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第四十五話『過ぎたハナシ』

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 八月七日(土)

 ここから先は当日に書いたものではなく、思い出しながら書いている。
 だからどこまで日付や時系列などが正確かは、なんとも言えない。
 ただ、もともと日記とは私の記憶を綴るものだから、その点では今までと変わらないとも言える。
 なるべく正確に、客観的に記録しようとは思っているが、感情が入って一方的な見かたになったり、記憶違いで書いてしまうこともあるだろう。
 また読み返して、そんな箇所を見つけたら、追記などで直していこうと思う。
 これから書く内容には、思い出すのが辛いことも、思い出せないこともある。
 でもこれを書いているということは、少なくともということだ。
 生きてこれを書いているという事実に感謝して、現時点で生きているかどうかも不明な、これから少しずつ記憶が薄れていってしまうかもしれない人々についてのことも、文字にして、のこしておこうと思う。
 願わくは、皆が、どこかで生きていてほしい。
 私がそうであるように、もう、もとの自分には戻れない人もいるかもしれない。
 でももし生きているなら、その命を大切にしてほしい。
 これから書く事件に関わったすべての人は、負けないで今後も生きてほしい。
 一生のこる傷を負った人も、心を病んでしまう人もいるだろう。それはしかたがないし、理解できる。でも時間がかかっても、どうか立ち直ってほしい。
 私も今、入院している病室で、これを書いている。
 まだ治療中なので安静にしているが、カウンセリングも受けている。
 医者には、治らないケガも、消えないトラウマもあるだろうと言われた。
 そうかもしれない。
 でも、私は今、生きている。
 何度も生命を諦めかけたのに、こうして生還できた。
 それを喜び、幸運だと感じるべきだ。
 サブも、パパやママも、それを望んでいるはずだから。


 その日、というのは今日、八月七日に、ハナからメールが届いた。
 話があるから来てほしい、とだけ書かれていた。
 絵も写真もない、なんの装飾もない一言だけのメール。
 なんだろう? と、疑問に思わなかったわけじゃないが、あの週の私は、学校で色々あって、なにがなんだかわからなかったので、その悩みを解決できるヒントがもらえるかもしれないと考え、すぐにいくと返信した。
 学校ではなにもかも、誰も彼もがおかしかったが、学校を休んでいたハナにも、きっとなにかがあったのだろうと、心配と希望の両方を抱えていたように思う。
 心配とはハナの体調や身の上を案じてという意味だが、希望とは私の疑問へのという意味で、私の即断の行動には、数々の不可解な事柄へのヒントを欲してという理由があった。
 今考えると、やはりハナのメールは妙だった。
 最初のメールもだが、私の返信にすぐまた返信があり、彼女が待ち合わせ場所として添付してきたピン付きのマップを見て、思わず首を傾げたのを記憶している。
 でも、だから行かないという選択肢は、私にはなかった。
 そんなことを考える余裕が、なかったのかもしれない。
 急に皆が変な態度をとるようになったことにイラついていたし、ハナもやはり、私に対して変な態度をとるのかを、会って確かめたいという気持ちもあった。
 ハナの家は、友人たちのなかでは一番うちと近い。
 と言っても、近いとは距離のことではなく、地区の持つ特質のことだ。
 山の手方面ほどではないけれど、スラムはもちろんダウンタウンや移民街よりも犯罪率は低く、夜に女性が一人で歩けるくらいには平和な地区。
 中間所得層ミドルインカムの暮らす、二階建ての戸建てが多い地区。
 要するに住民の人種や所得や風景が近く、うちの近所と似ているのだ。
 物理的な距離は、けっこう遠い。
 うちからハナ宅へ行くには、まず徒歩ではムリで、サブの住む移民街からミラの住むダウンタウンへと入り、危険なのでスラムには入らずに大きく回り込み、町の反対側まで行かないとならない。
 遠くても、ハナに会えるなら構わなかったが、ハナの指定してきた場所はまるで方向の違う、私のうちから見たら東側になるのかな? 北側か? わからないが、とにかく私が呼び出されたのは、工場や石油採掘場、廃棄物処理施設や空港などがある、住宅街からは隔離された、広大なコンビナート方面だった。
 一番奥は空港で、それを囲うように河川や工業地帯があり、そこまで行く手前の市街地に最も近い辺りには、倉庫街がある。
 私にしてみたら小学校のときの社会科見学で一度行ったきりの知らない場所で、倉庫の所有者以外はあまり近付かない地区という印象しかない、別世界だ。
 人通りも少なく殺風景な場所で、夜になれば治安もそれなりに悪くなる。
 コンビナート方面からスラムへと直結する繁華街の中央にはホーリー通りという大通りが走っており、悪っぽい若者たちが、改造車に乗って遊びに行く場所として知られていた。
 ホーリー通りは、スラムに近くなるほど昼夜問わず治安が悪くなり、立ちんぼフッカー売人プッシャーもゴロゴロいるし、発砲事件も茶飯事の、怖い場所だ。
 私たちがライブをした『ハリケーン』は、ホーリー通り沿いの繁華街のはずれのコンビナート方面に近い辺りにある。
 町のメインストリートであり、都市を統べる二大ギャング組織の構成員たちが、どちらもウロウロしている縄張りの境界、緩衝地区でもあるらしい。
 先日、バンドの仲間たちが見舞いに来てくれたときに、ノンから詳しく聞いたのだけど、私の頭がちゃんと記憶できているかどうかはあやしいものだ。
 でもこの後の話に必要な情報なので、うろ覚えでも書き記しておく。
 通りの北端近く、特にスラム周辺ではEDS団の影響力が強く、そこから離れるほどに、よく揉め事が起きるらしいのだけど、繁華街での喧嘩は〈死に損〉として処理をする建前なのだという。
 ただ幹部クラスが殺されてもそれで済ませるかは、事件が起きてみないとわからないそうだ。
 ノンは本当に、こういった地元のギャングなど、裏社会事情に詳しい。
 兄弟や親族が多く、誕生日だ記念日だとよく集まるうえ、地元の知り合いも多いので、いろんな組織に顔が利き、自然と詳しくなったそうなのだが、彼自身がどのくらいそういった連中と関わりがあるのかは、なんとなく訊けずにいる。
 関係が深いのは地元の組織であるホーリー通りマフィアと、その下部組織であるスニッチ団で、だから彼の口から語られる情報は、ホーリー通りマフィア側からの視点ということになる。
 この町で二大組織と呼ばれるのは〈ホーリー通りマフィア〉ことヴァンプ団と、〈人殺し団マーダーズ〉こと血の掟の兄弟たちギャングスタブラザーズだが、ノンにはそのどちらにも末端クラスには知り合いがいるらしい。だがスラムを根城にするEDS団には伝手がなく、よその組から情報を得るしかないようだ。
 私はコンビナート方面へ行くのに、パパやサブに送ってとは頼めなかった。
 そんなところへなにをしにいくのかと心配されてしまうだろうし、ハナがそんなところにいると知られたら、家出だと思われて、警察に通報されてしまうかもしれない。
 心配をかけたくないのと邪魔をされたくないので、私は公共交通機関をつかって倉庫街までいくことにした。


 ──つづく
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