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第一話『銅鑼』
しおりを挟む魔が差したなんてイイワケは、最近ではあまり聞かなくなった。
世間的にもそうなのだから、相手が兄弟であればなおさら、つかう機会は少ないだろう。
純のやつは顔をビショビショに濡らし、みっともなく泣いていた。
猿みたいな、ふざけているような顔。なんだそりゃ。
呼吸困難のような、ヒイヒイ乱れた息づかい。意味不明の喚き声。
それは、俺を責めてるのか?
わからない。ゼンゼンわかんねぇよ、純。
謝っているようにも、抗議しているようにも聴こえるキーキー声。
どっちだ? ……いやこりゃ、どっちもだな。
さしたのは〈魔〉じゃなくて、コイツだし。
なぁ純、これ、なんなんだよ、なんのつもりだ?
俺の脇腹にユラユラ突き立ってるこれだよ、どうすんだこれ。
こいつ、弱虫のくせに、よくこんな……俺はあれか、樽に入った海賊か?
あの海賊は飛び跳ねるだけだけどな、本物の人間はこうなるんだよ、よく見ろ。
そこらじゅうヌルヌルだわ、服が肌にひっついて気持ち悪いわで、もう……ずっと鳥肌が立ちっぱなしだよ。いや、トリハダは貧血のせいか? んん、わかんねぇ。
こいつが震えてんのは、飛び散って、滴って、足もとにたまってる血の画力のせいか、それとも兄を刺したときの感触のせいか。
弟のわななきが空気か地面かその両方から痺れるように伝わってくる。
貧血でフラフラな俺の脳味噌が勝手に錯覚してるだけなのかもしれないが、兄弟そろってグラングラン揺れて酔いそうだ。
「マオリはぼボ僕、オマエじゃボ、ノのコ、ココノぉやろ野郎ッ!」
仰向けに倒れている俺の顔の真上で、弟がまたキャンキャンと喚く。
いやもう整理して喋れ。なにを言ってるのか、さっぱりわからんぞ。
コイツ、ビビってるんじゃなく、混乱してんのかもしんねぇな。
興奮のツバが降ってきて、俺の頬や唇にシトシト当たる。きたねぇなぁ、もう。
血の気の引いた顔には、唾液すら熱ちぃよ。
その、手に持っているのは、なんだ?
そりゃ、俺のフライパンじゃないのか?
そいつで、なにをする気だ?
包丁で肉を切って、フライパンでジュウジュウ焼くのか?
俺は食材かよコノ野郎。
分娩室のまんなかに鎮座する善悪の知識の樹の実からポトリと落っこちた羊水まみれ期の赤ン坊って風な顔貌の弟がみっともなく大口をあけて、またなにかを叫ぶ。
イマドキの焦げ付かないような立派なやつじゃない、底の浅い安物のフライパンを、振りかぶり、振り下ろす。
弟の頭上から、俺の鼻面へと、フライパンがぐんと大きく──。
ゴワンゴワンと、世界が銅鑼のように鳴った。
胡桃の皮剥きのように頭蓋が割れて、中身がこぼれ出たかと思った。
鼻骨が潰れ、痺れるような痛みが頭の中心のほうへピキピキと音を立てる。
フライパンが持ち上げられ、塞がれていた真っ黒な視界がひらける。
俺を見下ろす純の顔がウネウネと歪んで見えるのは涙のせいか、本当に歪んでいるのか。
弟が泣いているのは、音が聴こえなくてもわかる。
では俺はどうだ? 俺も泣いているのか?
さっぱりわからない。顔の奥の頭蓋に溜まったどろりとしたスープが、吹きこぼれそうに沸騰している。熱い泡がコポコポと百万回割れる。目玉がはみ出そうに重い。
銅鑼鐘と泡沫が空気を割断する音以外が失われたアンバランスな世界に、俺はワナワナと見とれた。
抽象美術のように幻想的に滲む、内側に向いた視界。
その中心に聳える純は蟻塚のようにドロドロと崩れたり、ニュルニュルと鼻汁アメーバのように蠢いてはまた不意に、真っ直ぐ屹立したりと忙しい。
遠近感がのびて巨人のように見える弟の腕が、また上空まで振り上げられた。
銅鑼のリズムに合わせるように弟が歪み、揺れて、踊る。
大波のように俺に覆いかぶさる巨人の影。
泣き顔の巨人の腕から、また真っ暗闇が振り下ろされる。
ノグギチャノグギチャ。ゴパゴパ。バギギバギギ。
おれを、ぺしゃんこになるまで、なぐりつづけるのか?
まえかがみのきょじんがまっくろなどらをならし、おれはくらやみのなかで、おとうとのなまえをわすれそうになった。
こえがきこえる。
ぼくのだ、ぼくのまおりだ。
──つづく。
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