私の夫は昔愛した彼女を選んだ。さようなら旦那様、私は孤独に耐えられませんので家を出ます

吉乃

文字の大きさ
49 / 55

49.アレクシスとレティシアの過去の思いと胸の内

しおりを挟む
リューンハイム侯爵家を追放されたアレクシスは、王命によって爵位を剥奪され、正式に貴族籍から除外された。
かつて「侯爵家の嫡男」として王宮でも顔の利いた彼の名は、かつて貴族社会の華であった栄光と共に、今や王都の貴族社会から完全に消え去っていた。

アレクシスは、その後、辺境の小村に身を寄せ、細々と生活していた。鉱石の取引や人足の管理といった粗野な仕事に身を投じながら、かつての誇り高き青年は、静かに老いていこうとしていた。
護衛も召使いもいない日々。
唯一の伴侶となったのは、レティシア、かつて彼がルシアを裏切ってまで手に入れた、あの公爵令嬢だった。

侯爵家を捨てたあの日、アレクシスは確かに思っていたのだ。
これは新しい人生の始まりだ。あの冷たい侯爵邸より、愛を選んだのだ、と。

実は、アレクシスは傲慢さと虚栄心をもった男だった。
「自分はもっと称えられるべきだ」と思い込んでいたアレクシスにとって、レティシアの甘い言葉や姿は、とても輝いて見えた。
当時のレティシアは、若く、美貌と誇りを武器に王宮でも注目を集めていた。
アレクシスの心は、レティシアの姿に存在に心を囚われていた
彼女は、公爵家の次女でありながらも、まるで“王女”のように振る舞う気品と傲然さを持ち、誰の前でも臆せず美しく、そして自信に満ちていた。
婚約を交わした十年前、アレクシスはまだ若く、そして無知だった。
だがその若さゆえに、あの華やかなレティシアを目にした瞬間から、他のすべてが霞んで見えた。

「彼女こそ、俺の求めていた世界に導いてくれそうだ」
それは恋というより、欲望と支配欲の入り混じった執着だったのかもしれない。

侯爵家の跡取りという立場でありながら、誰よりも賞賛されたいと望むアレクシスにとって、
王宮でも注目されていた美貌と血統を誇るレティシアを手に入れることは、“人生の勝者”となる証のように思えた。
侯爵家にいた頃、アレクシスは常に称賛の中心にいた。
「さすがは次期侯爵」「完璧な紳士」
誰もが彼を讃え、羨望のまなざしを向けていた。それこそが、彼の誇りであり、存在意義だった。

アレクシスが本当に心を許し、未来を夢見ていたのは、ただ一人、レティシア。
幼き日から続いた十年の婚約。その間、彼の視線は常に彼女に向けられていた。
他の何者でもない、レティシアだけが、彼の夢だったのだ。

だが、突然その夢は崩れ去る。
レティシアが、隣国の王族に嫁ぐという報せが届いた時、アレクシスの世界は音もなく崩れ落ちた。

彼女は、自分を選ばなかった。
己の力では届かなかったその事実に、初めて打ちのめされた。

プライドと虚栄に満ちた殻をかぶっていた彼の心には、ただ空洞が広がった。
称賛の言葉も、地位も、名声も、もはや何の意味も持たなかった。
アレクシスにとって、唯一の未来は、レティシアだけだったのだ。

だから、彼は他の誰とも結婚しなかった。
できなかった。
ルシアとの縁談が決まった時でさえ、心の奥ではレティシアの影が、消えていなかった。

失ったはずのものに、心を囚われたまま。
それが、アレクシスの本当の姿だった。


そして再会したレティシア。
「あなたこそ、真の侯爵家の当主にふさわしい」
その言葉が、彼の中に眠っていた虚栄心を刺激した。
(そうだ、俺は称賛されるべき人間だ)
ルシアと暮らし始めてからは、地に足のついた穏やかな日々が続いたはず。共に執務に励み、エドワードの成長を見守る生活は、決して華やかではないが、確かな愛と信頼があった。
それでも彼は、その穏やかさを「退屈」と錯覚したのだった。
そう思ってしまったことで、ルシアやエドワードの存在は、いつしか「手に入れた過去」になっていた。

「俺の本当の人生は、これからだ」
そう信じて、ルシアとの婚姻を事実上放棄し、レティシアと子をなした。
レティシアとの関係に溺れ、子ができたと知ったとき、アレクシスはそれを「運命」だと信じた。



レティシアもまた、あの騒動の後、公爵家を勘当され、爵位継承権を剥奪された。
あれほど誇り高かった令嬢が、たった一度の過ちで、すべてを失ったのだった。

彼女の家族にとって、レティシアは「栄光」ではなく「重荷」となった。
一族の名誉を汚し、王命を無視して既婚者に身を寄せた娘。
その名は家門の中で、二度と語られることはなかった。

だがレティシアには、それでも手放したくなかったものがあった。

「リューンハイム侯爵家の正妻になれるかもしれない」

その一縷の望みこそが、彼女のすべてだった。

若き日のレティシアは、美貌と誇りを武器に貴族社会を渡り歩いてきた。
だが年を重ねるにつれ、その価値が揺らぎ始めることに気づいていた。

(誰かに選ばれなければ私という存在は、消えてしまう)

そんな焦りと不安の中で、再び目にしたアレクシスの姿。
侯爵家の嫡男としての威光を纏いながらも、どこか隙を感じさせる瞳。
あの男なら心の隙間に入り込める、と彼女は直感した。

甘い言葉を囁いたのは、計算ではない。
生きるために、手に入れねばならないものだった。

「あなたと過ごした日々が、忘れられなかったの……」

それは“愛”というより、“逃げ道”だった。
貴族社会から落ちこぼれつつある自分を、もう一度引き上げてくれる可能性。
侯爵家の名と栄光を、もう一度手にするための、最後の賭けだった。

そして、子どもを授かった時、レティシアは確信した。

(これで、私はアレクシスと一つになれる。侯爵夫人として、復権できる)

だがその期待は、やがて瓦解する。

アレクシスの爵位剥奪。侯爵家からの完全な離縁。そして、自身の勘当。

すべてが崩れ落ちた後に残ったのは、「リューンハイム侯爵夫人になれるはずだった」という“幻想”と、
それを信じてしまった己の愚かさだけだった。

しおりを挟む
感想 121

あなたにおすすめの小説

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

【改稿版】光を忘れたあなたに、永遠の後悔を

桜野なつみ
恋愛
幼き日より、王と王妃は固く結ばれていた。 政略ではなく、互いに慈しみ育んだ、真実の愛。 二人の間に生まれた双子は王国の希望であり、光だった。 だが国に流行病が蔓延したある日、ひとりの“聖女”が現れる。 聖女が癒やしの奇跡を見せたとされ、国中がその姿に熱狂する。 その熱狂の中、王は次第に聖女に惹かれていく。 やがて王は心を奪われ、王妃を遠ざけてゆく…… ーーーーーーーー 初作品です。 自分の読みたい要素をギュッと詰め込みました。

【完結】亡くなった人を愛する貴方を、愛し続ける事はできませんでした

凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【おかげさまで完全完結致しました。閲覧頂きありがとうございます】 いつか見た、貴方と婚約者の仲睦まじい姿。 婚約者を失い悲しみにくれている貴方と新たに婚約をした私。 貴方は私を愛する事は無いと言ったけれど、私は貴方をお慕いしておりました。 例え貴方が今でも、亡くなった婚約者の女性を愛していても。 私は貴方が生きてさえいれば それで良いと思っていたのです──。 【早速のホトラン入りありがとうございます!】 ※作者の脳内異世界のお話です。 ※小説家になろうにも同時掲載しています。 ※諸事情により感想欄は閉じています。詳しくは近況ボードをご覧下さい。(追記12/31〜1/2迄受付る事に致しました)

あなただけが私を信じてくれたから

樹里
恋愛
王太子殿下の婚約者であるアリシア・トラヴィス侯爵令嬢は、茶会において王女殺害を企てたとして冤罪で投獄される。それは王太子殿下と恋仲であるアリシアの妹が彼女を排除するために計画した犯行だと思われた。 一方、自分を信じてくれるシメオン・バーナード卿の調査の甲斐もなく、アリシアは結局そのまま断罪されてしまう。 しかし彼女が次に目を覚ますと、茶会の日に戻っていた。その日を境に、冤罪をかけられ、断罪されるたびに茶会前に回帰するようになってしまった。 処刑を免れようとそのたびに違った行動を起こしてきたアリシアが、最後に下した決断は。

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

【完結】私の婚約者は、妹を選ぶ。

❄️冬は つとめて
恋愛
【本編完結】私の婚約者は、妹に会うために家に訪れる。 【楽しい旅行】続きです。

処理中です...