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第七十七話『マッカ=ニナール・テレクサの日記』

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 サブ、パパと一緒に私を助けに来てくれて、ありがとう。
 代筆も、ちゃんと書いてくれたんだね。
 なんか、日記というか、だんだん小説みたいになってて、笑っちゃった。
 それだけ、感情移入してくれたんだね。
 私が覚えていることは全部、サブに話したし、ここに書いてもらった。
 だから、意識が戻ってから先のことを書こうかな。
 あれ? ところで今日は、何日なのかな?
 今が深夜だってのは、窓の外が暗くて静かだから、なんとなくわかるんだけど、病室にカレンダーがなくて、何日の何曜日なのかは全くわからない。
 皆、私が寝てる間に家に帰ったみたいで、今、ここには誰もいない。
 日記帳だけが、ぽつんと手の届くところに置いてあった。
 どのくらい寝てたのかな。
 昼間に意識が戻ったときにはサブがベッドの傍の椅子に座ってて、その後ろに、パパとママが立っていた。
 少し話した記憶があるけど、あれは、数時間前のことなのか、それとも数日前のことなのか。
 教えてくれる人がいないから、なーんにもわからない。
 うーん、まあ、いいか。
「助けたかったのに間に合わなかった。辛い思いをさせて本当にゴメン」
 目を覚ました私に、サブがいきなり言った。
 骨が折れてないほうの、私の左手を両手で握って、何度も謝った。
 パパはママの肩を抱いて、黙ってそれを見ていた。
 ママも、ただニコニコしていた。
 いや……、あれは、ニコニコじゃなく、ニヤニヤだな。
 私の反応をワクワクして待ってる顔だ。
 今にも泣き出しそうな、迷子の子犬みたいな顔のサブに、私はぼんやりした顔と声で、精一杯笑いかけた。
 だって私は、から。
 正直、私はあのリングの上で、諦めていた。
 あんなところに助けに来てくれる人なんて、いないだろうなって。
 でも、パパとサブは来てくれた。
 それも、私が拉致された、その日のうちに。
 私はこれは、奇跡だと思う。
 たしかに、身体にはいくつも傷がのこっちゃうだろうし、前歯もインプラントになったけど、でも五体満足だし、失明もしていない。
 なによりも私は今、生きているんだから、本当に感謝しかない。
 サブが最初に行動してくれなければ、たぶん間に合わなかっただろう。
 私は試合に敗けた。
 ボロボロの私を、ギャングたちは入院させてくれただろうか?
 絶対に、そんなことはしてくれなかったと思う。
 助からないと判断したら、死ぬ前に臓器だけ摘出して、死体はどっかの海にでも棄てただろうし、死なずに助かったとしても、外国に運ばれて、薬漬けの売春婦にされていたと思う。きっと。
 これ、大袈裟な予想だと思う? 
 ミラもケッカーも、もう帰ってこないのに?
 警察発表は、ずっと『行方不明』のままだ。
 私だって、そうなっていた可能性は高い。
 私と一緒に救助されたハナは、私より軽傷で、もう退院した。
 と言っても、まだ通院での治療も、カウンセリングも必要だろう。
 ハナの一家は、退院してすぐに引っ越したそうだ。
 この病院からの紹介状を持って、どこか遠い場所で治療を続けるらしい。
 私はあの試合のあと、彼女と一度も顔を合わせていない。
 今、彼女はこうしている、こんな状況だと、情報だけをパパやママから聴いた。
 会えなかったのは寂しいけど、私にそんなことを言う資格はないよね。
 だって、彼女のケガの何割かは、私がやったんだから。
「やらされただけだよ」と何度励ましてもらっても、この事実は消えない。
 私は自分を許せないまま、ずっと背負っていくと思う。
 今では、この日記に友達を『殺す』なんて書いていたことを後悔している。
 どこへ引っ越したのかは訊かないけど、ハナには元気で生きていてほしい。
 私もまだあの日の悪夢にうなされるし、さっきも実は、うなされて起きた。
 でも私は、絶対に負けない。
 だって私は、パパの娘だから。


 ──つづく。
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