っていたのは……幻などではなかった)

それは予感ではなく、きっと警鐘。

エリシアが見たものが、もし本当に近づきつつある未来だとしたら──
自分がすべきことは、すでに決まっている。

彼は静かに本を閉じ、窓辺へと歩を進めた。

「……月が満ちるまで、そう遠くはない」

その言葉は、決意を込めた独白。

その夜、まだ誰も知らぬ場所で、月と炎は再び静かに交差しようとしていた。



城門を叩いたのは、白銀の法衣をまとう一団だった。
月神を奉じる聖都の使節。彼らは礼儀正しくも、どこか冷ややかな気配を纏っていた。

「聖姫をお迎えに参上いたしました」
その第一声に、城内がわずかにざわめく。

ノルディスは玉座にて彼らを迎えた。
かつて聖姫が王城に遣わされたとき、名目は“信仰と平和の証”だった。
だが今となっては、それが本当に友好のためだったのか、疑念が胸をよぎる。
冷ややかな視線の中で、使節団の筆頭が一枚の文書を差し出す。

「神殿の決定です。月が満ちる前に、聖姫は聖都へ戻らねばなりません。 これ以上の遅延は“神罰”を招く、と」

その言葉に、城内の空気が凍った。
ノルディスの中に、かすかな不信と怒りが灯る。
(聖都は、最初からこの時を見越していたのか……未来を視ていたかのような筋書きだ)

ノルディスの手が、わずかに椅子の肘を握る。
感情は表に出さなかった。だが、彼の目は確かに揺れていた。



その夜、エリシアは女官長から静かに告げられた。
「月の満ちる晩、あなたは聖都へ戻らねばならない」と。

言葉は淡々としていた。だが心は波打った。

(戻れば、きっともう‥‥)

あの夢が、現実になる予感。
赤い月の下で、剣を抜いた影と、倒れる白き影。
あれはただの幻ではない。そう確信に近づいていた。

(……私は、何を選ぶべきなの? そもそも、私に選ぶ権利などあるの……?)

静かに月を仰ぎながら、エリシアの胸の奥に、決意とは別の“痛み”が生まれていた。
それは、誰かに渡してしまえば、もう二度と戻らない気がする何かを――彼との時間を、心に咲いた温もりを――誰にも渡したくないという感情だった。祈りではなく、願い。
巫女として、あってはならない思い。

同じ頃、ノルディスは王の間に一人残っていた。
冷えた空気の中、誰もいない玉座の前で立ち尽くし、静かに拳を握る。

(このまま、彼女を連れて行かせてしまうのか……)

戦場でなら、奪われれば取り返せばいい。
だが今回は違う。力ではどうにもならないものに対する、焦り。

それでも彼の胸にあったのは、一度見たあの光景‥
庭で微笑んだ彼女の横顔。

(……あの光を、消させはしない)

彼は静かに、立ち上がった。
すでに、その心は決まっていた。



聖都、月神を頂く高き塔の下、厳格な沈黙が支配する神殿内。
一人の老巫女が、神託の間で香炉を前に膝をついていた。
その背後には、聖都評議会の長老たちが静かに控えている。

「……聖姫は、兆しを視たようですな」

「赤き月の夢を視た、と。記録に残された最悪の予兆にして、最大の力の覚醒でもある」

「聖姫としての役目を果たすときが来た、ということか」

「王城の者に情を移しているならば、なおさら早く戻さねばなりません」

声は冷たく、私情のかけらもない。

そのとき、老巫女が目を伏せたまま、かすかに呟いた。

「……その娘の命が尽きぬうちにな‥‥」


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