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第四十七話『迷路の奥で待つもの』
しおりを挟むコンテナは、様々な色に塗られていた。
なかには絵や文字がペイントされているものもある。
たぶんだけど、なにか個性を出しておかないと、どれが自分の倉庫かわからなくなってしまうのかもしれない。
こういった貸倉庫は、借主が失踪したり亡くなったりするとオークションにかけられるみたいで、そんなリアリティショーをケーブルテレビで観た記憶がある。
権利を得た競り主たちは、倉庫の入口手前から一分間だけ観察し、お宝が眠っている確率を推測する。
一攫千金の夢に浮かれたハイエナみたいな連中が、目の色を変えて他人の遺品を奪い合う様は、醜くも人間らしく、観ていて逆に清々しいくらいだった。
浅ましく欲に溺れ、見事に失敗して大損することも多く、まるで寓話のようだと思った。
なぜ私は、こんなところを一人で歩いているのか? とは考えないようにして、真っ直ぐに前だけを見て進む。
コンテナは近付くと意外と大きく、遠近感が狂って、歩いても歩いても進まないという錯覚に陥ってしまう。
都心の高層ビル街を歩くと、このように感じることがある。
すぐそこの角を曲がろうと思っても、近く見える角までなかなか辿り着かないという現象だ。
見通しが悪く、同じ景色が続くので、迷路のようでもあった。
不気味なほどの無音のなかを、自分の靴がアスファルトの地面を擦る音だけが、コンテナの壁に反響して聴こえる。
やがて、守衛さんの言っていた大型コンテナの並ぶ地区へと入った。
そこまで奥へいくと、自家用車やトラックなどが其処此処に停車しており、私はその、人の気配に安堵した。
ただし大型コンテナには個性がなく、それまでのように個々の見分けはつかなくなり、数パターンの色分けのみとなった。
とは言っても、どれもこれもに独自のペイントがしてあるのも、それはそれで、なにもされていないのと同じなのだが。あまりにも数が多いと模様の個性は目印として機能せず、借主以外にとっては無地も同然だなと、しばらく歩いて気付いた。
遠くで、クレーンがコンテナをぶら下げて動いているのが見えた。
たぶんこのままずっと奥まで進むと、海があるのだろう。
潮の匂いはしないが、船着き場があることは確かだ。
進む方角を変えれば、空港もあるはずだった。
離着陸のため、斜めに空を飛ぶ旅客機の機体が、青空に白く映えて見えるので、たぶん、そっちの方にあるのだろう。
徒歩でいける距離ではないと思う。
そのくらい、重機も飛行機も小さく見えた。
空とそういった高い位置にあるものは見えるが、コンテナが大型になると、低い位置の見通しはさらに悪くなった。
言われたとおりに赤いコンテナを左折しながら、ここを曲がるともう戻れないのではないかという不安に襲われる。
コンテナは整然と格子状に並んでいるので、一見すると道はわかりやすそうなのだが、形が同じであるために、一度でも曲がると、どこから来たのかがわからなくなってしまう。
前も後ろも横も、どこを向いても同じ景色ばかり。
気を抜くと、どちらが前かもわからなくなりそうだった。
クレーンや飛行機を基準にすれば、なんとなく海の方角はわかるのだが、対象が遠く、大きすぎて、正確な出口の方向まではわからない。
念の為、左折してから先のコンテナの数を数えていたのだが、自分の唱えている数が正確であるという自信は、とうに失われていた。
帰れないという漂流者のような恐怖心が、下腹からゾワゾワとあがってくる。
私の気分を反映するかのように、青空が徐々に曇っていく。
風が吹き、薄手のスウェットをはためかせる。
呼吸が荒くなる。
緊張で、歩幅も狭くなっていく。
どこまで行けばいいのか?
ハナに会えなかったら、どうやって帰ろうか?
意志を強く保たないと、立ち止まってしまいそうだった。
背筋をのばして早足で歩いていたのに、いつの間にか猫背になっていた。
人間は恐怖心にかられると、無意識に急所を庇おうとするらしい。
人体の急所のほとんどは前面に集中しているので、自然と胸や腹を両腕で抱えるような格好になった。
真夏なのに無意識に長袖を着てきたのも、警戒心のあらわれかもしれない。
気温は暑いが、強風のおかげで今は涼しい。が、私の姿勢はまるで真冬の吹雪に凍える人のようだった。
「マック!」
左前方から、ハナらしき声が私を呼んだ。
ビクリと、身体が縮こまる。
ハナに会えれば安心すると思い込んでいたのだが、まさかこんな風に、なにかを警告するような大声に迎えられるとは思っていなかった。
落下物でもあるのかと、首を竦めて上を見てしまったほどだ。
その視界が、突如なにかに覆われた。
一瞬遅れて、背後に人の気配を感じる。
誰かに乱暴に、厚手の布袋を頭から被せられたのだと、気付く暇もなかった。
両側から、左右の腕を一本ずつ掴まれて取り押さえられ、袋の上から乱暴に口を塞がれた。
体格や腕力が、女性のものではなかった。
数名の男性に、口を塞がれて腕を捕られ、地面に捻り倒された。
抵抗しようとも思えないほどの敏捷さと、恐るべき剛力だった。
突っ伏した拍子に、塞がれた口から悲鳴がもれる。
透かさず、脇腹を殴るか蹴るかされた。
経験したこともない激しい苦痛が、肋骨の切れ目の辺りから内臓深くまでドンと打ち込まれる。
「オエッ!」と、私の悲鳴は嘔吐の声に変わった。
苦しさと痛みで身体に力が入らず、吐き気で涙が溢れた。
呼吸がうまくできない。
すべては、一瞬のできごとだった。
ハナ、助けて。これはなに? この男(?)たちは誰?
左右から両腕を捻り上げ、私の後頭部を力ずくで地面に押さえ付けている男たちとは別の、たぶんこれも男が、私の腰鞄を引きちぎるように外し、全身をまさぐるように身体検査をした。
ファニーパックには財布が入っている。
手に持っていたスマホは、捕まったと同時に奪われた。
最初に視界を塞がれてしまい、驚いてしまって、せっかく通話画面にしてあったのにサブに連絡することもできなかった。
強盗か? という考えが頭を掠めるが、だとしたら私は、これからどうされるのだろうか?
「連れてけ」
頭上から、ガサガサとした不快な男の声が命じる。
それは怒声を発しすぎたのか、喧嘩で喉を潰されたのか、不自然なほどに掠れた声だった。
こんな声は、学校でも町中でも聴いたことがない。
うまく言えないけど、簡単に言えば〈怖い声〉だった。
人殺しの声。犯罪者の声。肉食昆虫のような無慈悲さを感じる声。
男の声の向こうから、ハナのくぐもった泣き声が聴こえた。
悲鳴と、私と同じように暴力で黙らされる苦痛の声が続く。
おそらく、組み伏せられ、袋を被されているのだろう。
拉致。
これは他に表現のしようのない、拉致そのものだった。
拉致された者を待つ未来は想像もできないが、まともなことであるはずがない。
助けて、パパ。
助けて、ママ。
助けて、助けて、サブ。
──つづく。
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