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第六十三話『格闘技』

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 今、金網のリングで、準決勝の第2試合を行っているのは、二人ともフェラウのグループだ。
 素人とはいえ、殺し合いを経験した者同士。他人に対して情というものを持っているのか、持っていたとしても、そんなものは自分の都合で簡単に捨ててしまうのではないかと疑いたくなるような、フェラウとその友人の試合を想像し、マックは心が乱された。
 初戦を勝ち抜いたハナの、ケガのしかたの異常さを思い出す。
 なぜ、あんなことができる?
 ハナの右目は、打撃で潰されたのではなく、あきらかにえぐられていた。
 爪研ぎで尖らせて、マニキュアで硬くした、フェラウたちのあの飾りたてられた指先を、眼球に突き入れられたのだ。
 たしか指も、何本も折れていた。
 あれは、自分でなにかをしようとしたとき、たとえば掴もうとしたときに相手に動かれて、指が服に巻き込まれ、のか、それとも、わざとのか。
 折られたと、考えておいたほうがいいだろう。
 指で目を掘るような相手なら、そのくらいのことはやってくる。
 なんてやつらだ。
 向こうにしても、こっちの顔くらいは知っていただろうに。
 同じ学校の顔見知りだろうと関係なく、なんでもやってくるということか。
 恐ろしい。
 ただ必死なだけなのか、相手を人間だと思っていないのか。
 マックはここで、違うと考えた。
 そんなことを心配しても無意味だと。
 どちらだったとしても、してくることは変わらない。
 してくるものとして、させないように動くべきだ。
 ふと、包帯を巻き直された右足に視線を移す。
 途端に、苦いものを食べたような顔になったのが、自分でもわかる。
 足がこれでは、フットワークがつかえない。
 素早く移動できないと、取っ組み合いの乱戦になってしまうかもしれない。
 そうなったら、なにをされてもおかしくない。
 耳を澄ませる。
 外から聴こえる音のなかに、ヒントになりそうな声や音を探す。
 なんでもいい、情報がほしい。
 警戒心が高まっていく。
 気を引き締めないと、治らないケガを負わされる恐れがある。
 ハナの顔の傷から予想するなら、引っ掻いてくるときは要注意だ。
 さざ波のように寄せては返していたどよめきが、徐々に大きくなる。
 歓喜と狂気の入り交じる声援が、竜巻のように会場を暴風で満たす。
「フェラウ!」「フェラウ!」「フェラウ!」「フェラウ!」
 名を連呼するファンたちの足踏みが伝わり、控室が揺れる。
 やはりフェラウかと、ため息をつく。
 勝つためならなんでもしそうなあのグループのなかでも、フェラウは日頃から、キレやすさが図抜けていた。
 マックは恐怖心を和らげ、頭を整理するために深呼吸をした。
 相手をまだ甘く見ている可能性があると、自己診断をする。
 性格が残忍なだけとは限らないのではないかと。
 フェラウがなにか格闘技を習っている可能性は、大いにあった。
 山の手方面に住んでいる裕福な家の娘なのに、あれだけ遊び回っているのだ。
 護身のために、親がコーチをつけていてもおかしくない。
 本格的に鍛えられた格闘家には、マックの技など通用しない。
 たとえば彼女が空手やキックボクシングをやっていたとしたら、素人の自分などローキック一発で沈められてしまうだろう。
 バックスピンキックで踵を腹に食らえば、腸がちぎれてしまうかもしれない。
 実際に立ち技系格闘技の試合で、腸をちぎられて悶絶している選手を、マックは観たことがあった。
 空手の中段突きだって、素人には耐えられない。
 変な角度で飛んでくる三日月蹴りやカーフキックなんか、どうやって防御すればいいのかもわからない。
 ケガは?
 フェラウはどの程度のケガを負っている?
 対戦順が離れているので、医務室で顔を合わせることはなかった。
 そもそも彼女が試合後、医務室に運ばれたのかどうかもわからない。
 まさか、無傷なのか?
 不安は膨れる一方だった。
 原因は、他の試合とは異質な、あのどよめきと、名前の連呼だ。
 まだ試合終了が宣言されてもいないのに、異常に盛り上がっている。
 一体、なにが起きているのだろう?
 深呼吸を何度しても心が落ち着いてくれず、過呼吸を起こしそうになる。
 マックは思考を止め、考えないようにしようとしたが、手遅れだった。
 フェラウを恐れる心が癌細胞のように全身に転移して、切り離せなかった。
『2回戦第2試合、勝者は、フェラウ・マッソ=ダーリン嬢!』
 アナウンスの宣言により、決着が知らされる。
 マックの視界がぐにゃりと歪み、思考がモザイクのように乱れた。


 ──つづく。
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