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第3話『まるで火花のような』

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 次の日、祖母ばあちゃんは俺と祐生をつれて出かけることになった。
 今日は祐生の通院日ではなく、母さんも精神的にかなり疲弊していたから一日休養するように言って祖母ちゃんは俺と祐生を預かったのだ。
 そして、「気休めかもしれないけど病気が良くなるようにお参りしてくるわ」と母さんに断りをいれてから少し離れた市にある神社へ向かった。
 小さな神社だが、厄払いで有名な神社らしい。

「昔はそうでもなかったんだけど、厄払いの効果があるってパワースポットらしいの。本当に気休めなんだけどね、祖母ちゃん、幽霊のこととかわからないからこういうのは神社とかお寺なのかなって思って。……安直よね」
 祖母ちゃんは車を運転しながらそうぼやいていた。
 俺はそれに対して何も言えなかった。
 この当時の俺は、幽霊というものが何なのか、神社という施設が何なのか、全く知らなかった。
 だから何故神社なる施設に行くのかもわからなかった。
 俺はただ真っ黒になってしまった祐生の顔を直視することができず、車の後部座席に固まっていた。

 二時間近く車に揺られ、たどり着いた場所は街中に埋もれるような建てられた小さな神社だった。
 神社の敷地の周りには背の高い建物ばかり。中でも一番高いのは五階建ての雑居ビルだったはずだ。
 きっと普段から建物の影に覆われているような神社だろう。
 だけどその日は凄く良い天気で、真昼頃だったせいか、神社の敷地には太陽の光が降り注いでいた。
 祖母ちゃんは四台分しかない小さな駐車場に車を停めると、ベビーカーに祐生を乗せ神社へ向かう。
 俺は祐生の顔が見れず、祖母ちゃんの上着の裾を掴んで歩いていた。
 パワースポットいう割に、閑散としていたのが記憶に残っている。
 駐車場にも祖母ちゃんの車しかなかったし。平日だったからだろうか。
 祖母ちゃんはゆっくりとした足取りで境内を進む。
 鳥居をくぐり、手水舎で手を洗い、本殿へ向かう。
 そのとき、境内に植えられた木の下で、落ち葉を箒で集めている男が俺たちに「今日和」と声をかけてきた。
 着物に袴姿。この神社の人だろう。
 祖母ちゃんは神社の人に会釈すると「今日はお祓いとかってしてくれてますか?」と尋ねる。

「大丈夫ですよ」
 男はにこやかに笑って頷くが、祖母ちゃんが押すベビーカーに乗る祐生を見てぎょっとする。
 そして「この子でしょうか?」と祖母ちゃんに訊いた。
 それに対して祖母ちゃんは頷いたが、男は難しい表情で祐生を見ていた。
 この男は、祐生の顔に広がる黒いシミが見えているのではないかと俺は思い、期待が膨らむ。
 祖母ちゃんが連れてきてくれたんだから、きっとこの人は祐生のことを治せるはずだと信じて疑わなかった。
 だけど。

「これは……かなり難しいですね」

 そう呟く。
 男の言葉を聞いて、俺はひどくショックを受けた。
 祐生は助からない。
 あの不気味な女の言葉通りになってしまう。
 祖母ちゃんの服の裾を掴んで歯を食い縛る。
 俺があの女を見てしまったからこんなことになったのか。
「ユウ、助からないの? 黒いの、取れないの?」
 俺は神社の人に訊く。
 彼は俺の言葉に難しい顔をしながらも「できる限りのことはするよ」と言ってくれた。
 今更思うのだが、きっとあの人には祐生のシミが見えていたのだろう。
 だけどこの時の俺は、自分が見えるものは当然人にも見えていると思っていたから不思議には思わなかった。

 祖母ちゃんと祐生は本殿へ行った。
 広い部屋でさっきの神社の人が何かを唱えながらひらひらと紙がなびく棒を何度も振る。俺は遠目にその様子を見ていたが、それが終わっても祐生の顔からシミがなくなることはなかった。
 神社の『お祓い』ではこのシミはどうにもならなかったのだ。
 その事実は神社の人も当然わかっていて、「ありがとうございました」と頭を下げる祖母ちゃんに困惑している様子だった。

 状況は何も変わっていない。
 寧ろ時間の無駄だったと言えなくもない。
 俺はベビーカーに乗せられてぐったりと動かない祐生と一緒に、遠巻きに祖母ちゃんと神社の人が話しているのを見ていた。
 きっと世界の誰も祐生を治せない。
 そう思ったとき、女の子がやってきた。
 その当時の俺と対して歳が変わらないくらいの女の子が浮かない顔をした俺に近づく。
「どうしたの、どこかイタいの?」
 そう聞いてくるけれど、俺からはそいつの顔がはっきりと見えなかった。
 お祓いで結構な時間が経っていたのか、既に境内には周囲の建物からの影が落ち始めていて、俺たちのいた場所はすっかり日陰になっていたから。

「ユウがびょうきなんだ。おいしゃさんは助からないかもって」
 俺は女の子を見ず自分の足元ばかり見ながらそう呟く。
 すると彼女はベビーカーに近づき、祐生を見る。

「げんきないね。びょうきだから?」
 彼女はそう言いながら祐生に頭に手を伸ばす。俺は彼女が祐生に悪さしないかと何となく彼女を見た。

 その一瞬、ベビーカーの中でばちっと何かが光った。
 まるで少し大きな線香花火が破裂したかのような火花に似ていた。
 俺は彼女がベビーカーの日よけフードの中で何かしたのかと思い、慌てて近づく。
「おい、なにしてんだよ!」
 俺がそう彼女に詰め寄ると彼女は困った様子で「撫でただけだよ」と言って、俺があまりの剣幕だったせいか慌てて走って逃げてしまう。
 逃げやがった。
 俺は腹が立ちながらも祐生が怪我していないかベビーカーを覗き込む。
 すると。

「あう?」

 黒いシミがなくなった顔で祐生は声を上げたのだ。
 ここ何日も声を出さなかった祐生が意識がはっきりした様子で俺を見ていた。俺と目が合うとその瞬間、まるで空腹を思い出したかのように突然泣き出した。
 その声に祖母ちゃんは慌ててやってくる。

「どうしたの? 喧嘩しちゃった?」
 シミの見えていなかった祖母ちゃんは不思議そうに俺を見ながら祐生を抱き上げてあやす。
 その様子を見ていた神社の人は、祐生の顔を見て驚く。シミが無くなり、まるで何事もなかったように泣き出す祐生の姿を信じられないという顔で見ながら、俺に「何があったんだい?」と訊く。
 だけど俺だって何が起こったのかわからず、ただ首を横に振った。

 本当に何が起こったのかわからなかった。
 どうして急に祐生のシミが消えたのかもわからなかった。

 一瞬だけ、さっきベビーカーに近づいた女の子の存在が脳裏を過ぎったけれど、彼女は俺が怒ったことに多分本当に撫でただけなのだろう。
 それじゃあ一体どうして。
 考えるけれど、結局誰も答えなんてわからないまま、祐生は元に戻ったことだけが嬉しかった。
 それと同時に、俺はこの頃を境に下を向いて生きるようになった。

 なるべく、余計なものを見ないでいるために。
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