鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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新たなる出発

ダリオの存在

翌朝、空はまだ春の名残を宿していた。
薄曇りの空の下、事務所の中には小鳥のさえずりと紙をめくる音だけが漂っている。

カタリーナは静かに書類に目を通しながら、ふと昨日のやり取りを思い出していた。

(……君がいいと思えるときに。きっと)

あの時の彼の声が、まだ耳の奥に残っている。
その一言に、どれほど救われたか──彼には伝わっていないかもしれない。

「おはようございます、カタリーナさん」

ダリオの声が背後から聞こえた。

いつもと変わらぬ口調。
けれど、昨日と同じ空気ではないことに、お互い気づいていた。

「おはようございます。……今日もよろしくお願いしますね」

微笑みを返しながら、胸の奥がほんの少しざわめいた。

***

その日の午後、庁舎では短い小休憩の時間が与えられた。
春の風が優しく吹き抜ける中、内庭を巡回していたダリオの姿を、カタリーナは窓越しに見つけた。

ふとした気まぐれで、彼女は書類を持って内庭へ向かう。
花壇の縁に立ち止まると、ダリオが彼女に気づき、そっと近づいてきた。

「子どもたちのこと……昨日、話してくれてありがとう」

その声にカタリーナは驚き、けれど自然と頷いた。

「驚かせたかもしれないけれど、でも……言ってよかった」

「うん。嬉しかったよ」

言葉が途切れ、静かな間が生まれる。
けれど、それは心地よい余白のような沈黙だった。

「……少しだけでいい。君のことも、子どもたちのことも、ちゃんと知っていきたい」

その一言に、カタリーナは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

触れそうで、触れられない。
けれど、たしかに歩み寄っている、そんな午後だった。

***

その夕方、執務室に戻ったカタリーナを、ひとりの同僚女性がからかうような笑顔で迎えた。

「ふふ……カタリーナさん、最近あの護衛さんとよく話してますね?」

声をかけてきたのは、事務所勤めの女性文官アデーラ。几帳面で気配り上手だが、噂話には抜け目がない。

「ただの業務よ。報告書の確認が続いてるだけ」

カタリーナはそう笑って返したものの、頬の奥がわずかに熱を帯びるのを感じていた。

「ふうん? でも、護衛さんの目、けっこう優しかったけど?」

茶化すようなアデーラの言葉に、カタリーナは言葉を返さず、ただ笑みだけを残して自席へと戻った。

他愛もない会話。
けれど、背後からも別の同僚たちの視線や、ひそひそとした囁き声が聞こえてくる。
自分たちのやりとりが思った以上に周囲に注目されていたことに、カタリーナははっとした。
見られているという意識が、彼女の心をほんの少しだけざわつかせた。

するとその直後、ひときわ華やかな足音と共に、同僚リディアがゆっくりと近づいてきた。

「まぁ、カタリーナさん。最近、護衛のダリオさんと仲が良さそうで……お仕事中なのに、内庭でご一緒だったとか?」

見穏やかに、しかしその瞳には冷えた光が宿っていた。

リディアは以前から、密かにダリオに好意を寄せていたと噂されている女性だ。
美貌と聡明さを兼ね備え、同僚たちの間でも一目置かれているが、時折見せるその高慢な態度は賛否を呼んでいた。

「内庭……?あら、そんな偶然があるのかしら」

リディアの言葉に、アデーラが曖昧に笑いながら視線を逸らす。

カタリーナは一瞬戸惑ったが、すぐに表情を整えた。

「休憩中に偶然すれ違っただけよ。そんなふうに言われると、困ってしまうわ」

あくまで柔らかく返すが、胸の奥には冷たいものが落ちていた。

ダリオは背が高く、騎士らしい引き締まった体躯とキリリとした目元を持ち、制服の上からでも際立つ存在感があった。
彼が執務室の前を通るだけで、何人もの女性職員がさりげなく視線を送る。

そんな彼と親しげに会話するカタリーナに対し、リディアだけでなく、他の女性職員たちの空気も徐々に冷たさを帯びてきていた。

それは直接的な言葉ではなく、書類の受け渡しで無視されたり、休憩中の会話から意図的に外されたりといった、目に見えない静かな圧力をかけられるなどされる様になってきていた。

(……また、あの頃みたい)

かつて貴族の妻であった頃に感じていた、あの視線‥‥‥
違う立場になった今でも、女性同士の無言の線引きが存在することを、カタリーナは改めて思い知らされていた。

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