鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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危機を乗り越える

リベルタ家の反撃

リベルタ家の支援が決まり、私は書斎を出たあとも、しばらく心が落ち着かずにいた。

屋敷の廊下を歩くたびに、幼い頃の記憶が蘇る。
兄に連れられて庭で遊んだ日、父と母が並んで微笑んでいた居間、あのころは、何もかもが守られていると思っていた。

そして今、私は守られる側から守る側へと歩みを進めている。

「お嬢様、お部屋の準備が整いました」

控えていた侍女が声をかけてきた。
部屋へ案内されると、豪奢ながらも落ち着いた調度に、兄の配慮を感じた。

机の上には、既に手配されたと思しき文書や、必要書類の下書きまでが整っている。

「兄様……どれだけ早く動いたの……」

その手際に、家を継ぐ者としての重みと責任の深さを感じずにはいられなかった。

私は深呼吸し、決意を新たに筆を取る。

レオナルド侯爵家宛の正式な抗議書を、私自身の言葉で添えるためだ。

母として。
一人の人間として。
そして、リベルタ家の娘として。

私は深呼吸し、決意を新たに筆を取る。

あの頃の私なら、きっと何も言えずにいた。でも今は違う。

母として。
一人の人間として。
そして、リベルタ家の娘として。

私は、自分の意思で書く。もう、誰の顔色もうかがわない。



その夜、兄フェルナンドともう一度対面した。

「……書き終えたのか?」

「ええ。私の気持ちをきちんと伝えたかったの」

兄はそれを黙って受け取り、目を通すと、わずかに口元を緩めた。

「悪くない。だが、強気すぎても奴らは挑発と受け取る。文言の一部は調整して出そう」

「お願い。兄様の判断に任せるわ」

頷いた兄は、再び書類に目を落としながら口を開いた。

「こちらでも、王宮の法務官と連絡を取るつもりだ。少し時間を要するが、根回しはすでに始めている」

「ありがとう……本当に、ありがとう」

フェルナンドは椅子にもたれ、少し目を細めた。

「カタリーナ、お前は昔から人を信じすぎるところがあった。だが、今のお前は違う。
恐れも怒りも迷いも、そのすべてを、誰かのために抱えてなお、進もうとしている。
それはもう、ただの妹じゃないな。強くなったな」

「……なんだか、初めて褒められた気がする」

そう言うと、フェルナンドがわずかに目を細めた。

「昔のお前なら、そうやって拗ねていたな」

カタリーナは、その言葉にふっと笑みをこぼした。
どこか懐かしくて、あたたかな時間がそこに流れる。

「私は、守りたいものができたから」
少し間を置いて、彼女は静かに続けた。
「だから、もう、誰にも奪わせたくないの」

兄は、何も言わずに頷いた。
その沈黙が、言葉以上に心に沁みた。

私は今、この家の娘であり、母であり、家族を守る者としてここにいる。

どんな未来が待っていようとも、私はもう、引き返さない。

子どもたちを守るために、そして自分自身を取り戻すために。

希望の灯火は、まだ小さいけれど。
確かに、今、私の中に燃えている。


***

レオナルド侯爵家の応接間には、緊張を孕んだ沈黙が漂っていた。

分厚い封蝋のついた書状を開いたのは、侯爵未亡人マルゲリータ。
しなやかな指先で文面をなぞるその瞳に、次第に苛立ちと警戒が混じり始める。

「……リベルタ家が動いたわね。法的保護請求に、爵位継承権における親権者の適正審議……」

その口調は冷静を装っていたが、声の奥にかすかな怒気がにじんでいた。

「生意気ね、カタリーナの癖に。平民の血を引いた女が、貴族に楯突こうだなんて……身の程知らずにもほどがあるわ」

その言葉に、レオナルドは無言のまま視線を落とした。

渡されたその書状を見るレオナルド。
手元には、王室財務局および商会連盟の主要代表数名の推薦とともに記された、一通の文書があった。
それは単なる抗議や感情のぶつけ合いではない。明らかに、**組織的な意志**が込められていた。

しかも、その筆頭に名を連ねているのは‥‥リベルタ家当主、フェルナンド。

王室にまで影響を及ぼす力を、今のカタリーナが背後に持っているとは思ってもいなかった。
しかもそれは、家族の感情を超えた、政的な動きとして着々と進められている。

レオナルドは書状を見つめたまま、わずかに息を呑む。

これでは、まるで王室と戦うと言っているようなものではないか。

自分たちセレスタ家に、果たしてそこまでの余力があるのか?
そして、母マルゲリータは……どこまでこの情勢を把握しているのか?

心の中に、不意に冷たいものが流れた。
脈打つように湧き上がるのは怒りではなく、恐れと、戸惑い
これまでの当然が、音もなく崩れていく感覚だった。

「……どうしますか、旦那様」

執事の問いに、レオナルドはしばし応じなかった。
手の中にある文面をじっと見つめ、その意味を噛み砕くように沈黙を保つ。

レオナルドは無言のまま、書状を見つめ続け、動けないでいた。
その横顔に、かすかな迷いが浮かんでいるのを、マルゲリータは見逃さなかった。

じっと文面を見つめるばかりで、一向に言葉を発しない息子。
その沈黙に、どこか釈然としないものを覚えた彼女は、静かに立ち上がると、レオナルドの手元に歩み寄った。

「貸しなさい。……あなた、何をそんなに固まっているの?」

そう言ってマルゲリータは、半ば当然のように書状を取り上げた。
息子の手からすっと文書が離れるのを感じながら、彼女はゆっくりとそれを自らの目で読み始める。

そして、次第にその眉がわずかに動いた。

「……王室財務局? 商会連盟? これは……」

声にはわずかなひびが混じった。
読み進めるうちに、彼女の中に広がっていったのは、驚きと、理解、そして見落としていた脅威の存在だった。


王室の名がここまで公然と関与していることに、レオナルドは驚きを隠せなかった。
そして、その驚きは、同じようにマルゲリータにも広がっていた。

一瞥しただけでは読み取れなかった力の配列を、ようやく彼女も理解し始めていた。
フェルナンドという男が、どれほどの実権を持ち、王宮の中枢にまで影響を及ぼしているのか。

「……思ったより、根が深いわね」

マルゲリータがつぶやいたその声には、ほんのわずかな動揺が混じっていた。
それでもなお、彼女は自らの貴族としての誇りを手放そうとはしない。

(大丈夫。もしもの時は、隣国の姉たちに頼ればいい)

彼女はそう心の中で呟いた。
自分は確かに隣国の王家の血を引いている。
この国の王族など、格で言えば下。そう思い込んでいた。

けれど、それは浅はかな幻想に過ぎなかった。
この国、レアーレ王国は、国力・軍事・経済、いずれを取ってもマルゲリータの出自の国より遥かに上。
外交の現実は、かつてのお嬢様気質で育った彼女には見えていない。

その一方で、レオナルドは、今にもその場から立ち去りたくなるほどのプレッシャーを感じていた。

母の隣で書状を見つめる自分に向けられる、マルゲリータの鋭い眼差し。
まるで「お前が何とかしなさい」と告げるような、無言の圧。

……思えば、カタリーナとの結婚だって、
セレスタ家単独では到底進められなかった。
リベルタ家の支援があったからこそ整った縁談だったのに‥‥。

(大丈夫なのか……?)

その問いが、脳裏で何度も反響する。
あの穏やかだった日々が、ここまで崩れていくとは。
レオナルドは今、はじめて己の足元が脆いという現実と向き合い始めていた。
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