30 / 48
30.もう……怖いんです
しおりを挟む「ごめんなさい。お兄さんにご迷惑かけちゃいましたね。もう会いません」
両手を思い切り振り払います。
非力な僕の力でも振り払えたのはお兄さんも迷惑だと思っていたからなのかもしれません。
2人の表情を見たくなくて、駆け出します。
呼び止められる声がした気がしても、もう無理です。
これ以上『わがまま』になってしまったら、伊織くんだけじゃなくてお兄さんまで不幸にしてしまいそうで。
⸺怖いんです。
宝物みたいな時間をくれたお兄さんを不幸にしたくありません。
どこに向かうわけでもなく、とにかくこの場所から離れたかったんです。
大して距離を走っていないのに呼吸が苦しい。
でも安心します。
これだけ苦しければ、2人を傷つけた分くらい自分を傷めつけられています。
息が切れ、生理的に滲む涙のせいで視界はぼやけていく。
階段。ここを降りたら、遠くへいける。
鉛のように重くなった足を踏み出すと、空を切る。
あっと思った瞬間には、体が大きく前へ傾いでいます。
落ちる、と悟った瞬間、体へゾクりと悪寒が走り抜けます。
襲い掛かってくるであろう痛みや衝撃を覚悟し、目を瞑りました。
「あぶなッ」
衝撃の代わりに甘い香りがします。
落ちるはずの僕の体をお兄さんが後ろからお腹へ回した片腕で支えてくれています。
落ちないように手すりに掴まりながら。
背中へ押し付けられた厚い胸板からはどくどくと早鐘のような心臓の音が伝わってきています。
「あ、ありがと、ございます」
「ん。深呼吸。発作出ていないか?」
「は……い」
僕の体を片手でぐいっと引っ張り上げ、お兄さんはぎゅうと両腕を僕のお腹へ巻きつけます。
優しすぎます。怖いくらい、その優しさが温かくて。
無事に床に足がつき、呼吸を整えようとしているのに、心臓が未だに忙しなく鼓動を刻む。
「こっちこそさっきは庇ってくれてありがとな。なぁ、だからさ。もう会わないとか言うなよ」
注がれる声はやっぱり優しくて。でもどことなく不安げに掠れている。
もっと心臓が痛くなる。
追いかけて来てもらえた。
自分があの飄々としたお兄さんを不安にさせているのをあさましく喜んでいる。
「頼むから。……な?」
首に顔を埋めお兄さんは重ねる。
小さな声だけれど、回された腕の力を緩めることもしません。
どっちにしても離さない、と言われているようで。
また喜ぶ自分がいやです。
お兄さんにここまでしてもらえるような人間じゃないのに。
本当は、子どもじみて汚いことばかり考えているようなやつなんですよ。
「庇うとか、違うんです。お兄さんと伊織くんが仲良さそうだったから……もやもやして。八つ当たりというか、わがままいいました。不幸にするのに……ごめんなさい。わがままを言って」
声が震えてしまわないように堪えていたら、瞳の奥が熱くなります。
泣いたりして見苦しい。
身勝手な涙を引っ込めたいのに、次から次へと涙が溢れてきます。
「僕みたいなやつはたった一つのわがままで誰かの幸せを奪って悲しいお顔をさせてしまうんです。
僕は伊織くんとお父さんから家族を奪ったやつです。僕のお母さんと弟、伊織くんのお母さんが亡くなったのは本当は交通事故なんかが原因じゃないんです。みっともなく自分勝手で子供じみた『わがまま』を言った僕のせいなんです」
「……佐倉の母親も翠の家族と一緒に亡くなったのか」
そう独り言のように呟くだけ。
お兄さんはなぜか腕を離しません。
体ごと抜けようと、もぞもぞ身をよじりますが、お兄さんは僕をひょいと持ち上げると抱えたまま廊下に座り込んでしまいました。
あぐらをかいたお兄さんの足の上に横向きに座らされます。
僕の頭に手をあてがい、ことりと胸に頬を預けさせます。
そして、髪をゆっくりとすくように撫で始めます。
いつもは撫でられたらぽかぽか心が温かくなるのに、……苦しいな。
まだまだ話せってことでしょうか。
……醜い僕のしでかした罪をお兄さんにさらけ出せば。
お兄さんから、この手を離してもらえる。
「僕、妊娠中つわりで寝込むお母さんに、構って欲しくて発作がひどいフリをしたんです。わざわざお母さんが病院行く日に。そうしたら、お母さんもお父さんも僕にかかりきりになるから、お母さんも病院行けなくなるって考えて。でも、伊織くんのお母さんがお母さんを病院に送って行くってことになって、信号待ち中に居眠り運転のトラックが……2人とも、赤ちゃんも亡くなって」
あの時、未来の弟に嫉妬しないで少し咳が出てきたくらい我慢して、お母さん達と病院へ行けば良かったんです。
それに、少し考えれば分かることだったのに。
お母さんだけで病院に行くことも。
隣に住む伊織くんのお母さんが、お母さんの病院に付き添うことも。
伊織くんの家族からお母さんを奪うことも。
お父さんから、赤ちゃんとお母さんを奪うこともなかったのに。
自分勝手なお母さんを取られたくないっていう『わがまま』で、皆の大切な家族を奪った。
お母さんが病院に行くたびに豆みたいな赤ちゃんの写真をとっても幸せそうな笑顔で見せてくれました。
隣でお父さんも同じお顔をしていました。
でも、あの幸せそうなお顔を僕の『わがまま』のせいで永遠に失ってしまった。
普段から発作のせいでただでさえ家族に迷惑をかけている、自分の世話もできずに脆く、弱っちいくせに。
「……翠」
「だから、皆を傷つける、不幸にするくらいなら、わがままは言わない。そう決めたんです。伊織くんを不幸にした僕ができる罪滅ぼしはそんなことくらいしかないから。
ごめんなさい。わかっているんです。伊織くんのお母さんや僕のお母さんや赤ちゃんが亡くなるより、自分勝手なくせに脆い体で皆に迷惑しかかけられない『わがまま』な僕のほうが死⸺」
続きを言えません。物理的な理由でです。
ぶちゅっと頬を片手でつままれ、強引に上を向かされたからです。
吐息がかかるくらい近くにお兄さんの顔が近づきました。
真摯な眼差しの奥は怒りや悲しみに翳る。
頬へ両手が添えられます。
「…………」
優しい指先が両目尻に残る涙を拭い去る。
見つめ合う僕達の間を埋めるバチバチと窓を打つ音と互いの呼吸音。
真正面の漆黒の瞳はただただ優しい。
やがて、痛いほどの沈黙を破るため、端正な唇は動きました。
11
あなたにおすすめの小説
銀狼様とのスローライフ
八百屋 成美
BL
激務に心身を病み、逃げるように田舎へ移り住んだ佐伯湊。
ある雨の日、彼は庭先で銀色に輝く巨大な狼を拾う。
それは、人間に追われ傷ついた神獣、リュカだった。
傷の手当てをきっかけに、湊の家に居座ることになったリュカ。
尊大で俺様な態度とは裏腹に、彼は湊が作ったご飯を美味しそうに食べ、寒い夜にはその温かい毛並みで湊を包み込んでくれる。
孤独だった湊の心は、リュカの無償の愛によって次第に満たされていく。
しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。
元アイドルは現役アイドルに愛される
陽
BL
人気アイドルグループのエースだった奏多は事故により脚を怪我し、グループを脱退する。エースの抜けたグループの人気はみるみる下落し、そのまま解散。そのことに責任と罪悪感を感じた奏多は芸能界の表舞台から引退し、正体不明の作曲家Kとして裏で支えることに。
罪悪感からご飯を食べなくなった奏多の肌は痩せこけ、青白くかつての輝きはなくなっていた。
ある日の打ち合わせでかつてのグループメンバーである颯真と再会する。
メガネとマスクをしているがかつてのメンバーのことは騙せない。
『奏多、会いたかった』
『僕、奏多さんのパフォーマンスを見て、人生変わったんです!』
やけに自分に懐いているワンコ系の後輩リオと、かつてのグループのメンバー颯真に受け止めきれない愛を向けられる話。
【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。
明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。
新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。
しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…?
冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる