鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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静かな誓いと不安

式の日の朝、空は見事なほど晴れわたっていた。

 宮廷付の聖堂は白い布と花で飾られ、鐘の音が遠くから鳴り響いていた。
 カタリーナは侍女たちに囲まれながら、鏡の前に静かに座っていた。

「とても……お綺麗です、カタリーナ様」

 侍女の一人が涙ぐみながらそう言ったとき、カタリーナは微笑んで頷いた。

 鏡の中に映るのは、儀礼に沿った純白のドレスを身にまとった自分。
 華やかに髪を結い上げられ、いつもより幾分大人びた自分の顔。

 でも、その目の奥には、ほんの少しだけ戸惑いが揺れていた。

 

 結婚式は、予定通り淡々と進んだ。
 聖堂の奥で神官が聖句を唱え、貴族の列席者たちが静かに見守る中、
 レオナルドは、変わらぬ静けさで指輪を彼女の薬指に通した。

「あなたを、守ると誓いますか?」

 神官の問いかけに、彼は短く「はい」と答えた。

 カタリーナもまた、同じように答えた。

 言葉は交わされた。けれど、彼の目が深くこちらを見ることはなかった。

 あのとき、ほんの少しだけ思っていた。
 ──もしかしたら、式の前にでも、何か言葉があるかもしれない。
 たったひと言でも「幸せになろう」って、言ってくれたら嬉しいな、って。

 でもそんなことを思う自分が、子どもじみているようで言えなかった。

 

 披露宴の席。
 金と白を基調とした大広間には花々が飾られ、長く伸びる絨毯と高い天井が、この日の特別さを際立たせていた。

 笑い声、乾杯の音、奏者たちの穏やかな弦の調べ。
 賓客たちの話し声は絶えず、満面の笑みを浮かべる貴族たちがグラスを掲げていた。

「まあカタリーナ、お美しいわ! 本当にお人形のよう!」
 幼なじみの友人が、目を潤ませながら手を取ってくる。

「これであなたも奥様ね……。きっと幸せになるわ」

 カタリーナは、微笑んで頷いた。
 笑顔は自然に浮かんだけれど、胸の奥の深いところは、少しだけ冷えていた。

 

 義母は、貴婦人らしい優雅さでグラスを持ちながら、周囲に穏やかな微笑を返していた。
 装いは控えめながらも上質で、立ち居振る舞いには年輪を重ねた誇りがにじんでいた。

 彼女は名門の出身で、かつては王家にも連なる一族の姫君だったと聞いている。
 政治家や宮廷関係者を数多く輩出してきた家柄に生まれ育ち、立ち振る舞いひとつにも教養と威厳が宿っていた。

 そんな義母が、遠くからカタリーナに視線を向けたとき、わずかに頷きはしたが
 そこに歓迎の色はなかった。

 ──ああ、私はまだ、この人の中では“他家の娘”なのだ。

 言葉をかけてくることはなく、祝福の抱擁もなかった。
 ただ、形式の中で“息子の選んだ花嫁”として、穏やかに見守っているだけ。

 

 レオナルドの他の親族たちも、似たような空気を纏っていた。

 その多くが政界や学術の要職に就く人物で、常に理性を重んじ、感情を交えない会話を好む。
 だからこそ、カタリーナのように明るく感情を表に出すタイプの女性は、彼らの中ではやや浮いた存在に映ったのかもしれない。

 親族の一人が言った。

「まあ、華やかな方ですね。セレスタ家の雰囲気とは少し違って新鮮です」

 それは褒め言葉にも、皮肉にも聞こえる言い回しだった。

 

 カタリーナは微笑みを返しながらも、自分の中で小さく身を縮めた。

 ──ここでは私は、誰かの妻という肩書きでしか見られていないのかもしれない。

 温かい拍手に包まれながらも、その内側にある沈黙の深さが、少しずつ胸に広がっていった。
 そんな一言を誰かが発した。
 それは褒め言葉にも、皮肉にも聞こえる曖昧な言葉だった。

 

「レオナルド様、やはり立っているだけで絵になるわ。奥様も羨ましいでしょう?」
「ふたりは本当に理想的なご夫婦に見えるわね」
「早くお子様のお顔が見たいものですわ」

 言葉の一つひとつに悪意はなく、むしろ祝福だった。
 けれどその賑やかさの中で、ふたりきりの会話は一度もなかった。

 レオナルドは礼儀正しく、誰に対しても丁寧に応じていた。
 隣にいるカタリーナにも、差し出される飲み物に手を添える程度の気遣いはあった。

 でも、それだけだった。

 

 その場にふたりは“並んで”いた。
 けれど、“寄り添って”はいなかった。

 周囲の視線に背筋を伸ばして微笑むレオナルドの隣で、カタリーナはふと横顔を見上げた。

 少しでも、こちらを向いてくれたら。
 「疲れてないか?」とか、「緊張してないか?」とか……たったひと言でも、何か気遣う言葉があったなら。

 そう思ってしまった自分が、少しだけ情けなくもあった。
 けれど、本当に欲しかったのは、贅沢な言葉や贈り物じゃない。
 “いま、この瞬間”に心を寄せてくれる、ほんのささやかなぬくもりだった。

 

 誰もが祝福してくれるのに、心の奥は不思議なほどに静かだった。

 あたたかな言葉が降り注ぐほど、どこかで「私はいま、ひとりなのかもしれない」と思ってしまった。

 この人となら、幸せになれる。
 そう信じたはずだった。

 けれど、気づかないふりをしていた心の小さな穴に、今日の光がすっと差し込んでしまったのかもしれない。

 結婚式は、ふたりの始まりの日。
 一生に一度の大切な瞬間‥‥そのはずなのに、レオナルドの横顔は、何も語ってはくれなかった。

 けれど。

 それでも私は、信じたかった。
 大丈夫、大丈夫。
 時間を重ねれば、ちゃんと向き合えるようになる。
 あの人なりの優しさに、きっといつかちゃんと気づける日が来る。

 心に浮かんだ不安を、そっと包み隠すようにカタリーナはもう一度、微笑んだ。

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