見える彼 と 見えない彼女

神﨑なおはる

文字の大きさ
15 / 51

第15話『返り討ち』

しおりを挟む
 怖い気持ちは無理矢理押し込めて、怒りだけで何とか『あの女』と対峙する。
 女はゆっくりと手をもたげて俺を指差す。女とは三メートル程の距離があるものの、この距離すら心許無い。きっとこんな距離は半紙よりも簡単に破られる。

「オ前、昔ミた餓鬼ダな」
「おう、十年くらい前にな」
 ?
 何だ。
 俺は女を前にして違和感を覚える。
 この距離まで近づいてわかったが、どうも変だ。
 この女の輪郭が朧げになっているように見える。十年も経っている上、昔はあまりに強烈な恐怖があったからこの女の姿が鮮明に色濃く記憶に焼き付いているのかもしれないが、実際はこんなに存在が滲んでいたということだったのか。

「アノ時の弟ハどウナった」
 女は笑う。昔聞いた高音と低音が交じるような歪な声で。俺を嘲るように。
 その笑いが更に俺の怒りを煽る。
 どうなったって?! コイツ!
 お前のせいでまたあんなぐったりと衰弱していく様子をみることになるのだ。

「『どうなった』だって? お前のせいで、また、弟は体調を崩し始めてる……! お前のせいで!!」
 きっと周囲に誰かいたら制服姿の男子が一人喚き散らかしているように見えることだろう。だけど今の俺に周囲の目を気にしている余裕なんてなかった。

 この女は俺の悪夢の始まりなのだ。
 初めて見えた『常人に見えないもの』。
 初めての払拭できない恐怖。
 ぶん殴れるものならぶん殴ってしまいたい。
 思わず拳を握り込み女を睨むが、それまで薄ら笑いを浮かべていたはずがその青じ顔から笑みが消えていた。まるで怒っているように見えた。
 何だその顔。この場で完全に優位に立っているのはお前だろう。
 俺が困惑していると、女は肩を震わせて俺に骨張った白い手を伸ばす。

「まタ?」

 そう呟く声にはやっぱり怒り、というより動揺のようなものが混じっている。
 何に対してだ。『また』? その言葉に反応したことはわかるが、理由がわからない。
「昨日、会っただろ、此処で友達と遊んだって言ってたぞ」
 俺がそう言い放つと、俺の方へと伸びていた腕が俺の首を正面から捉える。人の皮膚が当たっているような感覚はなく、何か酷く冷たい冷気の塊を押し付けられているような。でも首には押し付けられるような圧迫感があって、思わず嘔吐えづきそうになる。
 気が付けば、それまで三メートルほどあった女との距離がなくなり、女は両手で俺の首を絞めながら目の前に立っていた。
 俺を睨みながら見下ろしていた。
「お前ノ弟ハ遠ノ昔に死んダだロウ」
 そう言いながら俺の首を絞めあげる。あまりの苦しさに俺は女の手を振り払おうとするが、女の手を掴もうとしても俺の手は何も掴めず空を切るだけ。まるで精巧な立体映像が投影されているみたいだ。

「弟は生きてる! でもお前がまた昨日弟に障りやがっただろ! 二度も苦しめる気か! さっさと呪いを解けよ!!」
 俺は息苦しさから逃れようと手足をばたつかせるが状況は何も変わらない。だって俺は『見える』だけで『触れる』ことはできないのだから。
 そろそろ息苦しさに頭が痛くなってきたが、その瞬間、首を覆っていた圧迫感がなくなり俺が地面に座り込む。何度も何度も咳をして酸素を肺に取り込もうと呼吸する。
 助かったのか。
 俺は首を摩りながらゆっくりと顔をあげる。

 女はまだ目の前にいた。
 俺を、信じられないものを見るように見下ろしていた。

「アの時、私ノ存在が急ニ薄まッたノハ、オ前ノ仕業か。お前ガ何かしタノか」
 女はそう呟く。
 が、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。
 存在が薄まる? 何のことだ。
 もしかして今が昔よりもこの女の姿が朧げになっていることと関係あるのか。
 しかし考えている間に女は倒れ込んだ俺の顔を覗き込む。それも呼吸が当たるかもしれないという近さまで寄られて俺はまた息が止まりそうになる。

「ソれなラオ前かラ奪うダケだ。今度ハお前ノ命ヲ貰う」

 女はそう言うと、俺の首を撫でた。
 また冷たい空気が首元を掠める感触に思わず身を滲ませる。
 その瞬間、俺は昔、この女が祐生の頬に触れその箇所に黒いシミが残ったことを思い出す。
 まさか。
 俺は思わず右手で首を押さえる。手の平を自分の首を確かめるように滑らせる。
 首はまるで真冬の窓ガラスのように冷たく硬直していた。
 慌てて顔を上げると、そこにはもう女の姿はなかった。
 俺は首を押さえながら「くそ」と吐き捨てることしかできなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

リボーン&リライフ

廣瀬純七
SF
性別を変えて過去に戻って人生をやり直す男の話

処理中です...