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第十四話『図々しい男』
しおりを挟む軽蔑をこめた突き刺すような眼差しを向けつつ、他の乗客が円を描くように俺の周りを囲っては、他人事だけに、すぐに興味を失って歩き去っていく。
でも俺にとって一番面倒くさそうなのは、立ち去らない野次馬たちだった。
痴漢容疑者である俺が逃げようとしたり、抵抗して暴れたら、皆で押さえつけてやろうという、アメリカバイソンのような鼻息の荒らさで、正義の味方になろうとしている人々。
日頃の欲求不満の解消に、少々痛めつけてもいいだろうという、ストレス発散のチャンス到来という雰囲気が漂っている。
なぜ、こうなった?
俺は本当に、彼女たちには指一本触れていないのに。
肌にのこる柔らかな感触の記憶は、電車の中で彼女に触れられたときのものだ。あの時だって、俺は硬直していただけで、なにもしていない。
いや、駅員の話だと、電車の中で起きたことではなく、ついさっきそこの階段で起きた事件なのだという。
いやいやいやいや、覚えがない。
確かに、二人のすぐ背後に、手の届く距離にいた男性は、俺しかいなかった。
でも、もし間違って触れてしまったのだとしたら、どこかに感触がのこっているはずじゃないのか?
俺の記憶が、間違っているのか?
「ああスミマセン、警察官のかた、お願いします。くだりホームの階段上です」
駅員の口調は、110番通報した人のものではなかった。
あきらかに、どこかに待機している、またはパトロールしている警官に、連絡をしたという感じだった。
駅構内に、鉄道警察がいるのか?
おそらく、近くの大きな駅の分駐所から、女性の多く利用する駅ということで、特別警戒かなにかで来ているのだろう。
予想どおりというかなんというか、ほどなく、通路の向こうから警察官が二名、こちらに早足で来るのが見えた。
制服は駅員と似ているが、体格がゼンゼン違う。
柔剣道で鍛えられた、モコモコとした暴力的なシルエットがふたつ。
恐怖心で現実味がなく、スローモーションに見えた。
よくマンガなどで、ビビって小便を漏らすシーンがあるが、あれは誇張表現だと思っていた。
違った。
ああ、俺の人生は、わけのわからないまま、たった今、終了した。
そう感じると同時に、尿道からチョロリと生温かい液体が出た。
慌てて止めたので、ジョロジョロとは出なかったが、俺は実際に漏らした。
それくらい、警察官が頼りになりそうに見えれば見えるほど、近づいてこられるのが恐ろしかった。
なんだか、足もとがフワフワとして、記憶が飛んだ。
俺の眼前で、アルミサッシのような引き戸がガラリと開けられる。
案外とソフトに、でも逃げるのは許さないという力のこもった掌に背を押され、小さな部屋へと入る。
生まれて初めて入る駅事務所は、日光が入りにくくて暗いのか、朝だというのに蛍光灯がつけっぱなしになっており、殺風景だが妙に明るかった。
だがその不自然な明るさも俺にとっては不気味でしかなく、まるでホラー映画のワンシーンのように見えた。
リノリウムの床は古く、あちこちが欠けている。
使い込まれたテーブルは黄ばんでおり、元々は白だったということを、なにかが貼られていたあとの白さがコッソリと物語っている。
そのテーブルの周りには、パイプ椅子が四脚並べられていた。
無言で誘導され、目顔で「座れ」と指示されて、腰かける。
椅子も古いようで、大柄でもない俺が座っただけで悲鳴のように軋んだ。
警察官二人が、対面に座る。
そこから先の詰問は、容赦なかった。
痴漢目的のストーカーという前提で話をされ、俺は「違います」を繰り返した。
ただ、話を聴いてもらえないということではなく、警察官たちは辛抱強く、違うなら、なにがどう違うのかを説明しないと、信じたくても信じようがないのだと、何度も俺に言って聞かせた。
説明するだけじゃなく、ちゃんと説明を証明できないとダメだよとも言われた。
そんなの、ムリに決まっている。
やっていないことを証明するのは、悪魔の証明に近いじゃないか。
そもそもの難点として、俺が今ここにいる理由を説明するのに、言えないことが多すぎるのも問題だ。
だからどうしても、フガフガとした怪しい釈明になってしまう。
今日の、今までの俺の行動は、純粋な気持ちからのものだと断言できる。
彼女たちに迷惑をかけるつもりもなく、嫌な思いをさせるつもりもなかった。
そして俺は、どうしたら彼女たちが不快になるのかを、ちゃんと知っている。
そうならないように、そこは慎重に行動してきたはずだった。
でも、それをうまく説明できる自信がない。
しどろもどろ。口籠り。バタフライなみに大袈裟に泳ぐ両目。
言えないことを隠したままの問答は、警察官に不信感を与えるだけだった。
当然、対応はどんどん厳しくなっていく。
口調も、態度も、犯人に対するものへと変わっていく。
いよいよ俺の「違うんです」は、聞いてもらえなくなった。
二人の警官のうち一人は「ハイハイ」と軽く受け流し、もう一人は、「違わないでしょ?」と、呆れ声で俺を諭す。
俺がずっとバカみたいに否定するだけなので、警官たちは俺の返答を、罪を認めるか、またはそう受け取れるようなものへと誘導しようとした。
よくニュースで容疑者のコメントとして警察発表されているような、あの例の、『犯人は概ね容疑を認めている』的な発言を引き出したいのだ。
なだめすかし、叱りつけ、説得してくる。
俺はまるで、レイプ犯のように扱われた。
責められ、怒られ、こんこんと説教された。
緩急、剛柔、喜怒哀楽に、俺は心を振り回された。
でも、違うものは違うとしか言えない。
業を煮やした警官の一人が椅子から立ち上がり、「ちょっと待ってて」と言って部屋の出口へと向かう。
室外に、ではなく、奥にある部屋の扉のほうへ。
古ぼけた扉が乱暴に開けられた。
薄壁一枚で隔たれたその部屋には、女子校生たちがいた。
扉を開けた警官が、彼女たちにボソボソとなにかを確認している。
彼女たちも怖いのだろう、声が小さく、なにも聴こえない。
警官も「え?」と、何度も聞き返していた。
警官の声は大きいので、ハッキリと聴こえる。
「……じゃあ、触れられたのは確かでも、彼が触れたのを見たわけじゃないのね? 間違いないね?」
まるで、女子校生たちが怒られているかのように聴こえる、威圧的な胴間声。
怖いだろうなと同情し、そうなると罪悪感がムクムクと頭をもたげる。
彼女たちは、なにも悪くない。
彼女たちに触ったやつが悪い。
それ……俺か?
俺が彼女たちを苦しめて、怖い思いをさせているのか?
て言うか、もし俺が本当に犯人だとしたら、こんなに近くで取り調べをしたら、被害者たちは怖いだろうに。
俺が必死になり、大声で否定をすればするほど、彼女たちを怯えさせてしまう。
罪悪感と、誤解だという気持ちが鬩ぎ合う。
俺が彼女たちに同情するなんて、立場的にこれほど図々しい話もないだろうが、俺はやっていないし、やってない罪を認めるわけにはいかない。
でも、この状況を長く続けるのは、あまりに彼女たちがかわいそうだ。
体格のゴツイ、腰に拳銃をぶらさげた、下品な声の大男に、あんな風に威圧的に訊かれたら、もういいですと逃げ出したくなるのではないか。
うう、なんてことだ。
どうしよう?
俺が彼女たちを護るためには、認めるしかないのか?
そんなバカな。認めたら、俺が加害者になるんだぞ?
それでいいのか?
しかたない。という声と、絶対にダメだという声が、心のなかで同時に答えた。
──つづく。
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