鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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静かなる糸口

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王都に滞在して四日目の朝。

薄曇りの空の下、宿舎の中庭に柔らかな光が差し込む。石の小径には朝露が残り、時折、鳥のさえずりが静寂を切り裂くように響いていた。

カタリーナは白湯を片手に、書きかけの日記を閉じた。
昨夜は眠りが浅く、夢とも現ともつかぬ過去の記憶が胸をざわつかせたままだった。

そんなとき、控えめなノックの音が響く。

「奥様、お目覚めのところを失礼いたします」

侍女長マルタの声だった。

「どうぞ」

扉を開けて入ってきたマルタは、いつもと変わらぬ姿勢で礼をとったが、眉間にはわずかな影が差していた。

「何か、あったのね?」

カタリーナが尋ねると、マルタは一歩近づき、声を落として言った。

「はい。昨夜、城下の知人を通じて、宮廷内で交わされている話をいくつか聞き及びました」

カタリーナは言葉を待ち、黙って頷いた。

「まず、ナドリア子爵家の令嬢──ソフィア様が、近頃“公爵家とのご縁談をほぼ確定した”との噂が、側近筋で広まっております」

「……確定?」

「はい。ですが、おかしな点がございます」

マルタは声をひそめ、慎重に言葉を選んだ。

「本来、そのような話は、公的な手続きを経て正式に広報されるものですが……今回の縁談については、異様なまでに静かなのです。侍従や文官の一部はすでに知っているようですが、上層には情報が届いておらず、あえて話すなと口止めされている節がございます」

「つまり、裏で何かが動いている……?」

マルタは小さく頷いた。

「そう感じております。しかも、その話が急に出始めたのはここ二か月ほど。レオナルド様が任地から戻られたのと、ほぼ同時期です」

「……レオナルド様が外地から王都へお戻りになったのは、およそ二か月前です」

「外地……?」

マルタは静かに頷いた。

「はい。三年間、属領や国境地帯で和平交渉を担当されていたとのこと。王命による極秘任務だったそうです。通信も制限されていた、と……」

「……そんな話、何も知らなかった」

「ええ、わたくしも。ですが今、彼が王都に戻り、ナドリア子爵家の令嬢との縁談が急速に進められているというのは、偶然とは思えません」

カタリーナは視線を落とし、しばらく黙っていた。
指先がわずかに震え、薄いカップの縁に音が立つ。

静かに息を吐き、言葉を絞り出すように呟いた。

「……あの人は、私たちをどうするつもりなの?」

家族を。
あの子たちを。
そして、共に歩んできた私の存在を。

彼は何を思って、沈黙し、何を見て、戻ってきたのか。

けれど今は、まだ問いただすには早い。
その答えを知るには、まだ足りないことがある。

カタリーナは無意識に指先を握りしめていた。

「戻ってきてから……誰にも知らせず、彼はその人と……」

言葉の途中で、喉がつまった。

「……いえ。まだ決まったわけではないわ。噂が事実とは限らない」

自分に言い聞かせるように、ゆっくりと息を吸い込む。

「マルタ……引き続き動いてくれる? ソフィア様について、彼女の周囲で動いている人物たちを知りたい。
とくに、義母上の関与があるかどうかを‥もう少し、深く調べてほしい。
彼女のことも、義母上の動きも。すべて、洗い出したいの」

「かしこまりました、奥様。細心の注意を払って、調べてまいります。
必ずや、お力になります。」

「お願いね……もう後戻りはできないもの」」

その言葉に、カタリーナはようやく視線を上げた。
マルタが去ったあと、カタリーナはカップをそっと置き、窓の外を見つめた。

空は、灰色の雲の奥に、かすかな陽の気配を隠している。

その曇りが晴れるのは、いつになるのだろう。

真実は、すぐそこにある。
だが、それが光か影かを知るまでは、まだ少し、時間がかかりそうだった。

*****

その日は、街路に春の名残を感じさせる風が吹いていた。

カタリーナは、人目を避けるように控えめな装いで王都の中央区を歩いていた。視線の先には、貴族令嬢たち御用達の香水店。
そこに、とある古い名前が登録されているという情報を、マルタが掴んでいた。

「ナドリア令嬢は、ここのオリジナル香水を長年使われているそうです。
もしかすると、周囲の話が聞けるかもしれません」

そう言ってマルタは、慎重な調査の必要性を伝えていた。

カタリーナが店先に足を踏み入れた瞬間、聞き覚えのある声が、奥から聞こえてきた。

「……はい、それでは次回の分は一週間後に。香りは以前のままで」

懐かしい声音に、カタリーナの胸がかすかにざわつく。

振り返ったその女性と、目が合った。

「……奥様?」

「……クラリス?」

クラリス。。かつてカタリーナに仕えていた侍女。
結婚を機に実家へ戻り、のちに王都のある上級貴族家に再仕官していたと聞いていた。

「まあ……まさか、王都でお会いできるなんて」

クラリスは驚きながらもすぐに笑顔を浮かべ、深く礼をとった。

「変わらないわね、クラリス。……少し、大人びたかしら」

「奥様こそ、あの頃よりもずっと……奥様の眼差しに、強さと静けさが宿っているように思えます」

その言葉に、カタリーナはふっと微笑んだ。
それは、嬉しさと少しの寂しさを混ぜたような、穏やかな笑みだった。

控えめなやりとりのあと、二人は人気の少ない店奥のソファに腰を下ろした。

「実は……今、あなたの仕えるご令嬢のことを少し調べていて」

カタリーナが言うと、クラリスはほんのわずかに目を伏せた。

「……やはり、そうでしたか。わたくしの口から話して良いのかどうか、迷っておりました。
でも……奥様になら、いいでしょう」

クラリスは声を潜めて語りはじめた。

「ソフィア様は、表向きには穏やかで聡明な方です。
ですが……どこか、言葉にできない違和感があるのです。感情の起伏がなく、何をしてもこうあるべきという形に従うだけで……まるで、自分の意志で生きていないような」

「……型に嵌められた?」

「はい……それがまさに。
言葉の選び方、笑い方、立ち振る舞い。
すべてが、誰かの理想をなぞるように完璧で……けれどそれが、逆に不自然なんです」

カタリーナの心に、冷たいものが落ちた。

それは、誰の理想?
誰が彼女を、そう育てたの?

「……彼女、私に似ていると言われたことは?」

クラリスは、驚いたように頷いた。

「ございます。義母様がふとあの頃のあなたに雰囲気が似ていると……それを聞いて、ぞっとしました」

カタリーナはゆっくりと息を吐いた。

義母。
やはり、あなたがこの縁談を仕組んでいたのね。
しかも、私の代わりを育てていたなんて……

胸の奥に、怒りとも哀しみともつかぬ感情がわき上がってくる。

「クラリス、話してくれてありがとう。あなたの言葉で、大きな手がかりを得たわ」

「……気をつけてください。あの家の周囲には、目がたくさんあります。
義母様に知られぬようどうか、ご無事で」

頷いて別れを告げたカタリーナは、再び風の吹く石畳の通りへと歩き出した。

その歩みには、もう迷いはなかった。


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