鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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緩やかな日常で

ティモシオに赤ちゃんのことを伝えてからというもの、カタリーナの周囲はほんの少しだけ、華やぎを増した。

日差しの柔らかい昼下がり、窓辺に並んだ小さな靴やベビードレスの布地。
侍女たちが穏やかに笑いながら縫い針を進め、カタリーナはそのそばで静かに糸を巻いていた。

レオナルドもまた、日々の執務の合間に顔を出し、何かと気にかける素振りを見せるようになった。

「足元は冷やすなよ。……薬草茶は、ちゃんと飲んでいるか?」

そんな言葉を不器用に紡ぐ彼の背中に、カタリーナはどこか安堵を覚える。

何も変わらなかった日々を知っているからこそ、
小さな変化が、かけがえのない光に見えた。

ある日、義母からの手紙が届いた。

『ティモシオの成長を楽しみにしております。
そして、今度の子が無事に生まれてくれることを心より願っております。
春の終わり頃、お伺いできればと思います』

文字は端正で、丁寧。
けれど、そこにほんの少しだけ、柔らかい温度が添えられているように感じた。

そのことを伝えると、レオナルドはふと窓の外を見ながらつぶやいた。

「……母は昔から、言葉が足りない。けれど、悪い人間じゃない」

それだけの言葉でも、彼の家族と向き合おうとする姿勢が、カタリーナには嬉しかった。

夜。ティモシオがすやすやと寝息を立てる寝室で、カタリーナはベッドの縁に腰を下ろしていた。

隣には、いつの間にか彼女の読んでいた本を手にしたレオナルド。

「……これ、面白いのか?」
「ええ。赤ちゃんが生まれたあと、子どもとの関わり方について書いてあるの」

レオナルドは少し眉を上げ、そしてそのまま数ページを静かにめくった。

「……俺にも、できるだろうか」

そのつぶやきは、誰に向けたものでもないように響いた。
けれど、そんなふうに言葉をこぼしてくれたことが、カタリーナには嬉しかった。

けれどカタリーナは、そっと頷いて微笑んだ。

「あなたなら、大丈夫。……だって、ティモシオも、ちゃんと見てるもの」

その言葉に、レオナルドの手がそっと本を閉じた。

静かな夜の中に、確かなぬくもりが宿っていた。

そして、日々はゆっくりと過ぎていった。
カタリーナのお腹は日に日に大きくなっていったが、二人目だからか、彼女の心にはどこか余裕があった。
ティモシオのときには感じる暇もなかった小さな幸せに、今回はひとつひとつ気づくことができた。
赤ちゃんが動くたびに、そっとお腹に手を添え、静かに語りかける時間。それが、彼女の日常のなかで特別なひとときとなっていた。

不思議なことに、レオナルドが隣にいるときは、赤ちゃんはよく動いた。ぽこぽこと愛おしい動きに、ふたりして笑い合うこともしばしばあった。
レオナルドは恥ずかしそうにしながらも、時折お腹にそっと声をかけ、「元気か?」と囁くこともあった。

ティモシオもまた、お兄ちゃんになる喜びを胸に、お腹に手を当てて「早く会いたいね」「遊んであげるからね」と、まるで語り部のように声をかけていた。
その小さな手が赤ちゃんに触れるたび、カタリーナの胸はあたたかさで満たされた。

だが、そんな穏やかな日常のなか、ある午後のことカタリーナはティモシオと中庭を散歩していた最中に、ふいに足を止め、腹部に異変を覚えた。
息を呑むような鈍い痛みが広がり、思わずベンチに手をついて座り込む。

「おかあさま?」

ティモシオが不安そうに覗き込むが、カタリーナは薄く笑って彼の手を握った。
近くにいた侍女がその様子に気づき、目を見開いて駆け寄る。

「奥様……!」

慌ててカタリーナの背を支えながら、侍女は「奥様、大丈夫ですか?」と声をかけ、もう一人の侍女に合図を送った。

二人目の侍女がすぐさま駆けて行き、助けを呼びに屋敷の方へ向かった。 

けれどティモシオは離れようとせず、不安げな表情でカタリーナの手をしっかりと握ったまま「おかあさま、大丈夫?」と声をかけた。

そのまなざしにカタリーナは微笑み、「ありがとう。でも、もう少しここにいてくれる?」と声をかけた。

ティモシオはうなずき、カタリーナの手を握ったままじっと傍らに寄り添った。

一人の侍女は屋敷へと走り、医師と執事を呼びに行っていたが、残されたもう一人の侍女は、カタリーナとティモシオのそばにひざをつき、心配そうに様子を見守っていた。

「ティモシオ様、大丈夫です。お母さまは強い方ですから」

そう優しく声をかけながら、侍女はそっとカタリーナの肩を支えた。

その言葉にティモシオは小さく頷き、ぎゅっと母の手を握りしめた。

カタリーナはそのぬくもりに微笑みながら、呼吸を整えるように目を閉じた。
(……来たのかもしれない)

その頃、レオナルドは領内の会合のため屋敷を離れていた。
連絡を受けてすぐに馬を走らせたが、屋敷に戻るにはまだ時間がかかる。

急いで医師が呼ばれ、侍女たちが慌ただしく部屋を整えている頃、
カタリーナは静かにベッドへと運ばれていた。

すぐに医師が到着し、丁寧に脈を取りながら陣痛の間隔を確認した。
「間もなく本格的な陣痛に入ります。心の準備を……」

医師の静かな声に、カタリーナは深くうなずいた。
額には汗がにじみ、息を整えるごとに痛みが波のように押し寄せてくる。

レオナルドがいないことへの不安が、ふと頭をよぎる。
(どうしてこんなときに……でも、あの人ならきっと……)

執事が馬を駆けて使いを出したと聞いていた。
遠方にいたレオナルドはすぐに会合を中断し、何も言わず馬にまたがって、懸命に屋敷へ戻ろうとしていた。

そのことを知らないカタリーナは、ただひたすら痛みに耐えながら、遠くを見つめるようなまなざしで天井を仰いだ。
不安と期待がないまぜになる中で、どこかで感じていた。
(あなたが今、駆けつけようとしてくれているなら、それだけでいい)

けれど今は、自分がしっかりしなければ。そんな思いで、カタリーナは唇を噛んだ。

やがて部屋の中に助産師と侍女たちが揃い、出産の準備が整う。
医師が合図を送ると、助産師たちが素早く動き出し、温かいタオルや薬草湯を用意しながら、カタリーナのそばについた。
侍女たちもそれぞれの持ち場につき、医師と助産師の指示に従って動いていた。

産声を迎えるための静かな緊張が室内を包んでいた。

「奥様、深く息を吸って……次の痛みが来たら、いきんでください」

その声に導かれるように、カタリーナは目を閉じ、命を迎えるための一歩を踏み出した。



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