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第四十六話『ここにいるはず』

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 パパには警察関係者の知人が多く、電話一本で各部署の長クラスが動いてくれるらしい。
 なぜパパにそんな伝手があるのか、後で私もその理由を知ることになるのだが、そのときはそんなことを考える余裕はなかったし、頭にあったとしても、それならよけいに自分の行動を知られたらマズイくらいにしか思わなかっただろう。
 あまり多くの情報を先に書いてしまうと混乱しそうなので、とりあえず一つだけ断っておくと、パパは別に、元警察関係者ではない。
 パパはこの町で生まれ育ったので、幼なじみや先輩後輩には警官もいるし、私も何人かは紹介されて顔を知っているが、それとはゼンゼン別の話だ。
 私は巡回バスから空港行きのシャトルバスへと乗り換えて、コンビナート方面に向かった。
 魔窟と呼ばれる奥地まで入る気はない。
 その手前の、ちゃんと入口を守衛が見張っている、高い塀とフェンスで囲われた倉庫街に、ちょっと友人に会いに行くだけだ。
 倉庫を借りているのは一般市民ばかりだし、明るい昼間のうちに帰ってくれば、そんなに危険はないと踏んでいた。


〈貸倉庫前〉という、わかりやすい名前のバス停で降車した。
 まるで刑務所のような、高いコンクリ製の壁の上に鉄条網の張られた外観を見る限りは、かなり厳重に護られた施設なのだろうなという印象を受ける。
 バス停のすぐ近くに、大きな正門があった。
 重そうな、横にスライドしていく仕組みのおりのような黒い鉄の門の隅に、ノブを回して開ける小さな扉型の入口も設置されている。
 その扉横のコンクリの壁の向こうには、守衛の常駐小屋があった。
 外壁に四角く開けられた穴から受付の小窓が見え、そこに呼鈴がついている。
 私はそれを押して守衛を呼んだ。
 音がしているのかわからなかったので、さらに小窓をノックしてみる。
 室内奥の引き戸が開けられ、受付の部屋に制服姿の守衛が入ってきた。
 私を見て怪訝な顔をし、小窓を開ける。
「すみません、倉庫の借主と中で待ち合わせをしているのですが」
 声が震えそうだったが、なんとか堪えた。
 守衛は、動くのが大変そうなほどに太っていた。
 丸っこくて分厚い手から生えた芋虫みたいな太い指で、窓際の安っぽい事務机に置かれた帳面を開き、「相手の名前は?」と無愛想に訊いてくる。
「ガンナーさんの名義になっていると思います」
 鮟鱇あんこうみたいな顔の守衛が一瞬、睨むように私の顔を三白眼で覗き見る。
 大きな二重瞼の目に毛量の多い睫毛、モジャモジャで手入れなどされていない、太く濃い眉毛が、額にシワを寄せるように動く。
「ああ、待ち合わせって、ガンナー氏の娘さんか。聞いてるよ」
 ニッと口元だけで笑い、敷地の奥を指差す。が、その両目は油断なく私を観察し続けていた。
 机から離れて奥の内壁に設置されたスイッチを操作し、解錠してくれる。
 カチリと小さく機械的な音がして、大門の隅の小さな扉が解錠された。
 もっと大袈裟な、大門をゴロンゴロンと開ける様子を想像していた私は拍子抜けしたが、すぐに、そりゃそうだなと苦笑した。
 巨大鉄格子が横に滑る場面は、車両が出入りするときだけの光景なのだろう。
「すみません、ありがとう」
 礼を言って軽く頭を下げ、受付のすぐ右横にある扉を開けて敷地内に入る。
「そのメイン通りを直進して、赤い大型コンテナを左だ。あとはまっすぐ行けば、そのへんにいるだろう」
 もう死角なので姿は見えないが、小窓のほうから守衛が案内する声が聴こえた。
 仮にハナが倉庫内にいたとしても、一見してコンテナには電気が通っておらず、室内灯もエアコンもないので、倉庫の扉は開放されているだろうから行けばわかるはずだ、と言われたと判じる。
 私は再度、守衛(の声がしたほう)に受付小屋の横を通り抜けながら礼を言い、案内されたとおり、正門からまっすぐに奥へとのびる広い道を進んだ。
 子供っぽすぎず、女っぽすぎない服装として、スウェットにジーンズに運動靴という、スーパーに買い物にいく主婦みたいな格好を選んだのだが、正解だった。
 けっこうな長距離を歩くことになりそうだし、なにかあったときにも、これなら走って逃げられる。
 広大な敷地は、恐る恐る進んでいるせいか、歩いても歩いても進んでいる感じがせず、だいぶ奥まできたなと思って振り返ると、まだ守衛小屋がすぐそこだったりした。
 倉庫街は、想像したよりも閑散としていた。
 まったく利用者を見かけない。
 真っ昼間なので怖さはないが、実際、治安はどうなのだろうかと不安になる。
 腰に巻いたファニーパックからスマホを取り出し、右手に握る。なにかあったらすぐにかけられるようにと、通話の画面にしておく。
 発信先はサブにした。
 パパやママや自宅の番号のほうがいいかなと迷ったが、もし両親がデートに出てしまっていたらと考えると、繋がりやすそうなサブのほうが、緊急連絡先としては信頼できそうな気がしたのだ。
 ただ、ここに来ることは誰にも伝えていないので、緊急時にすぐ状況を理解してもらえるかは、賭けだった。


 ──つづく。
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