鳥籠の花嫁~夫の留守を待つ私は、愛される日を信じていました

吉乃

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未来のために

決戦の時

秋の終わり、冷たい風が王都に吹き始める頃、リベルタ家の中庭には張り詰めた空気が漂っていた。

フェルナンド、カタリーナ、そしてティモシオ。書斎に集った三人の視線が交差する。

「僕は……セレスタ家には戻らない」

ティモシオははっきりとした口調でそう言い切った。

「名前も、爵位も、いらない。僕には、ママがいて、叔父様がいて──僕の家族はここ、リベルタ家だ」

 その言葉に、カタリーナは静かに目を伏せ、涙を堪える。フェルナンドは何も言わずに立ち上がり、少年の肩に手を置いた。

「よく言った、ティモシオ。……君の意志が、すべてだ」

 その日のうちに、リベルタ家は正式に法的措置を講じた。親権の完全移譲申請、爵位継承権の凍結申し立て、そしてセレスタ家の監督不履行に関する報告書提出。

対してセレスタ家。

マルゲリータは、すぐさま隣国に住む姉へ支援を要請した。
理由は、セレスタ家が圧倒的に不利な立場だと気づいたからだ。今からでも遅くはない。そう思った。だが返ってきたのは冷ややかな拒絶の言葉だった。

「あなたに味方すれば、私たち一族全体がレアーレ王国の信用を失うことになるの。申し訳ないけれど、これ以上は……無理よ」

法的な者はこちらに付いているとしても、王家関係には劣る。
セレスタ家の孤立は決定的だった。

そして王宮の裁定会議が開かれる。

フェルナンドは淡々と、しかし一切の隙を見せずに資料を提示する。
提出されたのは、セレスタ家が過去五年間にわたり親権者としての義務を果たしていなかったことを示す書類、ティモシオの養育費用の大半がリベルタ家によって支払われていた証明、さらに王室財務局による監査報告

セレスタ家が一部領地からの税収を私的流用していた記録まで含まれていた。

「この報告書には、領民への支払い遅延、補助金の使途不明、未成年者保護規定の違反が明記されています」

フェルナンドの言葉に、審議官たちがざわめいた。

「それが事実であれば、もはやこの問題は親権にとどまりません」と、王都商会連盟の代表が低く呟いた。

「セレスタ家に弁明の機会を与えるべきでは?」と一部の貴族が声を上げるが、フェルナンドは揺るがぬ表情で言った。

「弁明の前に、事実に向き合う覚悟が必要です。彼らがどれだけこの子、ティモシオを無視し続けてきたか、その証はここにあります」王室財務局長、商会連盟代表、王都貴族院の長老たちすべてが、リベルタ家に賛同する空気に満ちていた。

極めつけは、一通の手紙だった。

『僕は、母と生きたい。僕を必要としてくれる人たちの元にいたい。
そして、僕をずっと守って成人するまで見守ってきてくれたのは、母上、カタリーナであり、リベルタ家の人々だからだ。──ティモシオ・リベルタ』

小さな手で書かれたまっすぐな言葉が、誰よりも雄弁だった。

議場に一瞬、沈黙が走る。
その後、王室財務局長が静かに口を開いた。
「この少年の言葉に、我々がどれだけ真摯に応えられるかが問われている。
これは単なる家同士の問題ではない」

「感情に流されてはならぬという意見もあろうが、これは立派な民意の声だ」と、貴族院の長老が頷く。

セレスタ家側の代表が慌てて異議を申し立てる。
「ティモシオ殿はまだ幼く、判断能力に欠けるのでは? 感情的な文章に過ぎません!」

だが、フェルナンドが穏やかに反論する。
「幼いながらも自分の言葉で訴え、心からの決意を記した手紙を感情的と切り捨てるなら、貴族とは何のために民を導くのでしょうか」

再び、議場に静寂が満ちる。
やがて、議長が重々しく言った。
「セレスタ家は、これに対して何か反論がありますか?」

沈黙の中、立ち上がったのはセレスタ家の法務代理だった。
「確かに、過去の管理に不備があったことは否めません。
しかし、だからといってこのような形で家の名誉を貶めるのは。」

「名誉を語る前に、幼い子を置き去りにした責任を語っていただきたい」と、再びフェルナンドが遮る。

代理人は言葉を詰まらせた。

「また、ティモシオ殿の意思が本当に本人の意志なのか、その裏に大人の誘導があった可能性も……」

「そのようなことを言う前に、本人に聞いてみればよろしい」と、王都貴族院の長老が重々しく告げる。

ティモシオが小さく頷き、静かに言う。
「僕は、自分で書いた。誰にも言われてない。全部、自分で考えた」

その澄んだ声に、誰もが押し黙った。

やがて、聴衆席のあちこちから、抑えた声が漏れ始める。
「……本当に、自分で書いたのか?信じられないほどはっきりしている。」
「幼くても、ここまで意思を通す子がいるとは。」
「これでは、もう親権どころではないな。あの子は、立派に一人の意思を持った大人だ」

貴族のひとりが隣に囁く。
「我が家の息子より、よほどしっかりしている」
「いや、それよりも……リベルタ家の育て方の賜物だろう」

民衆席では、ひとりの老女が小さく涙を拭う。
「若くして、こんなにもはっきりと……自分の言葉で生きたいと……神よ、どうかこの子の望みを叶えて」

誰もが、ティモシオの言葉に心を打たれ、それが裁定の流れを決定づけていった。

聴衆席のざわめきが高まり、空気が明らかにリベルタ家に傾いていく中。
マルゲリータはその気配にいち早く気づいた。

「待ってください!」

彼女は突如、席を立ち、声を張り上げた。
「このような一方的な決定は、貴族制度そのものへの侮辱です!ティモシオは確かに我が子ですが、彼の立場、未来、そして家の名誉を守るのが本来の筋でしょう!」

議場が再びざわつく。議長が静かに促す。
「マルゲリータ殿、落ち着いてください。発言は許しますが、冷静にお願いします」

「冷静ですとも!」マルゲリータは続ける。
「母親が息子に甘く寄り添うのは結構。しかし、それは貴族の責務を放棄する理由にはならないはずです」

 すると、フェルナンドがゆっくりと立ち上がった。
「その言葉こそ、貴族の本質を履き違えた証拠です。……守るべきは名誉ではなく、“命”と“心”です」

「命と心などと、理想論で統治ができるならば、苦労はしません!」

「ではあなたは、子を道具として差し出すことが現実とお考えか?」

議場が再び静まり返る。その沈黙の中、ティモシオの澄んだ声がもう一度響いた。
「僕は、家の名誉のために生まれてきたんじゃない。……生きたい場所で、生きたい人といたいだけだ」

僅か十五歳の少年の言葉は、議場にいた者すべての胸を打った。
しかし、議長は慎重な面持ちで言葉を続けた。
「……情に流されるわけにはいきません。これは法と秩序に関わる問題です。ここで裁定する前に、もう少しそれぞれの意見を聞く必要があると考えます」

 議長の言葉により、改めて両家に発言の機会が与えられた。

 セレスタ家の代理人が再び立ち上がる。
「確かに、感情的には理解できます。しかし、貴族制度の基盤は秩序です。未成年の一時の感情で、何代にも渡って築かれた家の未来を決めるのは危険です」

 フェルナンドは微動だにせず、冷ややかに応じる。
「未成年であろうと、彼は自分の言葉で訴え、行動を起こしました。それは我々大人が忘れがちな“意志”の力です」

 マルゲリータが席から立ち上がる。
「未来を見据えるのが貴族の義務です! そのためにこそ、ティモシオはセレスタ家に戻るべきなのです。
愛情は大切でしょう、しかしそれだけでは家は守れません」

「ではお尋ねします、マルゲリータ殿。あなたが本当にティモシオを守ろうとした瞬間が、過去に一度でもあったのですか?」

フェルナンドの言葉に、議場がざわつく。マルゲリータは言葉を詰まらせ、目を逸らした。

「……静粛に」

議長が杖で床を打ち、場を収めた。

だが、マルゲリータは引き下がらなかった。
「もちろんです!」
彼女は席を蹴るように立ち上がり、声を張り上げる。

「これ以上、黙って見ていられますか!このような侮辱、セレスタ家の名にかけて到底受け入れられません!」
 そして、視線を横に向ける。
「レオナルド……あなたからも何か言って頂戴!」

名指しされたレオナルドは、わずかに顔を上げ、冷えた瞳で場を見渡す。
「──では、発言をお許しください。」
 ゆっくりと立ち上がり、口を開いた。

「この場には感情が渦巻きすぎている。だが、貴族の本義とは統治と存続だ。
感情を優先して家を滅ぼすことがあってはならない。
ティモシオの意志が本物であるなら、我々は彼を再び家族として迎え入れ、守り、導く義務を持つ」

そこへ、セレスタ家が雇った法務顧問も発言を求めた。
「補足いたします。現在の法体系においても、親権者の交代には明確な審査と承認が必要です。
少年本人の意志だけではなく、環境、保護、教育の整備状況など、あらゆる要素を公平に考慮すべきです」

議場が一瞬ざわつく中、フェルナンドは落ち着いた声音で言う。
「それらの条件はすでにリベルタ家が満たしております。
しかも、セレスタ家はこれまで何度もそれを怠ってきた」

「制度の枠に守られてきたのは、あなた方も同じでは?」とレオナルド。

「そうかもしれません。しかし私たちは、制度の中で責任を果たしてきた。
あなた方は、それを“盾”にして逃げてきたのです」

議長は静かに頷き、杖で床を一度打った。
「……これ以上、変化のない問答を続けても意味はないでしょう。ここで審議を終えます」

 場が静まり返る中、議長は重々しく続けた。
「法と秩序に則り、すべての意見と証言を考慮した上で、ただいまをもって最終の裁定を下します」

 一呼吸置いて、静かに宣言する。
「これより、決を取ります」

決議は全会一致でリベルタ家の主張を認め、セレスタ家には爵位の剝奪こそ下されなかったが、爵位維持に必要な税と領地からの徴収分の支払いが困難と判断され、領地の没収が決定された。

結果として、セレスタ家に残されたのは爵位と屋敷のみとなった。
除名処分こそ免れたものの、王都貴族界での信頼は失墜し、その名誉と立場を取り戻すことは容易ではない。

今後、貴族社会の中で生きていくことの厳しさが、より一層セレスタ家を追い詰めていくことになるだろう。

「ふざけるな……あの女と、その子が……!」

マルゲリータの叫びが議場に虚しく響いた。

一方、レオナルドはただ俯いたまま、母の言葉にも反応を見せなかった。

その日、セレスタ家の屋敷には王室の使者が訪れ、正式な勧告書が手渡された。
爵位の剥奪こそ免れたものの、領地の返還命令と財務の監督下に置かれることが通達され、事実上、貴族社会の中心から外れたことが明確になった。


***

そして、夜。

リベルタ家の庭園で、カタリーナとティモシオは肩を寄せ合って月を見上げていた。

「母上……ありがとう」

少年の小さな手が母の指に触れる。

「私こそ……ありがとう、ティモシオ」

涙を浮かべながら笑うカタリーナの背後で、フェルナンドが静かに頷いていた。

すると、ティモシオがふと振り返り、小さな声で言った。

「……叔父様も、本当にありがとう。僕の味方でいてくれて、嬉しかった」

その言葉に、カタリーナも優しく頷く。

「ええ、あなたを守ってくれたのは、フェルナンド兄様なのよ。……ありがとう、兄様」

フェルナンドは照れたように目を伏せ、そっと笑った。

こうして、リベルタ家の圧勝に終わった戦い。

だが、カタリーナの人生はまだこれからだった。
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