31 / 48
31.話して良かったです
しおりを挟む「翠は可愛い。はい。復唱」
「へ?」
至近距離にある形が良い唇は動くたびに吐息をかけます。
よくわからないことを言いながら。
「復唱。翠は可愛い」
「ぼくは…………可愛いい?」
捕らえるような強い視線に操られ、なぞるように口を動かします。
こんな恥ずかしいことをなぜ言わされているんでしょう。
泣き過ぎてぼんやりした頭ではわかりません。
「翠は悪くない。ん。復唱」
「ぼくは……悪くない」
お兄さんの揺るぎない声に導かれるように唇を動かします。
なぜか胸の奥深くのどろりとした澱のようなものが減っていく。
ぽろぽろ落ち続ける涙が止まる。
瞬きで頬へ雫が滑り落ちます。
ずっとぼやけていた視界には優しく微笑むお兄さん。
優しく弧を描く唇が、沁み込ませるよう丁寧に1音1音声に出す。
「翠は生きていい。ん。復唱」
唇が、喉が、震えて。声が出せません。
この言葉を口にするとすべてが変わってしまう。
漠然とした恐怖に駆られる。
お兄さんの親指が、する、と下唇をあやすようにように撫でます。
撫でられたところから震えが止まり、こわばりがほどけていく。
ふと、この指先になら変えられても構わない、と。
心のベクトルが変えられる。
「ぼく……は……生き……ていい?」
「そうだよ」
もつれる舌を必死に動かし、紡いだ言葉。
ほとんど言葉の形を成さないそれを拾い上げ、お兄さんは僕と額をコツン、と合わせます。
「俺は翠に出会えてすっげぇ嬉しい」
切れ長の瞳を蕩けたようにふわりとたわませました。
包まれるような甘さと温もりを含んだ優しい笑顔。
真正面かつ至近距離から見てしまったからなのか。
冷えきった心の奥深くまで、力強い温もりに満ち足りていきます。
沈み込んだ恐怖や迷い、罪悪感を固めたような澱が、不思議とその温もりに溶ける。
嬉しくて、目の奥が熱いです。
でも、涙はでてきません。
もしかして、嬉しすぎたり悲しすぎたりする激しい感情には、ひとって体の反応が追いつかないのかも。
僕にはそれだけお兄さんの言葉が嬉しかったんです。
顔を離したお兄さんは真っ直ぐ僕を見つめる。
「それにな、俺から言わせれば翠の抱える罪悪感は独りよがりだよ。虚しい苛立ちをぶつけることもできず、どうしたらいいのかわからないから。勝手に自分のなかで理由を作り出して、自分を責めているだけなんじゃね。
たしかに、自分のなかに理由があれば、事故で喪った大切な家族に対するやるせない無力感はごまかせるけどな、本当にそれで良いのか?」
「……で、も……」
「どうしようもない戻らない過去に対して、自分を責めるのは間違いなんだよ。自分を責め続けたところで反省や罪滅ぼしにもならない」
お兄さんは静かな怒りを潜ませた低い声できっぱり言い切った。
「…………」
突きつけるような強い怒りを含ませた言葉に、喉がひくっと震える。
「本当は気づいてんだろ? 誰もそんなこと望んでいない。佐倉伊織や翠のお母さんも絶対に。
世の中どうしたってままならないこともあるんだよ。ままならないことを受け入れるのは辛い。
でも、翠なら出来る」
「僕……なら?」
未だに頬を包む大きな手に手を重ねます。
「うん。絶対に出来る。だから、これまで翠が押さえ込んじまった気持ちや想いを、これからはどんな小さなもんでもわがままさえ見つけてやって欲しい」
俺も翠の気持ちを大切にしてやりたいよ、とお兄さんは笑いました。
温もりに包まれるような笑顔で。
ああ、話して良かった。
最初は自分の醜い過去を話してしまえば、幻滅され軽蔑され、お兄さんから離れていってくれると思いました。
このままだと僕はもっと欲深く、わがままを言い出すだろうから。
もう諦めて捨てて、戒めるために。
でも、真っ直ぐ受け止めてくれました。
それだけじゃない。眩しい言葉を力強く手渡してくれました。
一人で抱えこんだくせに、胸が重くて苦しくて、息を吐き出すのも吸うのも苦しかった。
本当は誰かに話したかったのかも知れない。
心の奥の奥深い部分では、あの日から囚われる自責の念から救われたいと願い求めていたんですね。ずっと。
だから、誰にも、伊織くんにもお父さんにも話せないことをお兄さんに話したのかも。
「お兄さんに話を聞いてもらえて、話せて良かったです。ありがとうございます」
もっと感謝の気持ちをこめたいけれど、言葉にならないです。
それでも、口元も目元もふにゃふにゃなこの笑顔で伝えられたらいいな、と思いました。
20
あなたにおすすめの小説
キスの仕方がわかりません
慶野るちる
BL
全寮制男子校に入学した市原はクラス委員長になったため書類を提出しに生徒会室に行くと、そこに一人いた、初対面の副会長の近藤に襲われてしまう。
混乱するも相部屋の同級生・松川に助けられて元気を取り戻したある日、生徒会長の桜野から仕事を手伝って欲しいと依頼される。
最初は近藤に無視されていたが手伝う中で近藤から告白され、近藤への印象が少しずつ変わっていく市原だが。
表紙:Photo by Markus Spiske on Unsplash / powered by かんたん表紙メーカー様
銀狼様とのスローライフ
八百屋 成美
BL
激務に心身を病み、逃げるように田舎へ移り住んだ佐伯湊。
ある雨の日、彼は庭先で銀色に輝く巨大な狼を拾う。
それは、人間に追われ傷ついた神獣、リュカだった。
傷の手当てをきっかけに、湊の家に居座ることになったリュカ。
尊大で俺様な態度とは裏腹に、彼は湊が作ったご飯を美味しそうに食べ、寒い夜にはその温かい毛並みで湊を包み込んでくれる。
孤独だった湊の心は、リュカの無償の愛によって次第に満たされていく。
しかし、平穏な日々は長くは続かなかった。
バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?
cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき)
ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。
「そうだ、バイトをしよう!」
一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。
教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった!
なんで元カレがここにいるんだよ!
俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。
「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」
「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」
なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ!
もう一度期待したら、また傷つく?
あの時、俺たちが別れた本当の理由は──?
「そろそろ我慢の限界かも」
30歳まで独身だったので男と結婚することになった
あかべこ
BL
※未完
4年前、酒の席で学生時代からの友人のオリヴァーと「30歳まで独身だったら結婚するか?」と持ちかけた冒険者のエドウィン。そして4年後のオリヴァーの誕生日、エドウィンはその約束の履行を求められてしまう。
キラキラしくて頭いいイケメン貴族×ちょっと薄暗い過去持ち平凡冒険者
元アイドルは現役アイドルに愛される
陽
BL
人気アイドルグループのエースだった奏多は事故により脚を怪我し、グループを脱退する。エースの抜けたグループの人気はみるみる下落し、そのまま解散。そのことに責任と罪悪感を感じた奏多は芸能界の表舞台から引退し、正体不明の作曲家Kとして裏で支えることに。
罪悪感からご飯を食べなくなった奏多の肌は痩せこけ、青白くかつての輝きはなくなっていた。
ある日の打ち合わせでかつてのグループメンバーである颯真と再会する。
メガネとマスクをしているがかつてのメンバーのことは騙せない。
『奏多、会いたかった』
『僕、奏多さんのパフォーマンスを見て、人生変わったんです!』
やけに自分に懐いているワンコ系の後輩リオと、かつてのグループのメンバー颯真に受け止めきれない愛を向けられる話。
【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。
明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。
新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。
しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…?
冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる