鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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新たなる出発

心の内に向き合うそれぞれの想い

自分のことを、こんなにも真っすぐに見て、向き合おうとしてくれている。
その思いが、静かに胸の奥へと降りてきた。

張りつめていた糸が、ゆるやかにほぐれていくようで。
次の瞬間、ふいに、涙がこぼれそうになる。

けれど、今は泣いてはいけない。そう思って、そっとまぶたを閉じた。

(……私も、ちゃんと向き合わなきゃ)
ダリオの気持ちに。
自分の不安に。
そして、この居場所で起きているすべてのことに。

それは、強がりでも、誰かのためでもない。
自分の心のために、ほんの少し、前を向こうと思えた瞬間だった。

彼の優しさにすがるのではなく、その想いに応えるために、自分の言葉で伝えたい。)

そう思ったとき、不意に胸の奥があたたかくなった。

思い出すのは、レオナルドとの日々。
あの頃の私は、愛されたいと願うばかりで、何も言えなかった。
言葉を飲み込んで、笑顔だけを差し出して、それで幸せを装っていた。

でも今は違う。
誰かの顔色ではなく、自分の心で向き合いたいと思える。
怖くても、届かなくても、それでも「伝えたい」と思える誰かがいる。

それはきっと、私がようやく、自分の気持ちに誠実になろうとしている証──



その翌日。
昼休みの終わり、庁舎の渡り廊下の影で、カタリーナは立っていた。

封筒を一つ、手に握って。

約束もしていないのに、不思議とわかっていた。
彼なら、きっと、ここを通る。そんな確信があった。

やがて、遠くから足音が近づいてきた。

ダリオが姿を現すと、彼女はそっと、封筒を差し出した。

「……少しだけ、私の気持ちを、書きました。
……まだ、うまく言葉にはできないけど……それでも、読んでほしくて」

そう言って、うつむき加減に笑う。

ダリオは驚いたように目を見開き、次第に穏やかな微笑みに変わった。

「……ありがとう。大切に、読むよ」

ダリオの声は、静かであたたかく、まるで春の陽射しのようだった。
その響きに、カタリーナは胸の奥が少しずつほどけていくのを感じた。
言葉にできなかった想いを、自分の手で手渡せた、その事実だけで、十分だった。

カタリーナが封筒を差し出し、ダリオがそれを受け取る。

その様子を、離れた柱の影から、ふたりの女性が見ていた。

メリセラとリディア。

リディアはわずかに眉をひそめ、苦々しい視線を向けた。

「……ああいう女、ほんとに運がいいのかしらね」

メリセラは、何も言わなかった。
ただ静かに、その光景を見つめていた。

やがて、リディアが横目で問いかける。

「……気にならないんですか? あの人、あなたのことを。。」

そのとき、メリセラはそっと目を伏せて、小さく微笑んだ。

「ええ。……もう、終わったことですから」

「……でも、あんなふうに目の前で‥‥」

「見られてよかったのかもしれません。
あの人が、誰を選んだのか。どうしても必要な人は、誰なのか。……はっきりとわかるから」

その言葉には、憎しみも嫉妬もなかった。
ただ、真実を見極めた者の、静かな誇りと決意があった。

リディアはそれ以上、何も言わなかった。
隣に立つメリセラが、もう嫉妬に揺れる女性ではないと気づいたからだった。

春の風がそっと吹き抜ける。

恋が終わり、大人の静けさが始まる季節。
それは、誰にも気づかれないほど静かな、けれど確かな「旅立ち」の時だった。


*****

カタリーナが立ち去ったあと、ダリオはその場にしばらく立ち尽くしていた。

風に揺れるスカートの裾。
迷いながらも前を向こうとする、あの背中の強さと儚さ。

彼女が最後に見せた、あの少しうつむいた笑顔が、なぜか胸の奥に残っていた。

手にした封筒は、かすかに香りを含んでいた。
紙の温もりが、彼女の手のぬくもりのように感じられる。

(……またやり直せるだろうか)

昔のように。
あの頃、互いにもっと素直で、真っすぐだった日々のように。
失われたものが、また少しずつ戻ってくるのだとしたら──

そんな想いが、ふいに胸の奥で芽吹いた。

誰かを守るというのは、ただ前に立って剣を振るうことじゃない。
その心の陰りや、不安や、迷いに、そっと手を伸ばせる人間でありたい。
そう、彼女の心に届くように。

ダリオは封筒を懐にしまい、ゆっくりと歩き出した。

一歩ずつ失われた距離を、取り戻すように。


夜。
ダリオの部屋には静かな灯がともっていた。
書きかけの報告書を閉じ、彼は懐から封筒を取り出す。

あのとき、彼女がそっと差し出した手のぬくもりが、まだ指先に残っている気がした。

机に腰を下ろし、封を切る。
丁寧な筆跡が並ぶ紙を開くと、そこには彼女の震えるような心の声が綴られていた。



【ダリオ様

うまく言葉にできなくて、ごめんなさい。
それでも、今の私にできる限りの想いを込めました。

あなたがくれた言葉、あたたかさ、何度も思い出しては
そのたびに、泣きたくなりました。

でも、それは悲しい涙じゃなくて‥‥
ずっと張りつめていた心が、ようやく息をつけたような、そんな涙でした。

私は、強くないです。
でも、あなたが向き合ってくれたことで、少しだけ前を向けた気がします。

ありがとう。
あなたに、ありがとうって伝えたくて、この手紙を書きました。】

最後の一文は、少しだけ滲んでいた。
きっと書きながら、涙がこぼれたのだろう。

ダリオはそっと手紙を胸元にしまい、静かに目を閉じた。

(……君の声が、こんなにも近く感じる)

言葉はなくても、触れられなくても。
想いは、こんなにも確かに届くのだと、初めて知った気がした。

そして心の奥で、静かに誓う。

この想いを守りたい。
二度とすれ違わぬように。もう一度、ちゃんと向き合っていくために。

窓の外には、柔らかな月の光が差し込んでいた。

それはまるで、ふたりの間に生まれた小さな希望を、そっと照らすようだった。

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