見える彼 と 見えない彼女

神﨑なおはる

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第50話『小径の先へ』

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 それでも稀と細江は、二人乗り自転車の速度よりも早く『安居院邸』に続く横道までやってきた。その頃には稀は荒い呼吸を身体全体で繰り返し、言葉を発することのできる状態ではなかった。それでも稀は足を一度も止めることなく此処まで走りきったのだ。それだけ秀生のことを心配しているのが細江にも伝わり、細江も自転車を漕ぎながら心配に襲われていた。
 細江の脳裏にも、そんなことはないだろうが、もしかしたら秀生が体格の良い運動部連中に囲まれている場面を想像してしまう。……本当にそんなことはないのだろうが。細江は自分自身にそう言い聞かせつつも、隣りでぜえぜえと苦しそうな呼吸を繰り返す稀を見る。

「此処から砂利道らしいから、自転車此処に止めていくぞ」
 細江が自転車を砂利道の端に止めながら稀に声を掛けるが、稀は荒い息を繰り返しながら二度三度頷くだけ。
 大丈夫だろうか、と細江は稀の様子に不安を感じる。
 まだ何も始まっていないのに既に満身創痍という言葉がこれほど似合う女子もそういないだろう。
 苦しそうに呼吸を繰り返す稀は、それでも細江の竹刀袋をぎゅっと握り締めて鬱蒼とした雑草に挟まれた砂利道の奥を睨んでいる。
 此処までの道程での疲労から迫る顔色の悪さに加え振り乱れた髪も相まって、これから丑の刻参りに向かう鬼女のような空気が漂う。その張り詰めたような視線に細江は肝を冷やす。
「……一応言っとくけど、俺らは柵木を迎えに来たってていだからな。まずは様子を見る。行ってみたら和気藹々としているってことは大いにあるわけだし。でも……もし万が一、何かしらの暴力行為が行われてたら、柵木を引きずって逃げる。それで良いな?」
 あくまでこっちから手は出さない。そう念を押す。
 稀は無言で頷くけれど、その視線は細江にはなくただじっと道の先を見て、いや、睨みつけている。秀生と一緒にいるはずの運動部の生徒を見つけたら一目散に駆けていき握り締めたままの竹刀で殴りかかるんじゃないかという雰囲気に、細江はただただ不安が募る。

 やっぱり行くの止めた方が良いのでは?
 というか、貴水にからかわれただけで本当は秀生達は此処にいないのでは?

 不意に、このまま進まないための理由を考えてしまう。だけどこのまま此処で待つこともできなかった。
 さっきまではオレンジが大半を占めていた空の端に藍色が滲み出していたが、今では藍色が空の半分を侵食していた。
 もうすぐ夜が来る。
 細江とて、此処が名ばかりの心霊スポットであることはわかっているが、流石にこんな山道で、夜、女子と二人というのは心許ない。
 いつだって悪意があるのはいるかわからない幽霊より其処にいる人間だから。
 不審者に襲われるなんてことになっても、市街から随分離れているこの場所じゃあ助けをすぐには期待できない。まだ辛うじて明るい内に人々がいる場所には戻りたい。
 細江は覚悟を決めて砂利道へと踏み出す。

「じゃあ俺が前行くから、才明寺は後ろ警戒頼むぞ」
 そう言いながら砂利道を進み出す細江だったが、すぐに足を止めることになった。
 ガサガサ、じゃりじゃり。
 何かが雑草を掻き分けて走る音に思わず二人は足を止める。
 何だ熊か?! ……いや、この辺りには熊はいない……はず、多分。
 細江は思わず及び腰になるが、稀は竹刀を前へ突き出す。
 だけど緩やかな砂利の坂道を駆け下りてきたのは同じ学校の制服を来た男子生徒たちだった。皆、顔面蒼白でまるで『化物』でも見たかのような焦りようだった。
 細江は現れたのが人間で、しかも同じ学校の生徒だとわかり安心する。尚且つやってきた男子生徒が三人いたが、その内の一人に見覚えがあったのか「早島」と呟く。その声が稀の耳にも届き、稀は今やってきた男子生徒たちが『例の運動部の生徒』であることを察して竹刀を彼らに突き出す。
 三人の男子生徒たちは非常に取り乱した様子であったが、丁度道路から砂利道に入ってきただろう同じ学校の制服を着ている男女の姿に自分たちの日常が戻ってきたかのような感覚に少しだけ表情を緩ませるが、それでも女子が突然自分たちに竹刀を向けてくるので慌てて足を止め女子を凝視する。だって彼らには突然現れた女子に突然竹刀を突きつけられる理由がまるでわからないのだから。
 彼らがただ困惑していると、稀は「柵木はどうしたの」と強い口調で言い放つものだから更に戸惑いに追い打ちをかけられる。
 硬直する彼らに、細江は「どうした、何かあったのか?」と早島に声をかけると、早島は漸く細江の存在を認識して大きく息を吐いた。

「ほ、細江」
「何かあったのか。まだ他にも一緒に来たヤツとかいないのか」
 細江は右手で、隣りにいる稀が彼らに突っかかっていかないように制止しながら早島に話しかける。
 細江の声に早島は僅かに表情に血色の良さが戻るが、『何があった』という言葉に自身に降りかかった現象を思い出してまたみるみる顔色が悪くなる。何か恐ろしいことが起こったのだろうということは稀や細江にもわかった。そのまま何も話してくれない可能性もあったけれど、早島は細々とした声で『安居院邸』で起こったことを話し出す。
 六人で『安居院邸』に行き、二人ずつの組みなって邸内を散策したということ。
 早島は利部と歩いていると突然上から『何か』が頭に落ちてきてそのまま床に尻餅をついたらしい。
 もう老朽化の激しい建物だから天井などが落ちてきても不思議ではないが、早島が言うには『何も』落ちてきていなかったと言う。
 一緒にいた利部も突然座り込んだ早島に驚くのも束の間で、突如その部屋の壁のべこりと凹み、脆くなった土壁にそのままが穴が出来る。
 老朽化とは明らかに違う、何かが激突したような壁の壊れ方に二人は唖然とするが穴の空いた壁に『何か』が再びぶつかる様に凹む。
 老朽化なんて言葉で片付けて良いか不可解な崩れ方をする壁に早島と利部の間に冷たい空気を感じる。
『何か』、得体の知れないものがそこにいる。
 二人は声を掛け合わず慌ててその場から逃げ出した。

「その後玄関とこに貴水と柵木くんが居て」
 早島が遂に秀生の名前を口にする。それを聞いた瞬間、稀は目を見開く。
 やっぱり秀生は此処に来ていたのだ。
 稀は細江の隣りをするりと抜けて駆け出す。早島たちの間を割って、奥の道へと走っていく。
「おい、才明寺!」
 細江が叫ぶが、稀の背中はどんどん離れていく。
 そこにさっきまでの坂道を走ってぐったりしていた姿は感じさせなかった。
 細江は稀を追いかけるべきか、それとも今にも倒れそうな三人を見ておくべきなのか悩んでる間に、稀の姿は見えなくなった。
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