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第四話『変』
しおりを挟む後頭部を見ているだけなのに、なにか悪いことをしているようでドキドキした。
人の流れに操られ、いつの間にか彼女のすぐ後ろを歩いていた日もあり、彼女の動線を追っていた俺には実はその幸運は、ちょいちょい訪れていたんだけれども、いつしか、そうなった日はラッキーデーだと考えるようになった。
それまでの俺は、朝の情報番組なんかで、コーナーとコーナーの間に挟まれる、あの占いの時間が始まると、また朝から、くだらねぇことをやっていやがるなと、鼻で笑っていたものなのに。
でも、恋は、人を変えるんだな。
俺の、『彼女に近づけた日はラッキーデー占い』は、よく当たる気がした。
そうなった日は、訪問する家の客の質が良かったり、現場に行くまでの間の車の運転でも、危険運転などのトラブルに遭いにくいような気がしたんだ。
たぶん、プラシーボみたいなもんだと思う。
幸運なんてのは、それを幸運だと感じるかどうか、または、幸運だと感じられるような出来事を、起きたと意識できるかどうかってところもあるからね。
赤信号で止められる回数が、今日はいつもより少なんじゃないかな、なんて感じたり、知らない人の家の庭やマンションなどの建物の中に入っていく仕事だから、近隣の住人らに怪しまれることも多いんだけど、笑顔で挨拶されたりすると、お、今日はついてるななんて、幸運をまたひとつ発見できる。
それと、彼女の背後に接近できた日が重なる確率は、たぶん、というか絶対に、無関係なんだろうけども、嬉しいことをひとつ意識すると、他の嬉しさも意識してしまい、彼女の背中にたまたま接近できるような日ってのは、やはり他のことでも幸運を感じやすくなり、すぐ、ラッキーだぜフフフ、となってしまうのだ。
バカだよな。
彼女の後ろ姿を見詰めていると、たまに俺の視線を感知したかのように、彼女がキョロキョロと顔を左右に動かすことがある。そうなると、後ろから密かにじっと見ていたことへの罪悪感が刺激されて、彼女が顔を動かすたびに後頭部から視線をそらしたりとか、誰も気づいていないだろうことで勝手に、オロオロ、ハラハラと慌てたりもしたが、そのアホみたいな自分の様を置いておき、その現象をプラスにとらえてみると、俺の想いがテレパシーとなって彼女に伝わったようにも思えて、というか、そう思いたくなって、また勝手に喜んだりもした。
うむ、なんか、こうして改めて当時の自分を振り返ってみると、あれだな、もう俺は、乙女のようだな。
でも、そんなドキドキは心の栄養となり、俺は彼女を知る前の俺よりも、確実に元気な、陽気なやつになっていたように思う。
あの時期、俺と話すときのお客さんや同僚たちが、笑顔になっていたことが多いように記憶しているのは、きっと、俺の表情が明るくなっていたからだと思う。
出勤の時間って、どうしても憂鬱になったり、面倒でしかなかったりするものだけど、その時間が楽しくなることが、ここまで日常生活に影響を与えるとは思わなかった。
ただ、これは良し悪しで、彼女がたまに駅にいなかったりすると、その日は逆に調子が崩れて、なにもかもが悪運のせいだと感じてしまったり、モチベーションが保てず、仕事がはかどらなかったりもした。
今の自分の姿からも言えることだが、恋は人に生きるパワーを与えもするけど、残酷に奪いもするんだよな。
学生時代によく経験した、あの例の、どうしようもなく心に振り回されてしまう感じを、俺は日々、久々に感じていた。
え、なに?
そこまで確信をもって相手を好きだったのなら、なぜ声をかけたりとか、なにか具体的なアクションを起こさなかったのか、だって?
うん、まぁね、俺もそう思うよ。て、俺はさっきから、誰と会話をしてるんだ?
いや、まぁ、たぶんこうして自分とやりとりをしながら思い出すほうが楽だし、スムーズに記憶がよみがえるような気がするから、自然とそうなっちゃってるのだろうけど。
誰に聴かれるわけでもない心の声なんだから、まあ、いいか。
俺が当時、というほど遠い昔の話じゃないんだけど、彼女に対して勇気をもって行動を起こせなかったことには、ちゃんと理由があるんだ。
なにもしなかったってワケじゃ、ないしね。
なにもなかったのなら、今、俺は、こんな風になっていないし。
彼女の姿を見ているだけで満足していたってのも嘘じゃないし、カッコつけじゃなく、本当にそうだし、俺が本当になにもせずに、ずっと毎朝、彼女との限られた時間を過ごすだけで満足できていたとしたら、あんな事件は起きなかった。
事件……いや、うん事件か。ふう、そうだ事件だ。だんだん自分で自分の言っていることが、よくわからなくなってきたな。
当時の俺もたぶん今と同じように考えを巡らせて、行動を起してしまったんだと思う。
それが原因で仕事を辞めてまで引きこもっているくせに、また当時と同じように考えるなんて、やっぱり人の心ってのは、本当に、ままならないものだよな。
一体、俺は、なにをしでかしたのか、だって?
そんなの知ってるだろ、自分のことなんだから。
いやいや、違う違う。
これは自分を客観するための事情聴取なんだから、ちゃんと答えないと。
わかったよ。……ふぅ、なんだこれ。
こんなんだから、まともな判断ができずに、おかしな行動を起こしてしまったのだろうな、きっと。
俺が間違ったとして、どこからが間違っていたのかを考えるために散歩に出て、過去を振り返ってみようとしているんだけど、考えかたのそもそもがもう間違っているというか、行動を決める思考パターンが変なんじゃないかと思えてきたな。
でも俺には、こんな風にしかできないんだから、しょうがないじゃないか。
考えを改めるのが難しいなら、思考パターンから反省点を模索するんじゃなく、道を踏み外した最初の一歩がなんだったのかを考えてみるのはどうだろうか?
よし名案だ、そうしよう。
彼女の後をついて改札を通る毎日にも慣れて、少し変化を求め始めていた俺は、なにを思ったのか、自分のおりる階段を通り過ぎて、くだり方面行きの電車が来るホームへと、彼女の後を追って、おりていってしまったんだ。
──つづく。
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