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第五話『現実逃避』
しおりを挟む俺が反対側のホームから観察していた記憶によると、彼女はいつも一人で電車にのっていたはずだった。
でも、俺が彼女と同じホームにおりていったあの日は、いつもと違った。
彼女が「おはよう」と手を振った先には、背の高い彼女と比べると、より小さく見える、小柄なショートカットの女の子が待っていた。
その瞬間、俺の聴覚と視覚は、驚きと喜びで興奮した。
彼女の声を聴いたのはそのときが初めてだったし、背後からなので横顔しか見えなかったけど、笑顔を見たのも、そのときが初めてだったからだ。
白くてつるつるした鼻柱にはクシャッとシワが寄り、長いまつ毛がつぶらな瞳を覆い隠して、笑うといつもより幼く見えた。
笑声は、周りに迷惑にならないように抑えられていたので、ほとんど聴こえず、だから、彼女がどんな笑いかたをするのかはわからなかったけど、その嬉しそうな表情から発された挨拶の声は、ハッキリと聴き取れた。
背がスラリと高いからか、声は思ったよりも低音だった。
あんな風に友達と接するんだと感動して引き込まれてしまい、不自然な距離まで接近しないように自制するのが大変だった。
もっと透き通った声をイメージしていたのに、少しハスキーな低音だったことが意外で、なぜかそれがすごく嬉しかった。
へぇ、そうなんだ! と、クシャクシャの笑顔と掠れた声を、記憶に深く刻む。
俺にもあんな顔で笑って、あのハスキーな声で喋りかけてくれたら最高だなと、すぐに妄想を始めた。
しかも、彼女の友人も、彼女とはタイプが違うけど、かわいらしい人だった。
カワイイ女子が複数でいると、魅力が倍増して感じるのはナゼだろう?
楽しそうに喋る二人は、周りから浮き出て見えるほど華やかだった。
まるで、テレビを観ているような気分になるほどに、アイドルが至近距離にいるかのように、俺はドキドキしていた。
アイドルって最近は、一人で売り出さずにグループで売ることが多いけど、この華やかさを見ていると、理にかなっているなと納得してしまう。
俺は二人の会話に聞き耳をたて、聴力と記憶力に全神経を集中させていた。
会話の内容はもう忘れたけど、楽しそうな彼女の笑顔は記憶に焼き付いている。
そのくらい、俺はじっと背後から見続けていた。
夢中で、なにも考えられずに。
見惚れて、夢心地のまま、すぐそばに立っていた。
……なに? 気持ち悪いって? 誰が? え、俺? なんでよ?
気持ち悪いはないだろ、そりゃさぁ……って、いや、これは、俺の心の声か。
自分でも自分の行動が気持ち悪いと感じるんだな。
よし、客観視できている。成功、成功。じゃなくてさ、ちょっと待ってくれよ。て言うか、人を好きになるってのは、そういうことじゃないのかい?
相手のいろんなことを見て、知って、喜ぶ。
これの、ナニが、キモチワルイか。
まだ名前も知らないのに背後から接近するのも、女の子たちの会話をじっと盗み聞きするのも、そりゃ、ダメなのかもしれないけれど、その心の純粋さは、信じてくれてもいいのではないかい?
ていうか、この時点で気持ち悪いなんて言われたら、もうこの先は話せないよ。俺はこの先、もっと気持ち悪いことをたくさん言うよ? それをイチイチ否定されたら、もう恋バナなんてできないよ。そうだろ? 誰かを好きな人の頭の中なんてのはさぁ、多かれ少なかれ、気持ち悪いものなんだから。いや、これはもう、決めつけさせてもらう。どんなに爽やかなイケメンくんだって、本当に正直に頭の中を発表したら、どっかに少しは、気持ち悪いところあるから! 絶対に!
……熱弁て。
ヤバすぎるだろ、俺。
自分に対して全力で、熱くなってイイワケするようになったら、もう末期だろ。
わかったよ、認めるよ、気持ち悪いよ。
客観するのが、この事情聴取の目的なんだから、気持ち悪いという結論を出せたことで、目的を達成したのではないか?
んな、わけ、ないか。ぜんぜん反省してないし。
たしかに、好きな女の後をつけて、会話を盗み聞きしましたなんて、他人に同じことを告白されたら「コイツはやべぇ」と思うだろうし、もしそれが友人だったら真剣に説教してしまうかもしれない。自分のことを棚に上げて。
人間ってのは、なんてダメな生き物なのだろうか。
人間ていうか、俺が、ダメなだけなんだけども。
俺はもう、今年で二十四歳だ。
自意識としては十七歳のころとゼンゼン変わらないけど、もう学生ではないし、仕事もしてたし、普通に大人だ。
対して、俺の目の前で女友達と楽しそうに話している彼女は、というと、これはどう見てもジョファシュキョシュシュシェル……シェス。
え? なんて言ったのか、だって?
ちゃんと聴いてろよ、自分の心の声だろ。
いいか?
ジョファシュキョシュシュシェル……え?
ああ、声の大きさじゃなく、滑舌の問題か。
心の声に大きさも滑舌もないだろ。
そうだよ、ごまかしたんだよ!
なぜなら、俺が好きになったのはジョシコウセイだからな!
俺のすぐ近くにいる二人は、どこからどう見ても、制服姿の女子高生二人組だ。
しかも俺は、彼女が高校生だと知らずに好きになったわけじゃない。
初めて見たときも制服姿だったし、ちゃんと女子高生だとわかっていた。
ここに関しては、もう、イイワケのしようがない。
残酷な現実ってやつだ。
ついカッコつけてしまったが、あのときの俺は女子高生を好きになっちゃダメという現実からは、楽勝で目を逸らしていた。
現実から目を逸らしながらも、眼前の楽しげな二人からは、目を逸らせない。
そんな感じの、あの時までは少なくとも、俺の心は幸せでいっぱいの朝だった。
まぁ、彼女が女子高生だというのも俺の希望的観測であり、せめて中学生では、あってくれるなという、切実な願いからきた情報ではあるけれど、その事実からも当然、目を逸らしていたし、今もまだ、目を逸らし続けている。
──つづく。
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