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第七十五話『K・KとB・B』

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 大音量のスピーカーから、『優勝は、フェラウ・マッソ=ダーリン嬢!』という割れた声がビリビリと場内に響き渡り、声援でかき混ぜられた空気をさらに細かく振動させる。
 お父さんが片手をあげると、仲間の一人が懐から拳銃を取り出し、天井に向けて何度か発砲した。
 怒涛のような大歓声が、空気を引き裂いて壁や天井に反響する鋭い銃声により、萎むようにやむ。
 ぼくらの周りにいる男たちがこちらに顔を向けた。
 創傷や銃創、またはそれを塗り潰すように顔や手足にタトゥーを描き、上半身に布を纏わないことで誇らしげに曝す者。逆にだぶだぶのフードや長袖を身に纏って全身を覆い隠すような姿の者など様々だが、共通しているのは、暴力的で不気味な雰囲気を発散していることだった。
「頭はどいつだ?」
 銃を抜いた男が、自分に向けられた無数のねばっこい視線に向けて訊く。
「こんだけの規模の祭りならよ、結構なセットが来てんだろ? 仕切ってる胴元の頭を出せっつってんだよ」
 いつの間にか、ぼくらを振り向いていた無数の男たちの手には、拳銃が握られていた。
 真っ黒な銃口の穴が、こちらに殺意の臭いを漂わせる。
 お父さんは変わらずのんきな顔をしており、仲間たちも全く怯むことなく堂々としていた。
「耳ついてんのか? 聴こえたら返事しろやボケ」
 啖呵を切ったお父さんの護衛の一人が、手にした銃で頭をゴリゴリ掻きながら、なおも偉そうに言い放つ。
 今、皆殺しにされてもおかしくない状況なのに、皆、平然としていた。
 こちらに向けられた銃の引き金に、力がこめられていくのを感じる。
 ぼくは緊張し、金縛りのように硬直した。
 群衆のなかから、数人の男たちがよたよたと進み出てきた。
 長身痩躯の男が中心にいて、周りは彼を護る兵隊といった風だった。
「なんてこった」と、長身痩躯の男が芝居がかった仕草で驚いて見せる。
「過去の亡霊どもが、こんな日になんの用だよ」
 男の死神のような目付きは、お父さんに向けられていた。
「うちの娘を拉致ってくれたようだな」
 お父さんの声はいつもどおり穏やかで冷静なままだったが、口調が少しだけ荒くなっていた。
「ようK・K、少し太ったな」
 相手方の中心人物が、細身の身体に合った骸骨のようなシワシワの顔で嗤う。
 その気味の悪い笑顔も、お父さんに向けられていた。
 後で確認したことだが、お父さんのイニシャルはK・Kではなかった。
 お父さんの名前は、ソーン=ナホメンナッテ・テレクサ。
 どこにもKなんてつかない。
「娘をかえせ。あと、おまえらが拐ったのは全員、娘の友人だ。今すぐ釈放しろ」
 ぼくは驚いた。
 マックだけじゃなく、彼女の関係者まで誘拐されていたという事実にもだけど、お父さんがあの数時間でそれを調べていたことにも。
 それを聴いた相手の男は、ヘラヘラと笑みを膨らませた。
「オトモダチねぇ、それにしちゃ容赦なくやりあってたぜ?」
「おまえらが、やらせたんだろう?」
「おい、言いがかりは失礼だな、K・K、この野郎」
 相手が不機嫌な声音に変わったことには一切構わず、お父さんは恥じ入るように嘆息した。
「そう呼んでくれるなよ、B・B。俺はもう自警団は引退したから、ディガーとの利害関係はない」
「あんたの作った組織がここまで大きくなったんだぜ? おかげで、マーダーズの連中にも、好き勝手はもう、させねえよ」
「おまえらが好き勝手をやっていれば、同じことだがね」
 お父さんの一言に、相手の男は苦い顔で舌打ちをした。
「ヴァンプとグレイブディガーは、もう別組織だろが。喧嘩を売りに来たのかよ」
 恫喝のスイッチを入れたように、相手の声が低くざらつく。
「OBの言うことは聞いておけよ。うちの娘を拉致って、おまえらにスジがあると思うか?」
 お父さんはギャングの大ボスのような男を相手に、一歩もひかなかった。
 感情を殺し、冷静に、かつ強気に交渉を続けた。
 長身痩躯の男は、わざとらしく深いため息をついた。
「全員をかえせと言われてもよぉ、もう、
「そうか」
 ぼくは男の言葉に心臓が痛くなったが、お父さんは全く乱れない。
 天気の話でもしているかのように顔色ひとつ変えず、平静なままだった。
「生きてかえせるのだけでいい。とにかく全員かえせ」
「こっちも商売なんだよなぁ」
 男が、細長い指で金を表す。
「K・Kよぉ、ゼニは、いくらまで出す気なんだい?」
「そんなもん、払う気はない。こっちがただで帰るのが代金だと思ってくれ」
「べつにこっちも、ただで帰らせるつもりはねぇけど?」
「B・B、おまえ、死にたいのか?」
 お父さんの声が低くなる。
 前後左右から、こちらの護衛たちが銃を抜く気配がする。
 再び、ぼくらを囲う銃口の穴の闇が深く濃くなる。
 背後の搬入口から、大型のバンやトラックなどが侵入してくる音がした。
 ぼくはそっとそちらを振り向く。
 各車両に、戦争映画でしか見たことのないような重機関銃が積載されていた。
 機関銃の周りには、分厚い金属プレートが盾として装備されている。あれでは、拳銃くらいでは射手を斃せない。
 B・Bと呼ばれたこの興行の主催者らしき、お父さんの過去の知り合いのような口振りの長身痩躯の男が、シワシワの口もとを歪める。
「50口径なんか持ち出しやがって。俺をミンチにして戦争でも始める気か?」
 男の戦争という言葉に、ぼくは寒気を覚えた。
 お父さんはびくともしない。
「俺たちは、おまえさんらの商売にも縄張りにも興味はない。娘をかえしてほしいだけだ」
 B・Bがまた、いやらしく嗤う。
「殊勝な言いぐさだが、こっちが断ったら、どうする気だい?」
「悪いが、この場にいる客も含めて皆、挽き肉になってもらう」
 ぼくは自分の耳を疑った。
 あの温厚なお父さんが平然と、無差別殺人を予告したのだ。


 ──つづく。
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