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第50話 新たな命、迫る影
春の気配が王都を包むある日、ヴァルディア辺境伯邸タウンハウスに歓喜の時が訪れた。
夜明け前からリリアナの産声にも似た呻きが響き、侍女たちが走り回る。
バルテルは寝所の外で汗ばむ手を組み、祈るように扉を見つめていた。
やがて――。
「おめでとうございます! 元気な男の子でございます!」
助産婦の声が弾け、屋敷全体に安堵と歓喜が駆け抜けた。
小さな産声が夜明けの光に重なり、まるで希望の鐘のように響く。
リリアナは汗に濡れながらも、胸に抱いた小さな命を見つめ、微笑んだ。
「見てください、バルテル様……この子が、私たちの次男です」
夫は膝を折り、そっと赤子の頬に触れる。
「……よく頑張ったな、リリアナ。本当に、ありがとう」
そう言って彼女の手を握り締める。リリアナもまた、その顔を見つめて穏やかな笑みを返した。
「元気な男の子だそうだな。……男二人とは、にぎやかになるぞ」
バルテルの声には、隠しきれぬ喜びがにじんでいた。
侍女たちも護衛も、皆が新しい命の誕生に目を潤ませていた。
長い嵐の只中に差し込んだ一筋の光。
ヴァルディア邸は久方ぶりに、柔らかな喜びの空気に包まれていた。
しかし、その光の外で闇は濃さを増していた。
出産の報せが王宮に届くや否や、レナーテ侯爵夫人は王弟の私室を訪れていた。
「辺境伯家に次男……とは、執念深いものですわね」
扇の陰からのぞく瞳は冷たく光る。
「殿下、このまま放置すれば、ヴァルディアの勢力はさらに強固になります。今こそ、決断の時です」
王弟は重々しく頷いた。
「そうだな。摂政の座を揺るぎないものとするには、奴を取り込むしかない」
レナーテは微笑を深めた。
「簡単なことですわ。夫人を退ければよいのです。バルテルが己の家族を手放す覚悟さえすれば、国も彼も救われるのですから」
そう言って口角を冷たく吊り上げる。
その笑みは、花の形をしながら棘を隠さぬ毒花のそれだった。
――やがて、彼女が望む「その時」は確実に迫っていた。
数日後。
赤子の寝息が聞こえる寝所に、冷たい報せが届いた。
「旦那様、王弟殿下からの御召しです」
ヴィルフリートの顔は固い。
王宮の私室にて、王弟は酒杯を傾けながら告げた。
「辺境伯。国の未来を思うならば、ひとつの道しかあるまい。――リリアナ夫人と離縁し、レナーテを娶れ」
バルテルの瞳が鋭く光る。
「……何を申される」
「そなたの矜持は理解する。だが、国を導く力を望むなら、血筋と後ろ盾が必要だ。レナーテならば社交界も商人もまとめ上げられる。そなたが彼女を娶れば、王国は揺るがぬ」
沈黙の中、バルテルの胸に渦巻くものは怒りと苦悩だった。
(リリアナを……私の家族を差し出せと……?)
王弟はさらに言葉を重ねる。
「国のためだ、バルテル。お前ほどの男が、己の妻ひとりに執着して国を危うくするつもりか」
その場を後にしたバルテルは、夜風の冷たさにも気づかなかった。
頭に響くのはリリアナの笑顔と、生まれたばかりの赤子の産声。
守りたいと願うほどに、圧し掛かる現実が重くなる。
その夜、邸の寝所。
リリアナは赤子を胸に抱き、静かに子守歌を口ずさんでいた。
淡い灯りに浮かぶ母子の姿は、この世の何よりも尊いもののように見えた。
バルテルはその光景を見つめ、胸の奥に鈍い痛みを覚える。
(なぜだ……なぜこの国は、最も守るべき存在を犠牲にしなければ成り立たぬのか)
闇の中で彼は拳を握り締めた。
「……俺は、どうすればいいのだ」
せっかく新たな命が授けられたのだ。二人の息子とリリアナを守り抜きたい――その想いだけが募る。
何か策はないのか。別の道はないのか。焦りばかりが胸を焼き、答えは見つからない。
生まれた命の歓びと、迫り来る離別の影。
喜びと苦悩が交錯する夜は、長く、深く続いていった――。
夜明け前からリリアナの産声にも似た呻きが響き、侍女たちが走り回る。
バルテルは寝所の外で汗ばむ手を組み、祈るように扉を見つめていた。
やがて――。
「おめでとうございます! 元気な男の子でございます!」
助産婦の声が弾け、屋敷全体に安堵と歓喜が駆け抜けた。
小さな産声が夜明けの光に重なり、まるで希望の鐘のように響く。
リリアナは汗に濡れながらも、胸に抱いた小さな命を見つめ、微笑んだ。
「見てください、バルテル様……この子が、私たちの次男です」
夫は膝を折り、そっと赤子の頬に触れる。
「……よく頑張ったな、リリアナ。本当に、ありがとう」
そう言って彼女の手を握り締める。リリアナもまた、その顔を見つめて穏やかな笑みを返した。
「元気な男の子だそうだな。……男二人とは、にぎやかになるぞ」
バルテルの声には、隠しきれぬ喜びがにじんでいた。
侍女たちも護衛も、皆が新しい命の誕生に目を潤ませていた。
長い嵐の只中に差し込んだ一筋の光。
ヴァルディア邸は久方ぶりに、柔らかな喜びの空気に包まれていた。
しかし、その光の外で闇は濃さを増していた。
出産の報せが王宮に届くや否や、レナーテ侯爵夫人は王弟の私室を訪れていた。
「辺境伯家に次男……とは、執念深いものですわね」
扇の陰からのぞく瞳は冷たく光る。
「殿下、このまま放置すれば、ヴァルディアの勢力はさらに強固になります。今こそ、決断の時です」
王弟は重々しく頷いた。
「そうだな。摂政の座を揺るぎないものとするには、奴を取り込むしかない」
レナーテは微笑を深めた。
「簡単なことですわ。夫人を退ければよいのです。バルテルが己の家族を手放す覚悟さえすれば、国も彼も救われるのですから」
そう言って口角を冷たく吊り上げる。
その笑みは、花の形をしながら棘を隠さぬ毒花のそれだった。
――やがて、彼女が望む「その時」は確実に迫っていた。
数日後。
赤子の寝息が聞こえる寝所に、冷たい報せが届いた。
「旦那様、王弟殿下からの御召しです」
ヴィルフリートの顔は固い。
王宮の私室にて、王弟は酒杯を傾けながら告げた。
「辺境伯。国の未来を思うならば、ひとつの道しかあるまい。――リリアナ夫人と離縁し、レナーテを娶れ」
バルテルの瞳が鋭く光る。
「……何を申される」
「そなたの矜持は理解する。だが、国を導く力を望むなら、血筋と後ろ盾が必要だ。レナーテならば社交界も商人もまとめ上げられる。そなたが彼女を娶れば、王国は揺るがぬ」
沈黙の中、バルテルの胸に渦巻くものは怒りと苦悩だった。
(リリアナを……私の家族を差し出せと……?)
王弟はさらに言葉を重ねる。
「国のためだ、バルテル。お前ほどの男が、己の妻ひとりに執着して国を危うくするつもりか」
その場を後にしたバルテルは、夜風の冷たさにも気づかなかった。
頭に響くのはリリアナの笑顔と、生まれたばかりの赤子の産声。
守りたいと願うほどに、圧し掛かる現実が重くなる。
その夜、邸の寝所。
リリアナは赤子を胸に抱き、静かに子守歌を口ずさんでいた。
淡い灯りに浮かぶ母子の姿は、この世の何よりも尊いもののように見えた。
バルテルはその光景を見つめ、胸の奥に鈍い痛みを覚える。
(なぜだ……なぜこの国は、最も守るべき存在を犠牲にしなければ成り立たぬのか)
闇の中で彼は拳を握り締めた。
「……俺は、どうすればいいのだ」
せっかく新たな命が授けられたのだ。二人の息子とリリアナを守り抜きたい――その想いだけが募る。
何か策はないのか。別の道はないのか。焦りばかりが胸を焼き、答えは見つからない。
生まれた命の歓びと、迫り来る離別の影。
喜びと苦悩が交錯する夜は、長く、深く続いていった――。
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