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聖都からの使者
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午後遅く、空を覆っていた雲がようやくわずかに裂け、淡い光が城の一角を照らし始めていた。
けれどそれは、ほんの束の間の晴れ間でしかなかった。
エリシアは部屋の窓辺に立ち、静かに空を見上げていた。
遠くに霞む山並みの輪郭が、かすかに金の縁取りを受けて輝いている。
(あの夢……あの赤い月……)
繰り返し浮かんでは消える映像。
そして、剣を抜いたあの影。
あれがノルディスだったのか、それすら確信は持てなかった。
だが、感じた痛みと恐怖だけは、確かだった。
エリシアはそっと胸元に手をあてた。
「何かが、近づいている……」
声は小さく、吐息のようだった。
けれどその言葉は、まるで空気の流れを変えるかのように、静かに部屋に響いた。
*
一方、ノルディスは軍議の席を終え、ひとり書庫へと足を向けていた。
普段であれば滅多に立ち寄ることのない静かな場所。
けれど今日は、どうしても確認したいことがあった。
彼の手が開いたのは、王家の歴史と神殿の関係を記した古い記録書。
月神を祀る巫女の系譜と、その力について記された断片的な言葉。
「月の神託を視る者には、未来を垣間見ることがある……か」
声に出すと、それは思いのほか自分の中にしっくりと収まった。
彼女が見た何か。
その表情。
あの揺れた瞳に宿っていたもの。
それは言葉にされなかったが、確かに何かを視た者の目だった。
(やはり、あの瞳に宿っていたのは……幻などではなかった)
それは予感ではなく、きっと警鐘。
エリシアが見たものが、もし本当に近づきつつある未来だとしたら──
自分がすべきことは、すでに決まっている。
彼は静かに本を閉じ、窓辺へと歩を進めた。
「……月が満ちるまで、そう遠くはない」
その言葉は、決意を込めた独白。
その夜、まだ誰も知らぬ場所で、月と炎は再び静かに交差しようとしていた。
城門を叩いたのは、白銀の法衣をまとう一団だった。
月神を奉じる聖都の使節。彼らは礼儀正しくも、どこか冷ややかな気配を纏っていた。
「聖姫をお迎えに参上いたしました」
その第一声に、城内がわずかにざわめく。
ノルディスは玉座にて彼らを迎えた。
かつて聖姫が王城に遣わされたとき、名目は“信仰と平和の証”だった。
だが今となっては、それが本当に友好のためだったのか、疑念が胸をよぎる。
冷ややかな視線の中で、使節団の筆頭が一枚の文書を差し出す。
「神殿の決定です。月が満ちる前に、聖姫は聖都へ戻らねばなりません。 これ以上の遅延は“神罰”を招く、と」
その言葉に、城内の空気が凍った。
ノルディスの中に、かすかな不信と怒りが灯る。
(聖都は、最初からこの時を見越していたのか……未来を視ていたかのような筋書きだ)
ノルディスの手が、わずかに椅子の肘を握る。
感情は表に出さなかった。だが、彼の目は確かに揺れていた。
*
その夜、エリシアは女官長から静かに告げられた。
「月の満ちる晩、あなたは聖都へ戻らねばならない」と。
言葉は淡々としていた。だが心は波打った。
(戻れば、きっともう‥‥)
あの夢が、現実になる予感。
赤い月の下で、剣を抜いた影と、倒れる白き影。
あれはただの幻ではない。そう確信に近づいていた。
(……私は、何を選ぶべきなの? そもそも、私に選ぶ権利などあるの……?)
静かに月を仰ぎながら、エリシアの胸の奥に、決意とは別の“痛み”が生まれていた。
それは、誰かに渡してしまえば、もう二度と戻らない気がする何かを――彼との時間を、心に咲いた温もりを――誰にも渡したくないという感情だった。祈りではなく、願い。
巫女として、あってはならない思い。
同じ頃、ノルディスは王の間に一人残っていた。
冷えた空気の中、誰もいない玉座の前で立ち尽くし、静かに拳を握る。
(このまま、彼女を連れて行かせてしまうのか……)
戦場でなら、奪われれば取り返せばいい。
だが今回は違う。力ではどうにもならないものに対する、焦り。
それでも彼の胸にあったのは、一度見たあの光景‥
庭で微笑んだ彼女の横顔。
(……あの光を、消させはしない)
彼は静かに、立ち上がった。
すでに、その心は決まっていた。
*
聖都、月神を頂く高き塔の下、厳格な沈黙が支配する神殿内。
一人の老巫女が、神託の間で香炉を前に膝をついていた。
その背後には、聖都評議会の長老たちが静かに控えている。
「……聖姫は、兆しを視たようですな」
「赤き月の夢を視た、と。記録に残された最悪の予兆にして、最大の力の覚醒でもある」
「聖姫としての役目を果たすときが来た、ということか」
「王城の者に情を移しているならば、なおさら早く戻さねばなりません」
声は冷たく、私情のかけらもない。
そのとき、老巫女が目を伏せたまま、かすかに呟いた。
「……その娘の命が尽きぬうちにな‥‥」
けれどそれは、ほんの束の間の晴れ間でしかなかった。
エリシアは部屋の窓辺に立ち、静かに空を見上げていた。
遠くに霞む山並みの輪郭が、かすかに金の縁取りを受けて輝いている。
(あの夢……あの赤い月……)
繰り返し浮かんでは消える映像。
そして、剣を抜いたあの影。
あれがノルディスだったのか、それすら確信は持てなかった。
だが、感じた痛みと恐怖だけは、確かだった。
エリシアはそっと胸元に手をあてた。
「何かが、近づいている……」
声は小さく、吐息のようだった。
けれどその言葉は、まるで空気の流れを変えるかのように、静かに部屋に響いた。
*
一方、ノルディスは軍議の席を終え、ひとり書庫へと足を向けていた。
普段であれば滅多に立ち寄ることのない静かな場所。
けれど今日は、どうしても確認したいことがあった。
彼の手が開いたのは、王家の歴史と神殿の関係を記した古い記録書。
月神を祀る巫女の系譜と、その力について記された断片的な言葉。
「月の神託を視る者には、未来を垣間見ることがある……か」
声に出すと、それは思いのほか自分の中にしっくりと収まった。
彼女が見た何か。
その表情。
あの揺れた瞳に宿っていたもの。
それは言葉にされなかったが、確かに何かを視た者の目だった。
(やはり、あの瞳に宿っていたのは……幻などではなかった)
それは予感ではなく、きっと警鐘。
エリシアが見たものが、もし本当に近づきつつある未来だとしたら──
自分がすべきことは、すでに決まっている。
彼は静かに本を閉じ、窓辺へと歩を進めた。
「……月が満ちるまで、そう遠くはない」
その言葉は、決意を込めた独白。
その夜、まだ誰も知らぬ場所で、月と炎は再び静かに交差しようとしていた。
城門を叩いたのは、白銀の法衣をまとう一団だった。
月神を奉じる聖都の使節。彼らは礼儀正しくも、どこか冷ややかな気配を纏っていた。
「聖姫をお迎えに参上いたしました」
その第一声に、城内がわずかにざわめく。
ノルディスは玉座にて彼らを迎えた。
かつて聖姫が王城に遣わされたとき、名目は“信仰と平和の証”だった。
だが今となっては、それが本当に友好のためだったのか、疑念が胸をよぎる。
冷ややかな視線の中で、使節団の筆頭が一枚の文書を差し出す。
「神殿の決定です。月が満ちる前に、聖姫は聖都へ戻らねばなりません。 これ以上の遅延は“神罰”を招く、と」
その言葉に、城内の空気が凍った。
ノルディスの中に、かすかな不信と怒りが灯る。
(聖都は、最初からこの時を見越していたのか……未来を視ていたかのような筋書きだ)
ノルディスの手が、わずかに椅子の肘を握る。
感情は表に出さなかった。だが、彼の目は確かに揺れていた。
*
その夜、エリシアは女官長から静かに告げられた。
「月の満ちる晩、あなたは聖都へ戻らねばならない」と。
言葉は淡々としていた。だが心は波打った。
(戻れば、きっともう‥‥)
あの夢が、現実になる予感。
赤い月の下で、剣を抜いた影と、倒れる白き影。
あれはただの幻ではない。そう確信に近づいていた。
(……私は、何を選ぶべきなの? そもそも、私に選ぶ権利などあるの……?)
静かに月を仰ぎながら、エリシアの胸の奥に、決意とは別の“痛み”が生まれていた。
それは、誰かに渡してしまえば、もう二度と戻らない気がする何かを――彼との時間を、心に咲いた温もりを――誰にも渡したくないという感情だった。祈りではなく、願い。
巫女として、あってはならない思い。
同じ頃、ノルディスは王の間に一人残っていた。
冷えた空気の中、誰もいない玉座の前で立ち尽くし、静かに拳を握る。
(このまま、彼女を連れて行かせてしまうのか……)
戦場でなら、奪われれば取り返せばいい。
だが今回は違う。力ではどうにもならないものに対する、焦り。
それでも彼の胸にあったのは、一度見たあの光景‥
庭で微笑んだ彼女の横顔。
(……あの光を、消させはしない)
彼は静かに、立ち上がった。
すでに、その心は決まっていた。
*
聖都、月神を頂く高き塔の下、厳格な沈黙が支配する神殿内。
一人の老巫女が、神託の間で香炉を前に膝をついていた。
その背後には、聖都評議会の長老たちが静かに控えている。
「……聖姫は、兆しを視たようですな」
「赤き月の夢を視た、と。記録に残された最悪の予兆にして、最大の力の覚醒でもある」
「聖姫としての役目を果たすときが来た、ということか」
「王城の者に情を移しているならば、なおさら早く戻さねばなりません」
声は冷たく、私情のかけらもない。
そのとき、老巫女が目を伏せたまま、かすかに呟いた。
「……その娘の命が尽きぬうちにな‥‥」
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