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第七十九話『出発進行・前半戦』

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 私の身体が快復するのを待って、計画通りに家族旅行に行くことになった。
 快復としていいのかは、子供のようにはしゃぐ夫婦の判断なので、わからない。
 ひとつ言っておくと、私はまだ、松葉杖をついて歩いている。
 車移動だし、まあいいかと、どんどん自動的に決まっていく旅程を、私はただ、ぼーっと眺めていた。
 出発前夜は、キャッキャと笑い合う夫婦の楽しげな声が、居間から私の部屋まで漏れ聴こえて、それが深夜までずっと続いた。
 興奮するのはいいけど、そんなに夜更しして、運転は大丈夫なのか?
 パパはタフだから大丈夫なのだろうなと、布団を被って目を瞑る。
 で、旅行当日の朝だ。
 出発したうちの車は、いつか見た通りへと入っていき、停車した。
 あれ、ここは……と、寝ボケまなこがグンと開く。
 パパとママが車から飛び出し、ひとんちの呼び鈴を押している。
 玄関から顔を出した人と一瞬で打ち解け、パパとママはその家に招き入れられ、数分後には細身で長髪の青年を連れて出てきた。
 白髪のお爺さんとお婆さんが、にこやかにそれを見送っている。
 後部座席で呆然としている私の隣に、サブが押し込まれた。
「いってきます!」
 パパが車窓から大声で挨拶して、ママが朗らかに手を振ると、見送りの老夫婦が深々と頭を下げて応えた。
「なにごと?」とサブが、私が彼にしようとした質問を先にした。
「これは、そのぉ、んー、と、えー、と……拉致?」
 パパの過去を知る私の脳ミソからは、その言葉しか出てこなかった。
 こんなに皆が笑っている拉致もないだろうが、強引に連れてこられた当人は引き摺られるようにして車に押し込められているのだから、これは、もう、紛れもなく拉致だろう。
「食べる?」私が朝ゴハン代わりにつまんでいたポテトチップの袋を差し出すと、サブは迷子のような顔で袋にその細長い手を突っ込み、一枚取って口に入れた。
 どう見ても初対面の人たちを、どうやったらあんな一瞬で説得して、信頼され、息子を旅行に連れ出す許可まで得てこられるのか。
 パパとママが揃うと、よくこーゆー奇跡を任意で起こす。
 サブはたぶん、旅行だと知らされていないばかりか、着替えを準備する時間すら与えてもらえなかったのだろう。手ぶらで車に乗せられ、子犬のような顔で、出されたエサ(ポテチ)をポリポリしている。
 旅行先で服屋を何件も何件も連れ回され、はしゃぐ夫婦の着せ替え人形にされているサブの困惑した顔が、目に浮かぶようだ。
 私からこの災難な彼におくれる励ましの言葉は、「慣れろ」だけだ。
 申し訳ないが、あの二人に気に入られた己の運命を呪ってくれ。スマン。
 同情したのもつかの間、出発して十分も経つ頃には、サブとうちのバカ夫婦は、三人で大声で歌っていた。
 もう一個だけ言わせてくれ。オマエ馴れるの早すぎだ。
 旅行が何日の予定なのかは知らないが、何日経ってもパパとママのテンションは変わらなかった。
 サブもずっと、一緒になってはしゃいでいる。
 これは、どーなのかな。
 ムリして、楽しそうにしてくれてるのかな。
 私に気を遣って、盛り上げようとしてるとか?
 そんな風にも見えないのに、そう考えてしまうのは、たぶんサブもパパとママの計画にのったからだと思う。
 この三人は、私の記憶を少しでも塗り替えようとしてくれているのだ。
 ハッピーな記憶で埋め尽くして、恐かったことや、悲しい記憶を、少しでも薄めようとしてくれている。
 そんな計画がダダ漏れなのがこの三人らしいが、私の勘では、この計画は二重になっているように思う。
 パパとママはサブにも内緒で、まだなにかを計画しているように見えるのだ。
 どんな秘密計画かは、見当もつかない。
 ここしばらくは誰かの誕生日もないし、なにかの記念日もない。はずだ。
 自分も計画の一員であるかのような顔をして、実はパパとママの駒の一つとして動かされている憐れなサブに、私は心の奥で、「おい、どーなっても知らんぞ」と警告していた。
 彼らの計画どおりというと、なんか悔しい気もしないではないが、さすがにこれだけ毎日ハッピーオーラ全開であちこち連れ回されていると、演技ではなく、私の心も本当にモヤモヤが晴れてきた。
 でもこう何日も続くと、サブは疲れないのかなと、心配にもなってくる。
 私はサブに顔を寄せ、「ゴメン、うちの親ほんとバカでしょ? あまり頑張って相手しなくてもいいよ?」と耳打ちしてみた。
 もしムリをしてるのだったら、ずっと続くとパンクしちゃうだろうと心配してのことだ。
「なに言ってんの。マッキーのご両親の子供になりたいくらい楽しいよ。もちろん育ててくれた養父母には感謝してるけどね。こんなに愛情一杯の人たちには会ったことがないよ」
 驚いた。
 なんつー恐ろしいことを言うんだ、こいつは。
 そんなことを言ったと、うちの両親に知られてごらん?
 たぶん本気で、サブを養子にしようとするよ?
 ていうか、ついさっき、パパとママの秘密の計画に、なんとなく察しがついたのだけど、どうやらこの旅行中に、私とサブにキスをさせようと計画しているのではないかなと。
 なにかってーと、すぐに私たちを密着させようとするし。
 ううむ、怪しい。
 誰が、オマエらの計画どおりに動いてやるもんか。
 なんてことを考えていたら、両親の様子がさらにおかしいことにも気付く。
 まさか、サブが私に言ったことを、両親に知られてしまったのか?
 パパとママの言動の端々に、それがもれ出ているような。
 一体、どーやって知った?
 いや、方法はどーでもいい。
 もしこれが気のせいでないとしたら最悪だ。恐れていた事態だ。
 パパとママの計画になにか変更があったような気配を感じる。
 計画①、私のトラウマを薄めて、記憶をハッピーで埋め尽くす(確)。
 計画②、サブと私の距離を縮めて、キスをさせる(仮)。
 では、計画③は? 
 今ちょうどアクセサリーショップに寄っていて、パパが皆の指のサイズを測っているのを見てピンときたのだけど、いや、まさかとは思うが……、

 サブと私を、婚約させようとしてないか?

 あり得ない話ではない。
 こいつを婿にしてしまえば、自動的に息子にできる。
 おい、やばいぞ、緊急事態だ、コラ、サブ、気付け。
 両親と一緒になってキャーキャー騒いでいるサブに視線を向ける。
 サブと目が合う。
 チャンスとばかりに、両親がヒューヒューと私たちをくっつける。
 いつもは笑っているサブが、なにか異変に気が付いたのか、顔を赤くして俯いてしまう。
 ほれみろ、言わんこっちゃない。
 サブの恥ずかしそうな顔を見ていると、こっちまで気分が落ち着かなくなる。
 おい、だからそれやめろって、そーゆーの伝染するんだから。
 この流れを止めるための最後の砦が私なのだが、伝染もなにも私もほぼ同時に、顔を真っ赤にして俯いてしまっているので、砦になどなれるわけがなかった。
 恐れていた事態は、この翌日、ここまでで旅程の半分が終わりましたと、パパが皆に発表した直後に訪れた。
 いつの間に店に受け取りに行ったのか知らんが、誓いの言葉が刻まれたお揃いのリングを指にはめたパパとママが、同じものをサブと私にプレゼントしたのだ。
 そして、予想どおりの、「はめろ」コールの大合唱。
「はーめっろ、あ、ヨイショ、はーめーろ、あ、ドッコイ」
 バカ夫婦に囃し立てられ、私たちはまた真っ赤になって俯いてしまったのだが、今回は見逃してもらえず、根負けした私とサブは、互いの指にリングをはめた。
 それも薬指に。
 おい待てバカ説明しろ、なんのプロミスなんだ、これは。
 この騒ぎが終わって、翌日でも翌々日でも、サブが恥ずかしがって指輪を外してくれていれば、私も倣ってすぐに外しただろう。
 でもサブはなぜか、ずーっとつけたまま、外そうとしなかった。
 風呂へいくときもつけっぱなしで、アホみたいな顔で、嬉しそうにしている。
 これは、どうとらえればいいのだ?
 気を遣っている? という、感じでも、ないな。
 どうしても恥ずかしければ指輪を紐で括り、首からぶらさげたっていいんだし。
 実際、私はサブにこっそりそう言って、逃げ道を提案してやった。
 でも彼は、なにを言ってもアハハと笑うだけで、絶対に外そうとしない。
 んんー……、少なくとも悪い気はしていない、ということか?
 なんだよ。
 じゃあ、まあ、私も、そのままにしておくしかないか。
 べつに、こんなの、邪魔でもないし。
 べつに、私も、そんなには、イヤってわけでもないし。


 ──つづく。
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