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第二十三話『悪魔の下僕』

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 七月六日(火)

 昨日も今日も、サブは学校を休んでいる。
 事件のあった土曜日、彼は病院で治療を受け、すぐに帰宅した。
 鼻骨の損傷と頬骨の打撲だけなので、入院するほどのケガではなかった。
 局所麻酔で曲がった鼻をもとに戻し、包帯で顔をぐるぐる巻きにされていた。
 包帯からのぞく目の周りも変色して腫れており、痛々しかった。
 帰宅後、彼は心配した伯父夫婦に質問攻めにされたらしい。
 だがサブはなにも知らないので、なにも答えられない。
 伯父夫婦の心配は不安に変わり、不安は疑問、疑惑へと変わった。
 麻薬に手を出しているのではないか。
 ストリートギャングの商売の手伝いをしているのではないか。
 生活環境もたしかによくないが、バンドや学校に悪い仲間はいないのか。
 小遣い稼ぎのつもりで犯罪に手を染めると、後戻りできなくなるぞと。
 サブはずっと笑って否定し続けたようだが、納得してはもらえなかった。
「顔のケガが治るまでは学校も休め」と言われて、外出禁止にされちゃったよと、サブは土曜日の夜、私にメールで愚痴をこぼした。
 彼の穏やかな苦笑が見えるような文面だった。
 元気そうなので安心はしたが、心の傷の深さは、どうなのだろうか?
 無傷の私でさえ、あれ以来、悪夢で何度も夜中に途中覚醒してしまうのだから、拳銃を持った相手に酷い暴行を受けたサブなんて、平気なワケがないと思う。
 今日の放課後、私のクラスをメンバーたちが訪れた。
 練習かミーティングでもするのかなと思いかけ、違うなとすぐに気が付いた。
 彼らの顔に、私を心配して来てくれたことが表れていたからだ。
 誘われるまま、彼らの後について教室を出て、視聴覚室へと向かった。
 顧問のミスター・オモナガには、練習で部室を使うと伝えてあるらしい。
 だが今日は誰も、楽器を持っていなかった。
 視聴覚室に着くと、ノン、ノビ、ケイ、私の順で入室した。
 前回はあの重い防音扉を、サブが開け閉めしてくれた。
 彼のさりげない、紳士的な所作を思い出す。
 自分でやるのは大変だった。
 体重をかけても、ハンドルが回らない。
 まだドアが、ちゃんと閉まっていないからだ。
 ジタバタしていると、ノンが助けてくれた。
 こうなることがわかっていたから、サブは私にやらせなかったのだ。
 カッコつけてるんじゃなく、私を見下しているのでもない。
 ただ、優しくて気が回るだけ。
 そう思うと、サブがそこにいないのが悲しかった。
 外界と遮断された部室で、私たちはそれぞれ丸椅子を用意して車座になった。
 先日の事件を解説できそうなのは、このなかに一人しかいない。
 私も、ノビも、ケイも、知りたかった。
 一体あれは、なんだったのか。
 ドラムのノンが、皆が落ち着いたのを見て、口を開いた。
「ガレージでのリハのとき乱入してきたチンピラな、あれは、異国で強大な勢力をほこるギャング組織、EDS団の構成員どもだ。連中はどいつもこいつも、悪魔のタトゥーを入れてるから、すぐにわかる。正式名はたしか、《エル・ディアブロ・イ・ソ・シルヴィエンテ団》だ。意味は悪魔とその下僕しもべたち。俺の兄貴から聞いた話だと、ここいらをシメてるスニッチ団とEDSは、とくに揉めてるって話はないらしい。だから連中がなんでワザワザ、スラムから住宅街まで来たのかは不明だ。あいつらが棲家アジトにしてるスラム街の廃ビルは、麻薬工場兼、対抗組織などの人間を殺して処理するための、解体場らしい。EDS団がこの街に支部をつくろうとした当時は、スニッチの上部組織であるホーリー通りマフィアと、かなり揉めたんだ。たくさん死人を出した末に、決してスラムからは出ない。商売もしないし、武器も外へは持ち出さないという条件で、連中にシマを与えて手打ちになった。だから、今回の事件は約定破りだ。大組織同士の喧嘩が再発しちまうのかもしれないな」
 それは私にとっては現実味のない、映画のなかの話に聴こえた。
 そんなことが聴きたかったワケじゃない。
 なんでサブの家が狙われて、サブが暴力をふるわれたのか。
 また襲われたりしないのか、ということだけが心配なのだ。
 サブはギャングどころか、不良ですらない。
 マジメでおとなしい、ただのロック好きのバンドマンだ。
 私がそれを問い返そうとすると、同じ疑問をギターのノビが先にぶつけた。
 ノンは無表情で、首を横に振った。
「サブはよそのギャングどころか、地元のスニッチ団とも付き合いなんかないし、狙われる理由なんかないはずだ」
 そうだろう。
 じゃあなぜ、あんな事件が起きたんだ?
 その疑問は空中をフワフワと漂って、ぽとりと落ちて消えた。
 誰にもわからない。そらそうだ。だって関係ないのにやられたんだから。
「ねぇ」私は考えもなしに皆を見回して声をかけた。
 口が動くのに任せて、なにか元気が出るような提案をしようと決めていた。
「今日さ、これから、みんなでサブの家にお見舞いに行かない?」
 メンバーたちは一斉に、「そりゃ、ムリだよぉ」とのけぞった。
 ……はぁ?


 ──つづく。
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