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第二十七話『羽化を見抜く』

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 七月十一日(日)

 明日はどう? 学校に来られそう?
 私はサブにメールを送信した。
 そうだね、顔の腫れもひいてきたし、そろそろいってもよさそう。いくよ。
 その返信はすぐだった。
 スマホの画面を見る自分の顔が、笑っていることに気付く。
 やったぁ! 絶対だよ! 練習だってあるんだからね!
 勢いのまま、顔文字つきで送ってしまう。
 うんw、わかったよ。ありがとう、マッキー。
 笑顔が頭に浮かぶような返信が届く。つられるように笑みが膨らむ。
 なんだろう、この止まらないニヤニヤは。
 サブに会えるのは、一週間ぶりだった。
 久しぶりに会うのは嬉しいけど、でもなんか、久しぶりという気がしない。
 顔をあわせていたときよりも、何億倍も濃いやりとりを、この一週間、私たちは数え切れないくらいした。
 サブのことをたくさん知って、私のこともたくさん話した。
 生き別れになった双子に会うような、この感情。
 自分の半身が戻るような、居ても立っても居られない高揚した気分。
 話し足りない。
 直接会って、顔を見て、もっともっと話したい。
 あの穏やかな笑顔から発される平和なオーラを、早く浴びたい。
 こんなに学校にいくのが楽しみなのは、初めてだった。
 そうだ、よし、この喜びを、皆にも分けてやろう。
 バンドのメンバーたちに、サブが明日、登校するぞ! と一斉送信してやる。
 ノン、ノビ、ケイからほぼ同時に、へえ、という返信がきた。
 おう。あー、と、ん? おいおいおいおい、ちょいちょいちょいちょい。
 キサマらそれは、どういう意味だ?
「よかった」なら、わかる。
 ケガをした友達が復帰するのだから。それはもう、満点の答えだと思う。
 サブは大切なバンドの仲間で、曲だってまだ作ってる途中のはずだ。
 喜ぶ気持ちは、皆、一緒だと思ったからこそ、分け合ったのだぞ?
「よかった」に、「じゃん」が付属すると、どういう意味になるのだろうか?
 まるで私が、いや私、サブに会える! と一人でハシャイでいるみたいにならないだろうか?
 おかしいだろ諸君、それは。ええ? どうなんだね。
 なんだおまえら、冷たいなと、私はまた一斉送信してやった。
 おまえらは、お熱いなと、ベースのケイから返信があった。
 頭のなかでボーンッ! と、燃焼剤のような、よく燃える物に着火したみたいな爆発音がした。
 ドラムのノンから、照れるなよマックと返信が続き、最後にギターのノビからはなんと、XOXOキスハグキスハグという、地獄のような返信があった。
 ボフッ! と、私の口から魂が噴出した。慌てて両掌でおさえる。
 あやうく、幽体離脱するところだった。
 なにか言い返してやりたかったけど、メールを打つ手が動かなかった。
 胸のなかでは心臓が巨大化し、派手に転げ回っている。
 どうにもならないくらい顔が熱くなって、息が苦しかった。
 理由の不明な涙が、目尻に滲んでは、ポロポロとこぼれ落ちた。
 なによこれ? なんなの?
 五分ほどスマホ片手にただオロオロしていると、メンバー全員からほぼ同時に、なにか言い返せや! というツッコミのメールが届いた。


 七月十二日(月)

 今朝の目覚めは、この世に生を受けて以来最高と言っても過言ではないくらい、快調だった。
 目覚ましが鳴るか鳴らないかくらいの時間にバチッと目が開き、そのまま布団をはいで飛び起きた。
 部屋を飛び出して階段を駆けおり、ママが用意してくれた朝食を次々と口に放り込む。
 ママは苦笑いしていた。
「なぁに、今日は学校、早いの?」
「いや別に、体調がいいだけ」
「ふぅーん」
 苦笑が、意味深な笑みへと微妙に変化する。
 あ、見抜かれた。と、私はその表情でピンときた。
 私になにがあって、どうしたのかという具体的な現象を見抜かれたのではなく、ホルモンの流れのようなものを見抜かれた感じ。
 親子だなと、以心伝心に驚き、ママの超能力者のような勘のよさに呆れた。
 私も、このウキウキとした気分を隠せるとは思っていなかった。
 これから向かう学校が、いつもと違う場所のように感じている。
 まるで、マルキーランド遊園地にでもいくかのようなワクワク感。
 あの遊園地は、家にいたら「しょーもないなコレ」と思うようなパレードでも、すごいショーだと感じさせられてしまう。
 あんな、人が衣装を着て乗り物に乗って手を振ってるだけのただの〈移動〉が、あそこにいて体感すると、楽しくて楽しくてしかたがない。
 パレードだけじゃない。
 アトラクションに入場しなくても、園内をただ歩いているだけでも子供のようにハシャイでしまう。
 今の私は、あのときと同じ気分だった。
 パパがいたら、たぶん一緒にハシャイでくれたと思う。
 でもパパはもう、とっくに仕事に出ていた。
 パパがいないときのママは、休日とは別人だ。
 ママはパパがいると、いつも子供のように頼りきって、安心して甘えている。
 穏やかな表情で、いつも幸せそうに私とパパを見ている。
 平日のママは保護者としての顔になり、雌の猛獣のようになる。
 でも私は、そのママもイヤじゃない。
 たまに厳しいときもあるけど、優しく見守ってくれて、私が困っているときは、さり気なく助言をくれる、人生の道標だ。
「マック」
 道標が私に、低く落ち着いた声で話しかける。
 私はスクランブルエッグを頬張りながら、「ん?」と顔をあげてママを見た。
「しっかりね、負けないで」
 それだけ言うと、私の脳天に祝福のキスをくれた。
 くるりと背を向けて、謎の歌をハミングしながらキッチンに洗い物をしにいってしまう。
 私はママに聴こえるか聴こえないかの声で、「うん」と力強く答えた。
 昨日までの私は《さなぎ》だったのだ。
 羽化した私に南風をおくり、ママは太陽のように笑っていた。
 ゲップをひとつ発射し、「ごちそうさま」と自室に戻る。
 身なりを整え、姿写しで全身を確認する。
 こんなんだった? と自問したくなるくらい、両目がパッチリと開いていた。
 アイメイクがうまくなったわけじゃない。
 前を向いて、しっかり生きている女性の顔つきになったような気がする。
 なぜなら、そこに写っている自分の微笑が、ママのそれにそっくりだったから。
 昨日までとゼンゼン違うじゃないかと、何度も見ては嬉しくなった。


 ──つづく。 
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