鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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新たなる出発

過去の名残再び

文官事務所の朝は、いつもより少しだけざわついていた。

「今日は王宮からの護衛が来るらしいわ。新しい任務に就く前の顔見せなんですって」

隣席の同僚がささやくようにそう言うと、他の職員たちも小声で噂を交わし始めた。

(騎士……王宮直属の騎士が、この事務所に?)

カタリーナは落ち着いた表情を保ったまま、手元の書類に視線を落とす。

文官事務所は、派手さこそないが政務の土台を支える重要な部署だ。
近年では治安の関係で、文官と騎士が連携することも増えていた。

扉が開いた音に、自然と視線が集まる。

「失礼します。王宮より命を受け、護衛任に就く者として参上しました──ダリオ・ヴァレンテ、王宮第二近衛隊所属」

その名が、空気を切り裂くように響いた。

高い背丈。無駄のない動き。
細身ながらも鎧の下に整った筋肉の流れを感じさせる体。
そして、

彫りの深い顔立ち、端正に整った目鼻立ち。
高い鼻梁と、何よりも印象的だったのは、
あの、琥珀色の瞳。

ダリオの視線は、すぐにカタリーナの席を見つけて止まった。
静かに彼女を見つめるその眼差しには、どこか確信めいた光が宿っていた。

カタリーナは、ふと気配に気づき、ゆっくりと顔を上げる。

そしてその視線がぶつかった瞬間、時間が止まったように感じられた。

「……ダリオ?」

その名は思わず唇からこぼれ落ちた。

ダリオは、ほんの少しだけ目を細め、
ふっと、どこか懐かしむように微笑んだ。

「……やはり、あなたでしたか」

その笑顔は、昔よりも柔らかく、
そして、どこまでも優しかった。

カタリーナは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。

懐かしいような、けれど手放してしまったはずの想いが、静かに心を満たしていく。

懐かしさが胸いっぱいに込み上げてきた。

自嘲するように心の中でつぶやきながらも、カタリーナは目を逸らすことができなかった。

周囲の同僚たちがざわめく気配の中、二人の間だけに、淡く震える空気が流れていた。

「こちらで護衛任務に就くことになりました。どうぞ、よろしくお願いします」

形式的な言葉。
けれど、その声の奥には、言葉にできない温かな響きが宿っているように感じた。

え? 護衛?

カタリーナは一瞬、戸惑いを覚えた。

(どうして‥‥彼が護衛として?)

記録上、王宮騎士としての名前は何度か目にした覚えがある。
けれど、まさかこの文官事務所に直接関わることになるとは、思ってもみなかった。

ふたりの間には、かつて交わした約束も、別れの言葉も、きちんとした終わりがなかった。
それだけに、この再会はあまりに突然で、あまりに静かだった。

カタリーナもまた、わずかに微笑んで応えた。

「……こちらこそ、よろしくお願いいたします」

そうして二人は、あの日置き去りにした時の続きを、静かに歩み始めた。

それから数日、ダリオは主に文官の出入りを監視し、外部からの来訪者への対応を担当していた。

業務上の会話しか交わさない日々。
けれど、カタリーナがふと書類を落としたとき、素早く拾って差し出してくれた手の温もりや、
廊下ですれ違うときに交わす視線が、言葉よりも多くのことを語っているように思えた。

「お疲れさまです、カタリーナさん」

ある日の昼下がり、給湯室でふたりきりになった時、ダリオが静かに声をかけた。

「……あなたがここにいるのが、いまだに少し、不思議な気分なの」

カタリーナは苦笑しながら、湯を注いだカップを見つめた。

「こちらこそ。まさか、また声をかけられる日が来るとは……」

言葉を濁したダリオの声音には、懐かしさと、あの頃きちんと向き合えなかったことへの少しの後悔が混じっていた。

それでも、その一言だけで、胸の奥のなにかがすこし、和らいだ気がした。

あの頃、まだ若くて、ただ想いをぶつけるだけで精一杯だった。
身分の差、将来への不安、自分に何ができるのかも分からないまま、彼は戦地へと発っていった。

何も言えなかった。何も伝えられなかった。

だからこそ、戦地から戻ったときには、胸の内に伝えたい言葉があった。
だが彼女はすでに侯爵家に嫁ぎ、別の人生を歩み始めていた。

「ちゃんと、向き合えていれば……」

ダリオの胸の奥に、かすかに残るその悔いは、時を経ても消えることはなかった。

若い頃、カタリーナは既に家格ある商会の令嬢として将来を嘱望されていた。
それに対し、当時の自分はただの無名の士官候補生で、どれだけ気持ちを伝えても、それだけでは届かない壁があった。

彼女にふさわしい未来を与えられるとは思えなかった。
だからこそ、言葉よりも先に努力で証明しようと、前だけを見て駆けていった。

けれど、想いを胸に秘めたまま別れた日々は、
決してなかったことにはならなかったのだと、今になって痛感していた。

一方のカタリーナもまた、当時のことを思い出していた。

彼のことを嫌いになったわけではなかった。
むしろ、ひたむきな姿勢やまっすぐな気持ちは、幼い恋心を温かく照らしてくれていた。

けれど、周囲から向けられる目や、家の期待、そして妻となる相手はふさわしい家柄でなければならないという無言の圧力が、彼女の心を締めつけていた。

言葉にすれば、何かが壊れてしまう気がして。
自分から距離を取ることでしか、あの恋を守れなかった。
そんな矛盾した選択を、当時の彼女は選んだのだった。

それでも、あの頃の両親は真面目な青年だったダリオに好感を抱き、
「きっと誠実に娘を支えてくれるだろう」と結婚を許してくれた。

リベルタ家としても、将来の伸びしろに賭けたうえでの前向きな判断だった。
だからこそ、別れは、彼女にとっても、決して軽いものではなかった。
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