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第十三話『恐慌』
しおりを挟む「ちょっとあの、ボーッとしてましたら、くだりのホームにおりてしまいまして、そのままなにも考えずに電車に乗って、気づいたらこの駅まで来てまして、慌てておりたところなんです」
俺の早口のイイワケには聞く耳ももたず、駅員は割って入るように冷たく言う。
「そういうことじゃなく、乗車券を拝見させてくださいませんかと申し上げてるのですが?」
俺は「スミマセン!」と、肩掛けカバンから定期券を取り出す。
理由は一応、伝えた。
苦しかろうがなんだろうが、その理由とこの定期は繋がっている情報だ。
最初から言われるままに定期を見せるよりは、反応がマシであってほしい。
俺の定期券は、百円ショップで購入したヒモ付きの定期入れに入れられており、ヒモはカバンの金具に繋がっている。
駅員は受け取り、自分のほうに引っ張れないのでこちらに近づいて、顔を寄せて券面をよく見た。
そこには、ここから八つも離れた駅名が、目的地として表示されている。
よりによって、女性だらけのこの駅でおりてしまったのが、どう考えても不審であり、客観すると冷汗が出た。
なんの容疑で職質されているのかは知らないが、黒に近いグレーどころか漆黒の罪人にしか見えないことだろう。
正直、俺が駅員ならこんな怪しいやつ、絶対に逃さないと思う。
まさに容疑者界のブラックホールと呼ぶにふさわしい、黒中の黒だ。
なんだ、容疑者界って。
でも俺の狼狽ぶりは、刑事ドラマなら犯人ぽすぎて逆に犯人じゃないと視聴者が思うタイプの脇役のようだった。
駅員が、手もとの定期券とうろたえる遊泳瞳を交互に見る。
そして嘆息し、呆れたような口ぶりで言った。
「彼女たちがですね、さきほどそこの階段で臀部を触られたと、事務所まで報告に来られまして。触った犯人を確認しようとして振り返ると、あなたが背後にいて、目が合ったと言われているのですが、心当たりはありますか?」
デンブ?
あ、彼女たちというのは少し離れたところからこちらを見ている、俺の好きな女性とその友人のことで、駅員は背後の二人をチラリと指さデンブ?
……デンブってあの、デンブ?
頭をぶん殴られたような衝撃が、耳から脳を打つ。
痴漢だと通報したと言われているのはわかるが、他が入ってこない。俺? が、彼女たちのデンブ、を? え、どうしたって?
彼女たちはナニ、俺がその、デンブを、え、なに?
デンブ……とは、尻。シリ? ヘイシリ、教えてくれ。
俺・触った・女子校生・デンブ・いつ?
ココロアタリハ・アリマスカ?
心当たりなんかあるわけがないだろシリ。
ゾルタクスゼイアンより意味がわからないぞシリ。
カイダンデ・デンブヲ・サワラレマシタ。
だから触ってないって!
混乱した俺は、ただ頭を横にブンブンと振った。
首がもげるほどの、激しく熱心な否定。
ないないない。そんなことしないし、するわけがない。
好きな人の尻が魅力的なのは認めるが、いきなり触るなんてそんな失礼なことはしない。
いや、いきなりじゃなく、ことわってから触っても一緒だけども。
あと、尻を魅力的だと思ってるって、思わず言っちゃったけども。
こんなことを口に出せば、一発でアウトだ。
言わないし、もう魅力とかも考えない。
とにかく触らないし、触るやつから護るために、俺はここにいるんだ。よけいに怪しまれるからそんなことは言えないけど。俺は『触らせない側』の人間なんだ。
ただ首を振っているだけでは駅員さんの表情は一ミリも変わらないので、言葉にして否定する。
「そんな! 違いますよ、俺は彼女たちの後をつけたりなんかしてないですし!」
痴漢ではない理由を伝えたかったのだが、伝わっているようには見えなかった。
「後を、つけたんですか?」と、冷たく問い返される。
しまった、一番否定したいことを、訊かれる前に否定してしまった。先走った。
「違います! 後をつけてもいないし、触ってもいないという意味です!」
駅員の顔は、全く納得していない。語尾に噛みつくように反論される。
「でも触られたとご本人が証言されてますからね、この定期券も、証拠になりそうですし」
「定期券は、だから、間違えたんですって、本当です、信じてくださいよ!」
「まあ、こんなところで言い争いをしても、他のお客様の迷惑になりますのでね、駅事務所までご同行いただいてから、そこでゆっくりと、お話を聴かせていただきましょうかね」
「事務所、ですか?」
腋の下が、汗でビショビショになる。
「ええまぁ、一応、警察官にも立ちあっていただいてですね、彼女たちにも別室で聴取させていただきますし、どうかここは穏便にですね、ご協力をいただけませんでしょうかね?」
駅員が口を開くたびに、口調がぞんざいになっていくのがわかった。
脳裏に、テレビで観た弁護士のコメントが再生される。
『痴漢冤罪の場合は、駅事務所などに行ってしまったら、その時点で終わりです。任意同行を認めてしまいますと、警察署への任意同行も同時に認めたと判断され、駅事務所からすぐに最寄りの警察署に連行されてしまいます。そうなったら、もう容疑所というか、犯人として扱われますので、厳しい取り調べが行われ、裁判では確実に有罪にされてしまいます。女性側の証言をもとに状況が判断され、容疑者の証言で認められるのは、謝罪と自白のみです。痴漢で捕まったら、覆すのは奇跡に近い低確率になります。検察も警察も、それが物理的に不可能な方法であっても、どうにかして犯人が触ったという事実をでっちあげようとするからです』
恐怖心が、足もとから尻、背中へとゾワゾワとあがってくる。
震えが止まらない。
警察の尋問については、日本人なら全員が知っている。
容疑者が「私がやりました」と認めるまで、虐めて虐めて、徹底的に虐めぬき、人格を否定し、嘘つき呼ばわりし、睡眠不足と疲労とストレスで判断力と抵抗する気力を奪い、何日でもそれを続け、洗脳に近い状態にするという。
その洗脳はありもしない罪悪感を植え付け、容疑者を苦しめる。
犯人を「落とす」と警察は言うが、犯人を「作る」が正しいような方法で自白を強要するらしい。
味方の誰もいない密室で、容疑を認めるまで許さず、否認は認められない。
一生のこる心の傷を負わされるという。
数十日もの尋問に、耐えられる自信はない。
怖い。ただただ、怖い。
俺を通路の端へと追い詰め、前を塞ぐように立つ駅員が、俺を逃さないように、腕を絡ませてくる。
「ご協力いただけないなら、この場に、警察のかたに来ていただきましょうかね。そのほうがよさそうですね」
駅員は無感情にそう言うと、携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。
──つづく。
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