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第十四話『トモダチ』

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 ざわり。
 全く聴いていないような顔で退屈そうにしていた二人。ケッカーとミラが、吸い寄せられるようにこちらに顔を向け、集中して耳を澄ました。
 友人の言葉は、眼球のちょっとした動きや呼吸のしかたひとつで、嘘か本当かがわかるときがある。
 それを聴き逃がすまい、見逃すまいと、急にうちらの喧嘩に注目したのだ。
 その瞬間から、聴衆ですらなかったこの二人が裁判員となった。同時に私は裁く側ではなく、原告としてハナと勝敗を争う、対等の立場になった。
 実は最初の一言から、もう嫉妬丸出しの喧嘩は始まっていたのだが、ていうか、テーブルをぶっ叩いて始まっているのだから、これが穏やかな会話でないことなど誰にでもわかりそうなものなのだが、切れ端のような、説明のない隠語の投げ合いだったためにケッカーとミラには理解ができず、またコイツら、くだらないことで揉めてるなとでも思っていたのかもしれない。
 私が「トランが好き」という発言をした直後には顔を見合わせ、キャーと騒いでいた。すっかり夢中の他人事。なんなんだオマエらマジで。
 その後はもう急速に興奮し、うちらの邪魔をしないようにヒソヒソ声のままではあるが、盛り上がる一方だった。
 ハナも、さすがに面と向かって宣言されると、驚いていた。
 一瞬は怯み、そしてすぐに、ぐいと戦闘モードに切り替える。
「そんなの知らねぇし」
 挑戦的な顔と口調。雰囲気が数秒前とは別人だった。
 泣きそうな驚き顔から、怒りと反抗心の塊のような顔になり、そしてくるりと、勝ち誇ったような人を見下す表情へと変える。よくまあここまで感情をあちこちにぶん回せるものだ。
「トランが言ったのは、私が好きだって伝えた手紙へのお礼よ。でもあのトランの反応を見れば、悪く思ってないのは、あんたにもわかったでしょ?」
「あんなベッタベタのファンサを信じてんじゃねぇよ」
 という、口をついて出そうになった反論をのみこむ。
 友人との喧嘩で、言っていいラインを越えた反撃だと、咄嗟に判断したのだ。
 たぶん私がハナと同じことをしても、彼は同じように礼を言ってくれると思う。
 分厚い透明な壁。絶対ではないのだろうけど、越えるのは難しい、そして越えたからといって、幸せが待っているとは限らず、ただのグルーピーどもの一員になるだけなのかもしれない、女の子にとっては辛い現実を直視させられる壁が見える。なんたって向こうは、スポーツ選手としての活躍だけでなく人気も重要な、モテるのが仕事という面もある、プロになるための竜門を登っている最中の若鯉なのだ。
 ファンと有名人。他人が他人を想う、一方的な妄想の追いかけっこという現実。
 その現実を認められないなら、あんな桁違いにモテる相手を好きになってはいけない。
 そんなのは私も、たぶんハナだってわかっていることだ。
 相手が現実を直視できていないなら、それを指摘してやるのは友情だと思う。
 でも、頭の中の自分だけの恋物語を否定してやるのは、ルール違反だ。
 それは日々を生きていくためのエネルギー源であり、希望の火種だ。
 その火を消そうとするのは傲慢だし、互いにやっちゃいけないことだと思う。
 私はそこだけは、冷静に節度を保った。
「ずっと好きだったんだから。私のほうが、ずっと前から」
 ハナの主張は自己中心的だった。
 私がいつからトランを好きかなんて知らないくせに、勝手に自分のほうが先だと決めつけていた。
 野次馬どもは今や、会話の輪に入っているかのような距離で堂々と聴いている。やめろバカ。私は言い返したかったが、こんな距離でニヤニヤして見物されると、恥ずかしくてこれ以上、というかもう一度誰かを好きだなんて宣言する精神力は、私には残っていなかった。あんなのは一度だけ発揮できる、奇跡的な勇気だ。
「私だって……」
 絞り出すような声が、唇を出てすぐ空気中に溶けて消える。
 ケッカーとミラはどちらの味方をするでもなく、口を挟まずにヒソヒソと話し、楽しそうに観戦していた。
 なにか感想や意見でも交換しているのかなと思ってよく聴くと、このゲスどもはうちらの言い合いを、試合のように実況していた。
「おおっと、ハナの起死回生の一撃だ!」
 という半笑いの声が微かに聴こえ、愕然とした。
 この豚ども、今度こそ屠殺して加工してベーコンにして、こんがり焼いて明日の朝食にしてやろうか。
 でもこれも冷静に考えれば、たぶんお互い様なのだ。
 私だってコイツらの誰かが、こんな風に目の前で揉めだしたら、今日はアイスがウマイと思ってしまうかもしれない。
「あんたには負けないから」
 すっかり冷静になって反論できなくなっている私に、ハナが追い打ちをかけた。
「うるさいブス」
 私の精一杯の反撃は、小学生以下のやつだった。
 ミラとケッカーが小さくブーイングしている。
 オマエら、マジでったろか。
 口論はそこで尻すぼみのまま終わり、私たちは店を出てバラバラに帰った。
 挨拶もない、気まずい別れ。
 ミラとケッカーも、このままどこかへ遊びに行こうとは、ならなかったようだ。
 ケッカーはもしかしたら、少し行きたかったのかもしれないが、ミラのほうにはその気がなさそうだった。
 ミラはお金をあまり持っていないので、ケッカーのような豪遊などできないし、羨ましい反面、ケッカーを少しバカにしているところもある。
 だからあまり、この二人だけで遊んでいるのは見たことがなかった。
 私は呆然としたまま、トボトボと家に向けて足を動かした。
 どうしよう、どうしようと、そればかりが頭の中で渦巻いている。
 明日から、どんな顔をして学校に行けばいいのかが、わからない。


 ──つづく。
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