鵺の泪[アキハル妖怪シリーズ①]

神﨑なおはる

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第47話『和風慶雲①-ワフウケイウン-』

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 その後、宮准教授に呼ばれて警備部がやってきて鹿嶋美須々かしまみすずを引取りに来た。室江は彼女に同行して、そのまま警察の方へ行ってしまった。
 その姿を見送りながら、西澤顕人にしざわあきとは宮准教授に「室江先輩、ショックだったでしょうね」と呟く。
 約十年ぶりに再会した母が、自分の知らないところで、自分のために学内の生徒に危害を食わせていたのだ。戸惑うのを通り越して、悲しかっただろう。

「まあ、室江の心中はあいつにしかわからないからな」
「そもそもまだ学内にいたことに驚きましたけど、何て言って連れて来たんですか」
「『母親に会いたいか?』って」
「それだけですか?」
「此処までの道すがらで、掻い摘んで説明した。顔が真っ青だったからもっと取り乱すかと思ったけど、会いたい気持ちが勝ったってところだな」
 宮准教授の言葉に、顕人はゴミ集積場にやってきた室江の表情を思い出す。何処か泣きそうだった顔に宮准教授の言う通り母への『会いたい』という気持ちが溢れたのだろう。

「このあと、きっと大変ですよね」
「だろうな」
「先生、大変なんじゃないんですか?」
「どうして?」
「生徒の身内がこんなことになって、責任問題が、とか言われないんですか?」
「はあ? 俺の知ったこっちゃねえよ」
 顕人の言葉に、宮准教授は呆れたようにぼやく。
 その言葉に顕人は内心、冷たい人だな、と思ったがそれと同時に、「生徒の母が罪を犯そうが、生徒本人が道を踏み外そうが、教師としてやることは何一つも変わらないだろうが」と言い放つので、顕人は一瞬考えてしまった言葉を自分の中で撤回する。

「室江が何か助けがいるって言うなら、俺にできることはしてやるし、お前達もそうだろ?」
 そう言われると当然否定をするつもりもなく、顕人は「まあ、そうですね」と同意する。宮准教授は顕人の言葉に何処か嬉しそうに笑った。
 そんな話をしていると、歩道にいたはずのサモエドが駆け寄ってきて、宮准教授の足元に擦り寄る。宮准教授はサモエドに「お前もお疲れさん、コバルト」と声をかけるとサモエドは嬉しそうに宮准教授に飛びつこうと後ろ足だけ立ち上がり上体を宮准教授に引っ付ける。
 こんな大型犬の過剰なじゃれ付き、顕人ならすぐさま転倒するだろうが、宮准教授はまるで慣れていることのようにわしゃわしゃとサモエドを撫でる。
 これは、まるで飼い主と愛犬のようだ。

「先生……、その犬は」
「コバルト? ウチの犬。昨日暴漢が出たって連絡があったから、今日は警備犬として連れてきた。いつもは休日、姫が遊んでくれるんだけど、姫、今日は買い物に出かけたから放牧も兼ねて」
 放牧って。
 宮准教授の言葉に顕人は呆れる。が、ふと、昼間に函南から聞いた『コバルト提督』の話を思い出す。

「先生、先生って此処の卒業生なんですか?」
「そうだけど」
「……学生自治会所属?」
「……そうだけど」
「『サモエド管理中隊』命名?」
「そうだけどッ?」
 最後の返事はかなり刺々しく言い放つ宮准教授。まさかのあの何とも評価しにくい団体名の命名者がこんな身近にいるとは。知りたかったような知りたくなかったような。
 顕人が複雑な面持ちで考えていると、宮准教授は宮准教授で複雑そうな顔で「あれはもうあの場の勢いだったかなあ」とぼやく。何やら事情がありそうだが、深く触れずにおこう。
 顕人がそんなことを考えていると、サモエドは宮准教授の足にじゃれついて何かを急かすようにズボンの裾を軽く噛んで引っ張る。
 宮准教授は「何だ、腹減ったのか?」と苦笑しながらサモエドを撫でて顕人に視線を寄越す。

「じゃあ、もう遅いしさっさと帰るか」
「そうですね。おい、ハル」
 顕人は頷くと、振り返って相棒の姿を探した。

 ***

 滝田晴臣たきたはるおみはゴミ集積場の中にいた。
 彼はコンクリートの床に落ちているオレンジ色の塊に気が付いた。
 恐らく鹿嶋美須々が床をのたうち回っていたときに落としたものだろう。
 手に取ると、それが、薬だとわかる。
 オレンジ色の錠剤。
 晴臣はそれ見て、どういうわけか、『知っている』と感じた。
 だけど、どうして、いつ、どこで、このオレンジ色の錠剤に出会ったのか
 既視感だけが晴臣の脳裏を駆け巡る。

 そんなとき、一瞬だけ、誰かの笑い声が脳内で再生された。
 誰の声だ。
 思い出そうと目を閉じたとき、まるで泥沼に膝下まで埋まっているような嫌な気分になった。あまり不快な感覚に、晴臣はぞっとした。
 だけどその瞬間、「おい、ハル」と自分を呼ぶ声に引き戻された、
 慌てて振り返ると、ゴミ集積場の入口から顕人が晴臣に声をかけて不思議そうな顔をしていた。

「どうした?」
「うーん、何でも」
「そうか? 帰ろうぜ、晩飯、中華行くんだろ?」
 顕人がそう言うと、晴臣はみるみる顔を明るくして顕人の元へ急いだ。
 手にしていたオレンジ色の塊を手から離そうとしたが、晴臣はどういうわけかそれを手放すことができず、無意識にパーカーのポケットに思わず入れてしまう。

「ねえアキ。あの店、ラーメンのメガ盛チャレンジしてるの、知ってる?」
「知らない……」
「二十分で食べきったら店で使えるお食事券が貰えるの。挑戦しない?」
「いや、絶対しない。ハルが挑戦すればいいだろ」
「僕はもう十回挑戦して、あの店でメガ盛チャレンジ拒否されてるんだ」
 そう残念そうに呟く晴臣に、顕人は呆れて、これから向かう店の店主に同情してしまう。というか、よくも十回も挑戦させたな。もっと少ない回数で拒否しそうなものだが。
「俺は成功する気がしないからいい」
「でもお腹空いてるって言ってたよ?」
「空腹ならチャレンジするって精神がわからない。食事くらい時間に迫られずゆっくり食べたいんだよ」
 顕人は辟易しながらそうぼやくと、ゴミ集積場の照明スイッチを切ろうとする。
 だけどその瞬間、入口から宮准教授が顔を出す。

「言い忘れてたんだけど、」
 彼はそう言うと、二人の背後を指差す。ゴミ集積場の中だ。
「あれ、何とかしとかないと、ゴミ集積場の管理人は勿論、色んなところから『お叱り』が飛んでくるぞ」
 そう言って彼は、水浸しのままの床を見て笑い、宮准教授は先に行ってしまう。
 残された二人は顔を見合わせると、大きく溜息をついて掃除に取り掛かった。
 夕食が遠のいた瞬間だった。
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