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第13話『権謀術数③-ケンボウジュッスイ-』
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黒髪眼鏡の黒服女子生徒にまんまと逃げられた西澤顕人は、まだ何が起こったか理解が追いつかないまま教室棟内の廊下を歩く。
彼女があの女子トイレに入るのは確かに見た。なのに何故出てこず、忽然と消えてしまったのか。
本当に理由がわからない。消失マジックでも見せつけられたのか。
顕人は自分の見たものが信じられず頭を抱えたい気持ちに襲われる。
だけどいつまでも悩んでいるわけにもいかない。
教室棟の入口に室江を待たせているのだ。早く行かなければ。
顕人は足早に教室棟の入口へ向かった。
教室棟の一階には休憩スペースがある。
椅子とテーブルが何組もあり、壁際にはベンチもある。
昼休みには此処で弁当や買ってきた物を食べる人で賑わうが、今は随分と少ない。
次の授業まで時間を潰すため談笑している男子生徒たちがいるくらいだ。
顕人は壁際のベンチを見た。
すると入口に一番近いベンチに室江が座っていた。
彼は何か本を読んでいたが、顕人が彼に近づくと顔を上げて笑った。
「お疲れ様」
「……お疲れ様です」
笑顔の室江に、顕人は声をかけたものの宮准教授の部屋でのやり取りを思い出して少し気不味さに襲われた。
その気不味さを室江は感じたのが、彼は困ったような顔をして、でも笑ってみせる。
「さっきのこと、気にしてる?」
「先輩は気にしてます?」
「意外と気にしてない」
「理由、訊いていいですか」
顕人がそう問うと、室江は彼が座っているベンチの空いているスペースを軽く叩く。座れということはすぐにわかって、顕人はその場所に座る。
「宮先生は、いつも俺にキツいことを言うんだ。ああいう物言いは今に始まったことじゃあないんだ」
「……いじめですか」
顕人が率直な感想を述べると、室江は声を出して笑う。けどすぐに「違う違う」と首を横に振る。
「僕も訊いたんだ、どうしてそんな寂しい言い方するんですかって。そしたら先生は、僕が先生の友達に似てるんだって言ったんだ」
「先生の友達……」
「さっき部屋で、大学の友人と指宿に行ったことがあるって言ってただろう? その人」
「その人と先輩が似てるんですか?」
「お人好しなんだよ、て言われた。お前みたいだって」
室江は語る。
その友人は、本当に人が良いらしい。
貧乏くじを貧乏くじと思わず引き受けるような人だという。
「僕はそこまでしないよね」と室江は笑うが、顕人は内心、結構そういうところがあるぞ、と思うだけで曖昧に笑う。
「それで昔、お節介が過ぎて死にかけたことがあるらしいんだ。病院担ぎ込まれて。先生が駆けつけると、怪我よりも大変なことが待ってたらしい」
「死にかけた怪我より大変なことって何ですか」
「それは教えてもらえなかった。何だったんだろうな、先生は顔真っ青にしてたよ」
あの先生が書籍以外のことで顔を真っ青にするとか、一体何が遭ったんだ。
顕人が考えていると、室江は「先生は僕を心配してるんだ」と肩をすくめる。
「僕もいずれ、そういうことになるんじゃないかって。だから今の内から、世間は善意だけじゃあ廻らないってことを言いたいんじゃないかな」
室江は何処か照れたように笑う。
それを見て、この人はどんなに周囲が気にしたって、善意に囚われて身を削っていくのだろうと思った。
宮准教授の友人がそうだったように、この人も善意を信じて死ぬように思えた。不謹慎な話だが。
顕人はそんなことを考えながら「先輩、まじ早死しそうですね」とぼやいた。
「ところで、何か用があったんじゃないのか」
暫く雑談をしていたが、室江がそう切り出して漸く彼を呼び出した本来の目的を思い出した。
「実は、俺とハルであのメモ用紙の主を探そうと思うんです。それで先輩の許可を貰おうかと思って」
そう言いながら、顕人は室江の反応を見る。
室江は顕人の言葉に目を見開いて顕人を見ていた。どの顔は今にも泣きそうだった。
「それって君たちの負担じゃない?」
「俺たち、就活している先輩に比べて時間も持て余すくらいあるんで大丈夫ですよ」
そう言うと、室江は「ありがと!」と言いながら顕人の手を両手でしっかりと握り締めて頭を下げた。一瞬泣いているように見えて、顕人は内心焦る。
まさか退屈で賭けのネタにしているとは言えない。
「それを踏まえて先輩に訊きたいことがあって」
顕人はそう言いながら、するりと室江の両手から手を抜く。
「小学生の頃の喘息発作の話ってどの程度の人が知ってるんですか?」
これが分かれば、調べる範囲が狭まる。
あまり大人数が知っていないと良いが。
そんな心配をしていると、室江は少し考えて口を開く。
「その時のクラスメートと、あと……母かな」
そう答える。
てっきり大学の知人に語っていると思ったので、顕人は思わず「え」と声を上げた。
「今日の話って、学内じゃあ、俺とハル、それから宮センセーしか知らないってことですか?」
「うん、そうかな。俺もあのメモ貰うまですっかり忘れてたし」
室江の言葉に、顕人は考える。
じゃあ、メモ用紙の主は喘息発作の話を何処で知ったんだ。
当時の同級生が学内にいるのか?
またはその同級生から話を聞いたとか?
顕人は考えるが、これも結論の出ない話だ。あとで晴臣の意見を聞こう。
そうだ、あともう一つはっきりさせておきたいことがある。
顕人はカバンからスマートフォンを出すと操作して画面を室江に向ける。
「先輩、この人知ってます?」
それは先程煙のように消えてしまった黒髪メガネの女子生徒の写真だ。画像は荒いし、期待薄だが一応確認しておこうと見てもらうことにしたのだ。
まあ、知らないだろうな。
顕人はそう思ったが、室江は写真を見て怪訝そうな顔をした。
「あれ―――」
室江は不思議そうに呟いた。
***
一時間後。
顕人は晴臣と食堂で合流していた。
顕人が食堂に着くと、晴臣はラーメンと大盛り炒飯のセットを食べていると最中だった。
コイツは本当にいつも食べているな。
顕人は晴臣の向かいに座ると、自分の行動について説明した。
そして最重要人物の女子生徒に逃げられた話をした途端、晴臣は顕人の失態に大爆笑する。
「何だ、逃げられたんだ」
「……うるせえよ」
「アキってば迂闊だなあ」
「もうホント黙れ」
顕人は、未だにあれは何が起こったのかわからず仕舞で、力なくテーブルに突っ伏す。もういっそ、あの女子生徒は狐の類だったと言ってくれた方が納得できる。
「で、何処の誰かもわからないの?」
晴臣はラーメンを啜りながら問う。
顕人はテーブルに突っ伏していたがよろよろと起き上がりスマートフォンで撮影した彼女の写真を晴臣に見せる。
晴臣は「もうちょっと綺麗に撮れなかったの?」と呆れる。
「五月蝿いって。名前はわかったんだからどうにでもなる」
「えっ、わかったの?」
「意外にも室江先輩が知ってた」
「面識あったんだあ」
晴臣は意外そうにぼやく。面識があったことには、正直顕人も驚いた。
遠くから見つめているだけの女だと思っていたから余計に。
「田村八重子、文学部の二年生らしい」
去年も何度か先輩と授業が一緒だったらしい。
そう言おうとしたが、それよりも早く晴臣の声に遮られる。
「そんなコ、文学部の二年にいないよ」
そのはっきりとした口調に顕人は驚く。それと同時に、一瞬晴臣の言葉が理解できなかった。
いないって?
「えっ、でも室江先輩が」
「文学部の同回生は顔も名前も皆知ってる。言い切れるよ、そのコは文学部の二年生じゃあない」
「じゃあ他の学部生ってことか?」
「他学部の生徒は確かに覚えてないけど、そうじゃないかな」
晴臣は麺を食べきると、丼を持ち上げてスープを口に流し込み出す。
顕人は首を傾げる。何故彼女は『文学部』を騙ったのか。
確かに文学部は生徒数も多いが、それでも晴臣のように気付く人間がいるはずだ。
文学部生の方が、文学部四年の室江に近づきやすかったからか?
「うーん、わっかんねえ」
「何だ、結局アキは手がかり少なめだね」
晴臣はそう笑いながら炒飯をレンゲで掬いだす。
その笑いに腹が立って「じゃあお前は今まで何してたんだよ」と詰る。
「僕? じゃあ、今度は僕の成果を聞かせてあげるよ」
晴臣はそう得意気に笑うと、彼の出来事を語りだした。
彼女があの女子トイレに入るのは確かに見た。なのに何故出てこず、忽然と消えてしまったのか。
本当に理由がわからない。消失マジックでも見せつけられたのか。
顕人は自分の見たものが信じられず頭を抱えたい気持ちに襲われる。
だけどいつまでも悩んでいるわけにもいかない。
教室棟の入口に室江を待たせているのだ。早く行かなければ。
顕人は足早に教室棟の入口へ向かった。
教室棟の一階には休憩スペースがある。
椅子とテーブルが何組もあり、壁際にはベンチもある。
昼休みには此処で弁当や買ってきた物を食べる人で賑わうが、今は随分と少ない。
次の授業まで時間を潰すため談笑している男子生徒たちがいるくらいだ。
顕人は壁際のベンチを見た。
すると入口に一番近いベンチに室江が座っていた。
彼は何か本を読んでいたが、顕人が彼に近づくと顔を上げて笑った。
「お疲れ様」
「……お疲れ様です」
笑顔の室江に、顕人は声をかけたものの宮准教授の部屋でのやり取りを思い出して少し気不味さに襲われた。
その気不味さを室江は感じたのが、彼は困ったような顔をして、でも笑ってみせる。
「さっきのこと、気にしてる?」
「先輩は気にしてます?」
「意外と気にしてない」
「理由、訊いていいですか」
顕人がそう問うと、室江は彼が座っているベンチの空いているスペースを軽く叩く。座れということはすぐにわかって、顕人はその場所に座る。
「宮先生は、いつも俺にキツいことを言うんだ。ああいう物言いは今に始まったことじゃあないんだ」
「……いじめですか」
顕人が率直な感想を述べると、室江は声を出して笑う。けどすぐに「違う違う」と首を横に振る。
「僕も訊いたんだ、どうしてそんな寂しい言い方するんですかって。そしたら先生は、僕が先生の友達に似てるんだって言ったんだ」
「先生の友達……」
「さっき部屋で、大学の友人と指宿に行ったことがあるって言ってただろう? その人」
「その人と先輩が似てるんですか?」
「お人好しなんだよ、て言われた。お前みたいだって」
室江は語る。
その友人は、本当に人が良いらしい。
貧乏くじを貧乏くじと思わず引き受けるような人だという。
「僕はそこまでしないよね」と室江は笑うが、顕人は内心、結構そういうところがあるぞ、と思うだけで曖昧に笑う。
「それで昔、お節介が過ぎて死にかけたことがあるらしいんだ。病院担ぎ込まれて。先生が駆けつけると、怪我よりも大変なことが待ってたらしい」
「死にかけた怪我より大変なことって何ですか」
「それは教えてもらえなかった。何だったんだろうな、先生は顔真っ青にしてたよ」
あの先生が書籍以外のことで顔を真っ青にするとか、一体何が遭ったんだ。
顕人が考えていると、室江は「先生は僕を心配してるんだ」と肩をすくめる。
「僕もいずれ、そういうことになるんじゃないかって。だから今の内から、世間は善意だけじゃあ廻らないってことを言いたいんじゃないかな」
室江は何処か照れたように笑う。
それを見て、この人はどんなに周囲が気にしたって、善意に囚われて身を削っていくのだろうと思った。
宮准教授の友人がそうだったように、この人も善意を信じて死ぬように思えた。不謹慎な話だが。
顕人はそんなことを考えながら「先輩、まじ早死しそうですね」とぼやいた。
「ところで、何か用があったんじゃないのか」
暫く雑談をしていたが、室江がそう切り出して漸く彼を呼び出した本来の目的を思い出した。
「実は、俺とハルであのメモ用紙の主を探そうと思うんです。それで先輩の許可を貰おうかと思って」
そう言いながら、顕人は室江の反応を見る。
室江は顕人の言葉に目を見開いて顕人を見ていた。どの顔は今にも泣きそうだった。
「それって君たちの負担じゃない?」
「俺たち、就活している先輩に比べて時間も持て余すくらいあるんで大丈夫ですよ」
そう言うと、室江は「ありがと!」と言いながら顕人の手を両手でしっかりと握り締めて頭を下げた。一瞬泣いているように見えて、顕人は内心焦る。
まさか退屈で賭けのネタにしているとは言えない。
「それを踏まえて先輩に訊きたいことがあって」
顕人はそう言いながら、するりと室江の両手から手を抜く。
「小学生の頃の喘息発作の話ってどの程度の人が知ってるんですか?」
これが分かれば、調べる範囲が狭まる。
あまり大人数が知っていないと良いが。
そんな心配をしていると、室江は少し考えて口を開く。
「その時のクラスメートと、あと……母かな」
そう答える。
てっきり大学の知人に語っていると思ったので、顕人は思わず「え」と声を上げた。
「今日の話って、学内じゃあ、俺とハル、それから宮センセーしか知らないってことですか?」
「うん、そうかな。俺もあのメモ貰うまですっかり忘れてたし」
室江の言葉に、顕人は考える。
じゃあ、メモ用紙の主は喘息発作の話を何処で知ったんだ。
当時の同級生が学内にいるのか?
またはその同級生から話を聞いたとか?
顕人は考えるが、これも結論の出ない話だ。あとで晴臣の意見を聞こう。
そうだ、あともう一つはっきりさせておきたいことがある。
顕人はカバンからスマートフォンを出すと操作して画面を室江に向ける。
「先輩、この人知ってます?」
それは先程煙のように消えてしまった黒髪メガネの女子生徒の写真だ。画像は荒いし、期待薄だが一応確認しておこうと見てもらうことにしたのだ。
まあ、知らないだろうな。
顕人はそう思ったが、室江は写真を見て怪訝そうな顔をした。
「あれ―――」
室江は不思議そうに呟いた。
***
一時間後。
顕人は晴臣と食堂で合流していた。
顕人が食堂に着くと、晴臣はラーメンと大盛り炒飯のセットを食べていると最中だった。
コイツは本当にいつも食べているな。
顕人は晴臣の向かいに座ると、自分の行動について説明した。
そして最重要人物の女子生徒に逃げられた話をした途端、晴臣は顕人の失態に大爆笑する。
「何だ、逃げられたんだ」
「……うるせえよ」
「アキってば迂闊だなあ」
「もうホント黙れ」
顕人は、未だにあれは何が起こったのかわからず仕舞で、力なくテーブルに突っ伏す。もういっそ、あの女子生徒は狐の類だったと言ってくれた方が納得できる。
「で、何処の誰かもわからないの?」
晴臣はラーメンを啜りながら問う。
顕人はテーブルに突っ伏していたがよろよろと起き上がりスマートフォンで撮影した彼女の写真を晴臣に見せる。
晴臣は「もうちょっと綺麗に撮れなかったの?」と呆れる。
「五月蝿いって。名前はわかったんだからどうにでもなる」
「えっ、わかったの?」
「意外にも室江先輩が知ってた」
「面識あったんだあ」
晴臣は意外そうにぼやく。面識があったことには、正直顕人も驚いた。
遠くから見つめているだけの女だと思っていたから余計に。
「田村八重子、文学部の二年生らしい」
去年も何度か先輩と授業が一緒だったらしい。
そう言おうとしたが、それよりも早く晴臣の声に遮られる。
「そんなコ、文学部の二年にいないよ」
そのはっきりとした口調に顕人は驚く。それと同時に、一瞬晴臣の言葉が理解できなかった。
いないって?
「えっ、でも室江先輩が」
「文学部の同回生は顔も名前も皆知ってる。言い切れるよ、そのコは文学部の二年生じゃあない」
「じゃあ他の学部生ってことか?」
「他学部の生徒は確かに覚えてないけど、そうじゃないかな」
晴臣は麺を食べきると、丼を持ち上げてスープを口に流し込み出す。
顕人は首を傾げる。何故彼女は『文学部』を騙ったのか。
確かに文学部は生徒数も多いが、それでも晴臣のように気付く人間がいるはずだ。
文学部生の方が、文学部四年の室江に近づきやすかったからか?
「うーん、わっかんねえ」
「何だ、結局アキは手がかり少なめだね」
晴臣はそう笑いながら炒飯をレンゲで掬いだす。
その笑いに腹が立って「じゃあお前は今まで何してたんだよ」と詰る。
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