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第七十四話『倉庫街奥地』

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 コンテナに囲われた舗装路を、車列は走り抜ける。
 こんな迷路みたいな広い敷地内を、確信をもって進めるのが不思議だった。
 大型のコンテナが重ねられて、壁のようになっている広場に出た。
 夜陰の色に濁った視界の先に、半円型の屋根の大型倉庫みたいな建物が現れた。
 それは不思議な建物だった。
 工場のようにも見えるし、飛行機の格納庫にも見える。
 なんとなく不気味な雰囲気の漂うその建物の前面には大きなシャッターがあり、そこに鼻先をつけるように先頭車が停車すると、後続車もそれに倣った。
 前列のどれかの車からおりた大男が、ノックと言うには少々乱暴にシャッターを叩く。
 シャッターの横には出入り口っぽい扉があり、その横からは二階へと直行できる鉄階段もあるのに、シャッターを開けろと要求しているようだった。
 何事かと訝しげな顔をした男が、シャッター横の扉から出てきた。
 出てきた男はヨタヨタとたちの悪そうな歩きかたでシャッターを叩いている男に近寄り、頭から足先までを舐めるように睨み付けながらなにか文句を言った。
 シャッターを叩いていた大男は、なにも答えずにいきなり相手をぶん殴った。
 一撃でひっくり返った相手を、数人がかりで蹴り潰す。
 爪先が腹にめり込み、顔面が蹴り飛ばされ、たまらず身体を丸めて縮こまる男。
 蹴っていた一人が丸まったその男の毛髪を掴み、思いきりシャッターに後頭部を叩き付けた。
 ガシャンと、微かにぼくの耳にもその音が届いた。
 建物から出てきた男が集団リンチをうけている間に、最初にその男をぶん殴った大男は、その辺に落ちていたレンガのような塊を拾い上げていた。
 シャッターに叩き付けられたままの姿勢で背を寄りかからせ、地面に尻をつけてぐったりとしているその男に向けて、大男は突然、レンガをぶん投げた。
 至近距離からのフルスイングの全力投球で、重くて硬そうな四角い物体が顔面に叩き付けられた。
 シャッターに男の血液がバシャンと飛び散り、黒い飛沫模様を描いた。
 建物から出てきた男は、座ったままグニャリと力なく横に倒れると、ピクリとも動かなくなった。
 お父さんが車のドアを開けて降車し、のんびりと建物のほうへ歩いていく。
 ぼくも急いで車から出て、少し離れてお父さんの後を追った。
「おーい、殺すなよぉ」
 お父さんが、相変わらずのんきな声で、前方の男たちに声をかける。
 近寄って見ると、シャッター前で倒れた男の頭から流れ出た血液が、血溜まりになっていた。
 叩き付けられたレンガは、いくつかに割れて散らばっている。
 シャッターに飛散した血液が横臥した男へと、掠れた習字の筆跡のようにのびていた。
「殺してねぇよ、たぶん」
 人間の頭部をレンガで叩き潰せるタイプの人が、朗らかに笑って答えた。
 シャレにならんと、ぼくは怯えた。
 停車した数十台の車から次々と男たちがおりて、そこに倒れている男が出てきた扉から、挨拶もなしにどんどん建物内へと入っていった。
 十人以上が入った頃、扉横の大きなシャッターが動き出した。
 どうやら先に入った者らが勝手に操作して、開けてしまったらしい。
 シャッターから出てきた男たちや待機していた男たちの半数ほどが車へと戻り、のこりはお父さんと一緒に、シャッターの開いた搬入口から、徒歩で堂々となかに入っていった。
 ぼくもビクビクしながら、お父さんに続いた。
 屈強な男たちが、ぼくとお父さんを護るように囲っている。
 建物のなかには、想像以上に大勢の人間がひしめいていた。
 スタンディングのライブ会場のような印象だけど、それにしては音楽が聴こえてこない。
 皆、なにかに夢中になって、胴間声を張りあげていた。
 ヤジを含む、荒っぽい声援。
 地下プロレスか? と、ぼくは予想した。
 賭け試合ピットファイトは、少々治安の不安定な地区の興行としては、珍しくないからだ。
 だが普通は、こんな大きな施設では行われない。
 ライブバーやスポーツバーのような少し広めな場所で、格闘家対格闘家のような上等な試合ではなく、喧嘩自慢やスポーツ選手崩れ、格闘技経験こそゼロだけど、刑務所で鍛えられたなんてことを自慢する荒くれ者たちが、酒に酔った観客を前に殴り合うのだと聞いた覚えがある。
 地下格闘は、格闘と名が付いてはいるが、闘犬や闘鶏に近い、野蛮な娯楽だ。
 なんとなくそれを想起させるような雰囲気が、そこにいた人々にはあった。
 どやどやと勝手に入ってきた集団にも気付かないほどに、皆が興奮していた。
 観客の視線の先を追う。
 群衆の中心で多方向からのスポットライトを浴びる、大きな四角いカゴのようなものが見えた。
 それが金網のリングだとわかるのに、数秒かかった。
 中で、身体の小さい、女性たちが闘っていた。
 両者とも血塗れで、毛髪もボサボサだった。
 一方がとくにケガが酷く、なぜか上半身が下着姿だった。
 二人が知った顔だと気付いた瞬間、ぼくは悲鳴をあげそうになった。
 あれは、マックとフェラウじゃないかと。
 なぜ、二人が闘っているんだ?
 そして、なぜフェラウは包丁を持っているんだ?
 ぐるぐると疑問が浮かんでは、細切れに乱れて消える。
 ボコボコに殴られていたマックが膝をつき、フェラウが包丁を振り回す。
 マックの顔が包丁で横殴りにされ、血飛沫が飛び散る。
 顔を斬られた!
 ぼくはビクリとして、リングに駆け寄ろうとした。
 お父さんがぼくの肩を掴んで止める。
 振り返って見ると、お父さんは氷のような目でリングを凝視していた。
 ぼくもまたリングへと視線を戻す。
 リング上で倒れたマックが、フェラウに顔を踏み潰されていた。


 ──つづく。  
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