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第十一話『降臨』

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 自分が振り返っていると気付いたのは、その光景を見てギョッとしている自分に気付いた後だった。
 グラウンドの中心でコーチの指示を受けていた選手たちが、パッと花火のように散って放射状に駆け、それぞれのファンたちのもとへとやってくるのが見えた。
 なに? なに? なに? と、状況を察知するべく脳をフル回転させる。
 なんて、まぁ、そんな風に複雑に考えるまでもなく、一目瞭然なことを大袈裟に推理しようとしているのは、自分でもわかっていたのだけれど。
 でもハングリボール部特有のこの習慣を知らなかったのは事実で、それに驚いて呆然としたのも、演技でも嘘でもなく、本当の感情からのことだった。
 ファンたちの各家庭からの、寄付を期待してのサービス。
 これはコーチや監督、学校も公認の接待の時間だった。
 私の目をずっと奪っていたのは、やはりトランだ。
 親友のニックと二人で、こちらに駆け寄ってくる。
 練習中はヘルメットとプロテクターをつけているので、彼らがどこにいたのかは全くわからなかったが、サービスタイムの前に全員が防具を外したため、散開してすぐに、トランがこっちに来てくれていることがわかった。
 私には彼らの背中に、天使の翼が生えているのが見えた。
 帰ろうとしていた私の両足は、とっくに止まっていた。
 それどころか、トランたちのその姿を見て、早く元の位置に戻ろうよと、両足がワクワクと催促しており、私はそれに即時賛同した。
 一軍選手のなかでもエリートのスター選手は、地元民だけでなくチームの存在を知るすべての国民に名と顔を知られる有名人で、彼らはやはりセレブ家庭の多い、S席方面へと向かっていた。
 選手がもてなしてくれるこの時間こそが、ファンがここに通う最大の目的だったのだ。
 なるほどそういうことだったのかと、さすがに納得せざるを得ない。
 私は誘引されるように、友人たちのいる僻地的応援エリアへと戻った。
 セレブ席には、トップ選手たちだけでなく、その代理選手たちも集まっていた。
 代理選手などという存在を、私はその時まだ知らなかったので、後でミラたちに教わったのだが、その説明によると、彼らはレギュラーではないが、トップ選手が故障したり、温存すべき試合などで、代役で出場する選手なのだという。
 その実力はトップ選手に次いで高く、ベンチで控える予備人員ではあるのだが、大学のスカウトたちも注目しているし、トップ選手に次いでファンも多いらしい。
 トランやニックは人気も活躍も中くらいだが、それでもレギュラー選手ではあるので、校内の他の男子などはもちろん、二軍の選手たちとは比べようもないほどにモテる。
 トランが私たちのいる辺境エリアに到着すると、そのスーパーヒーローのような完璧な笑顔は、途端に女子たちの騒ぎに囲まれた。
 日焼けした健康的な肌に、純白の歯が輝いている。
 私はもうその時には、人山の外でグズグズしているケッカーのそばくらいまでは戻ってきていた。
 こんなにトランを近くで見るのは、数週間ぶりだった。
 それも前回は、あの変なイタズラの一瞬だけで、会話もしていない。
 女子たちに囲まれている、それも運動着を身に着けたトランは、校内で見かけるふだんの彼よりも、さらに魅力的だった。
 モテる男は、やはり放つオーラが違うなと、ため息が出る。
 飛び跳ねるファンたちの中心にいるトランと、輪の外側にいる私とは少し離れているが、それでもモテフェロモンは楽勝で届く。
 悔しいけど、ドキドキしてしまう。
 悔しいけど、目が離せない。
 悔しいけど、彼の周りでアピールしている女たちには、絶対に取られたくない。
 私は無意識に、他の女子を押し退けて輪の中心へと進んでいた。
 口からは、トランの名の連呼と歓声がほとばしっている。
 トランを囲む女子たちは、もともと気弱だからこそこんな僻地から見学している連中ばかりなので、けっこう簡単に輪の中心までたどり着けた。
 勢いが余って、おっとっとと、つんのめってしまう。
 柔らかくて弾力と厚みのあるなにかにしがみついて、倒れるのをこらえた。
 私がしがみついたのは、ハングリボール選手用プロテクターを外したトランの、鎧のように鍛えられた、パンパンに張った胸筋だった。
 頭のなかで、ボンッ! という破裂音が鳴るのが聴こえた。
 頭皮からは陽炎のように、湯気が立ち上っているのもわかる。
 顔色など真っ赤を通り越して、たぶん少し蛍光色になっていたことだろう。
 見上げると、逆光の太陽がキラキラと彼の周りに、少女漫画の登場人物の背景にしか存在しない星を作り、その完璧な骨格の描く輪郭を凛々しく涼しげな影にしていた。
 ああ、王子様。
 私の口が音を発さずに、自動的にそう呟くように動いた。

 ──つづく。
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