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第十七話『おひきとめしまして』
しおりを挟む困り顔✕笑顔=苦笑。
私がパパやママを押しのけて玄関から顔を出したときに見えたサブの顔だ。
「あ、ごめん、準備まだだった?」苦笑から放たれた最初の一言。
ん、え、あれ?
その困り顔はパパやママにだけじゃなく、私にも向けられているの?
言われてみれば私は起き抜けで、爆破コントのような寝癖にノーメイクだった。
忘れてた。ていうか、どーせ汗まみれになるんだから、別にこれでよくね? と結論し、「いや、いけるよ」と答えかけたとき、パパとママに押しのけ返された。
ボヨンと、玄関から横の靴箱の辺りまで〈お迎え陣形〉から弾き出される。
二人はサブの肩や背中に触れて、楽しそうに「まあまあ入って」と、家のなかに招じ入れている。
「待ておい」と、それを止めようとした時には、もうサブの細身の身体は、パパのレスラーのような背中の陰に隠れて、廊下を奥へと運ばれていた。
サブの背を朗らかに押しながら、二人はまたスキップをしていた。
ため息とともに肩を落とし、だるーんとした顔でそれについていく私。
もう、イヤな予感しかしない。
居間に入ると、奥のキッチンテーブルにサブが座らされていた。
パパはいそいそとコーヒーの用意を始めている。
ママは……、んん? なんかものっすごい大股の早足でこっちにやってくる。
ママが私の手をギュッと握り、「いてて」と私が顔をしかめていると、そのまま二階へと引き摺っていかれた。
自室に押し込められ、ママが後から入って後ろ手に扉をしめる。
「せっかく彼が迎えにきてくれたのに、ダメよ、そんなかっこじゃ」
顔を斜めにして、チッチッチと舌を鳴らして私を叱るママはもうママじゃなく、女性としての先輩の顔になっていた。
私の主張は終始一貫、すぐに汗まみれになるんだから、運動着に着替えるだけでいいんじゃないのか。というものだったが、ママは他の言葉には反応しても、その意見は黙殺した。
もしもーし。
聴いてますかー?
と、心の扉をノックしているうちに、自室の奥の洗面所へと連れて行かれた。
洗顔、洗髪、ドライヤーからヘアアイロンまで。
当然、歯磨きもさせられた。
さあキレイになった。これでオーケー。
とは、いかなかった。
部屋を出ようにも、ドア前に仁王立ちしている門番が通してくれない。
腕を組んで、鋭い眼差しで顎をそびやかしている。
なぜか無言でなにを言っても答えない。怖い。
意図をうかがうようにして目線を追うと、化粧台があった。ちょこんと座る。
わかったよもう、やればいいんでしょ、やれば。
テキトーにリップを塗って立ち上がると、顎をゆっくりと横に振られる。
なんだそれは、カンフースターのマネか?
簡単にアイメイクだけをして、タンスからジャージを取り出し、着ようとする。門番に駆け寄って奪われ、フルスイングで投げ捨てられた。
なにが不満かとママを見ると、鬼のような顔で香水の瓶を睨んでいる。
ええーっ! これ、高かったのに!
お気に入りのオードパルファム。目顔でつけろと命令される。
ワンプッシュ。
カンフースターが顎を振る。
ツープッシュ。
よし、と、カンフースターが満足する。
なんだカンフースターって。なんだこの時間。
エヘンと、門番が咳払いをする。
その視線が、動けと指示をしている。
私はまだ、下着のままだ。
タンスに歩み寄ると、バン! と壁を掌で打たれた。
ちがうのか。なんだこの、無言でイエスノーシステム。
タンスから離れ、クローゼットの前に立つ。
フフンと、門番が不敵に嗤う。イエスなのか、それは。
戸を開けて、ひとつひとつ指差していく。
ある一つに、鬼が満足そうに頷く。また高い服をコレもう。
それは白の、ノースリーブのワンピースだった。肩にヒラヒラがついている。
マジかよ。暴れて、汗だくになっていいのか? これ。
クリーニングで、なんとかなる? 黄ばまない?
私が観念して着替え始めると、ママは態度を軟化させ、途端に饒舌になった。
ダルいなぁもうと、ボーッとして着替えている私の背に、キスの誘い方のコツを伝授してくる。
正直、アドバイスの内容はほとんど覚えていない。
あーしてこーしての部分は、ピヨピヨという小鳥の囀りに私の耳が自動変換していたので、そのように記憶している。
キスまでの過程はそんな感じだったが、「今だというタイミングで、相手の唇に自分の唇を少しだけ近づけるの。相手の呼吸をよんでね、後は待つだけ。焦っちゃダメよ」という最後の部分だけは、母親が娘にナニを言っとるのだと呆れたので、言われたことをハッキリと覚えていた。
でも、その前を全く聴いていなかったので、その「今だ」というタイミングが、いつで、どんなものなのかは、私には想像もできない。
相手はサブなんだから、アドバイスなんか端からいらんのだ。
二人きりでもなきゃデートでもない。
バンドの練習にいくと、何度も言っているはずなのだけど、ママのなかでは他のメンバーたちは、どうやらいないことになっているようだった。
私はワンピースの下にジーンズをはいた。
ママは、それにも反対したが、ここだけは私も、断固として譲らなかった。
二人の折衷案が、私が持っているなかで一番高価なジーンズだった。
このやたらとデコルテの広い、薄手でミニのワンピースだけでも場違いなのに、スカートヒラヒラパンツがチラリだけは勘弁してほしかった。
胸元やパンツも危険だけど、これ、汗かくと透けちゃうんじゃないの?
私はそれを伝えて抗議したが、「だから?」と、平然と返された。
え、なに、これは、誘惑させようとしてるの?
ダメだこの母親は。
私は諦めて従うふりをした。
居間にはパパがいる。
さすがにパパも、色仕掛けには反対してくれるだろう。
私とママは部屋を出て一階ヘとおり、居間のドアを開けると、楽しそうな声が、キッチンのほうから聴こえてきた。
二人でテーブルに向かい合わせに座り、サブのビートボックスに合わせてパパがラップしていた。
ちょっと座を外していた間に、なにをしとるのだ、キサマらは。
ラップ中のパパが、私とママが来たのに気付いて、こっちを見る。
満面の笑み。
「おお、いいじゃない、スイートハート。綺麗だよ」
嬉しそうに褒め、「ね、ビーも、そう思うだろ?」と、サブに同意を求めた。
ビーて。なんだそのトランスフォーマーみたいな愛称は。
ビートボックスのポーズのまま、サブが私を見た。
私が突然、別人のように変身してきたので、目を丸くしている。
ごめんサブ、イタイよね、このかっこ。うちの親、変なんだ、申し訳ない。
「はい、素敵です、とても似合ってます」サブがパパに微笑み返す。
「だろ? 見とれてるねぇ、わかるよビー、うんうん」
百点の答えだとばかりに満足そうな顔で、パパが頷く。
男どもが気付くのが待ちきれなくて、私は自分から言うことにした。
「これさ、汗かいたら透けちゃうんだけど」
薄手の白のワンピースを摘んで不服を漏らす。
パパは「へー」という透かしッペのような反応の後、ママに顔を向けた。
「かわいくしたねぇ、グッジョブ、ハニー」と、サムアップする。
私は「ああもう!」と天井を仰ぎ、観念した。
「サブ、お待たせ、行こう!」
玄関のほうに顎をしゃくると、サブが椅子から立ち上がる。
両親はヒューヒューと囃し立て、「よ、似合いの二人!」だの、「照れてる照れてる」だの、「チューはね、タイミングよ」だの、好き勝手にガヤる。
サブもさすがに状況がのみ込めたらしく、顔を真っ赤にして俯いてしまう。そらそうだ。身に覚えのない恋愛話が、チューのしかたまで進んでいるのだから。
「相手にしないで、ほら、行くよ!」
強めに言うと、サブは「ごめん」とすぐに動き出した。
「マッキー、もっと彼氏に優しくしないとー」とパパが太い腕を組んで嗜めると、「恥ずかしいのよ、ね?」と、ママが見当違いのフォローをする。
もういい。
逆らわないし、突っ込まない。
この夫婦は、抵抗するとよけいに燃えるのだ。
アホめ。くそ、このかっこじゃ今日は、あまり汗をかけないな。
私はグズグズしているサブの手首を握り、居間から引っ張り出した。
サブは私の両親に何度も会釈をし、礼を言っている。
この大仰な歓迎への礼だった。
そら、驚くよなぁ。
たぶんパパとママのなかでは、息子ができたくらいに思っているのだろう。
そんなことはたぶん、サブは夢にも思ってはいまい。
私たちが玄関を出た後も、家のなかから楽しげな笑声が漏れ聴こえてきた。
どんだけ、娘の恋愛をオカズに楽しむ気だ。
ていうか、恋愛じゃねぇし。
──つづく。
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