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四章 魔法教師

二十三話

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 馬車はすっかり高くまで昇ってしまい、雲間を翔けていた。いつかフィリムと話したペガサスが現実のものとなってしまったのである。

 下を覗けば地面は霞んでいる。足がすくむし、恐怖は消えなかったが爽快でもある。魔法はやはりすごい。夢を見ているようだ。

 そんな中でも、染み付いてしまった職業病だろうか。これを馬の力だけで実現できないかとつい考えてしまう。魔王先生が使った飛翔魔法を馬が使えたら? どうにか配合で作れるのではなかろうかと。

 凄まじいスピードで進んでいた馬車は、高度を下げ始めた。左右を雲がめくるめく流れていき、目の前の霞が解け切ったとき、目下には見慣れたホルンメランの街並みが現れた。

「もう到着ですよ。便利でしょう? 今度お教えしましょうか? 」

「ホントすごいですね。ですが先生、僕には魔力なんてありませんから。」

「分かりませんよ、やってみなきゃ。世界征服できるくらいの才能があるかも知れませんよ。ハハハ。」

魔王ジョークだろうか。この見た目で言われると冗談に聞こえないから怖い。

 

 馬車はホルンメランに急降下した。気圧で耳がちょっと痛い。やがて馬車はそのまま大通りに着陸した。

 大通りはいつも通り人が多く、僕たちの馬車もその分人目についた。みんな僕たちに群がってきている。空から馬車が降ってきたのだから面白がるのも当たり前だ。

 車夫は群がる人々に焦ったらしく、鞭を一発、全速力で官庁へと馬車を走らせた。随分と注目を集めてしまったから、後からアイラに詰められるだろうな。

 官庁に入っても大変だった。魔王先生は見た目が見た目だから、どうしても誤解を受ける。官吏の僕がいたからよかったものの、彼だけではパッと見侵略である。

 受付嬢はパニックを起こすことこそなかったものの、明らかに引いていた。

「あ、ああ。首長室ですね。今繋ぎます。」

その場で内線をつなげばいいのに、彼女は奥に行ってから首長室に繋いだ。だがその会話はこちらまで聞こえてきた。

「あの、もしもしジョシュア伯。生物開発課のタイセイさんが巨大な魔族の人を連れてきたんですけれど。」

「ああ、そうなの。通してちょうだい。」

「え、いや、いいんですか? 魔族の方ですけれど、その……」

「どうしたのよ? 煮え切らないわね。」

「なんといいますか……禍々しいといいますか恐ろしいといいますか。」

「ダメよ、人を見た目で判断しちゃ。いいから通しなさい。」

もうちょっと声を抑えてくれよ。僕にも先生にも丸聞こえじゃないか。先生が怒っているんじゃないかと、ヒヤッとして横を見ると、あら意外。口を大きく開けて笑っていた。いや、それはそれで恐いのだけれど。

「気分を害されないんですか、先生? 」

「いえいえ、元の世界にいたときはむしろそう思われるのが仕事でしたから。」

ああそうか。この人の感覚は普通の人とは違うのだ。ともかく怒ってないならよかった。

 魔王先生は身を屈めながらエレベーターに乗った。エレベーターガールは終始先生に怯え、先生も先生で窮屈にしてしまっていることを何度もガールに謝っていた。

 首長室の扉がいつもよりも小さく見えた。足音が聞こえたようで、ノックする前に中から「入って」と聞こえてきた。

 アイラも、やはり魔王先生の姿に驚いているようだった。

「あらあら、あなたが魔族の先生ね。」

「はじめまして首長さん。」

 僕は出張の報告と、その結果として連れてきた魔王先生の紹介を軽くアイラにした。

「へえ、それじゃあ確かに魔法を覚えた人の子よりもこっちの先生が事の発端なわけね。」

アイラはまじまじと魔王先生を見つめた。全く物怖じしないところがさすがだ。

「で、タイセイがホルンメランで魔法を教えるように勧めたわけね。勝手なこと言っちゃって。」

勢いで言ったものの、よくよく考えれば彼女の言う通り、僕には何の権限も無かった。

「ちゃんとこっちで面接させてもらうわよ。ホルンメランで働いてもらうかどうかはそのあと。」

あれ、一応オッケーな流れか? 

「え、いいのかい? 」

「そりゃあ魔法教えられる人なんて欲しいに決まってるじゃない。問題が無かったらもちろん採用よ。」

「ち、ちょっと待ってください。」

魔王先生が会話を遮った。

「僕はまだ決めてないんですよ。ここに越してくるかどうかを。」

「何か不満でもあるのかしら? 」

「いえいえ。ただ余は向こうにも学校を残してあります。教え子もいます。それを全て放っては……」

無視はできない問題だな。ただアイラは全く問題にはしていないよう。

「それならそこの集落からホルンメランまで通えるようにすればいいじゃない。」

魔王先生は目を丸くした。

「だってあなたたち、今さっき凄い速さで戻ってきてたじゃない。見てたのよ、そこの窓から。」

「しかし、あれは余がいないと……」

「似たようなのを作ればいいじゃない。そこのタイセイがやってくれるわよ。」

突然僕に振られた。こいつ、この前のギルドの件をダシに僕を徹底的にこき使う気だ。

「何を突然ムチャなことを。」

「やれるでしょう。泥の上を走れる馬が作れたんだから今度は空よ。そもそもあなたの蒔いた種なんだからね、タイセイ。」

痛いところを突く。くそ。勢いで言い出しただけに引っ込みがつかないじゃないか。

「分かったよ。いつになるかは分からないけど。」

「四十日以内よ。」

「おいおい、せめて六十日はいるよ。」

「いや、四十日でお願い。」

「…………分かったよ。」

僕が折れたのをみてアイラは満足そうに笑っていた。

「だそうよ、先生。それだったらいいわよね? 」

当の魔王先生が一番置いていかれているが、彼は呆気にとられながらも頷いた。

 アイラは魔王先生の前に紙を出した。

「これを書いてちょうだいね。」

横から覗くと、紙には空欄が多く並んでいた。氏名……年齢……住所……経歴……これエントリーシートじゃないか!

「あれ、僕のときはこんなのなかったじゃないか。」

「だってあなたは元からホルンメランに籍を置いてるじゃない。身元がはっきりしてたから要らなかったのよ。」

生まれはホルンメランじゃないんだけどな。魔王先生は黙々とエントリーシートの欄を埋めていった。

 全て書き終えた先生はエントリーシートをアイラに渡した。

「名前はバーザム・クライ・カタストロフィ。長い名前ね。」

いや、人の名前に長いとか言うなよ。自分もまあまあ長い名前してるくせに。

「年齢は816歳ね。わお、私の四十倍以上生きてるじゃない。」

いやマジかよ。話し方からして僕と同じくらいの歳だと思ってたぞ。超大先輩じゃないか。

「住所はリベーム集落。略歴は……何これ、魔王? 」

まあそうなるよな。

「ええ、余はリベーム集落に来るまではずっと魔王をしておりました。」

「ふーん、まあなんでもいいや。」

いいのかよ。

「まあ特段気になる点はなかったわね。」

あっただろ、大量に。だからといって魔王先生の何がダメというわけでもないのだが。

「採用よ、おめでとう。学校を作ってあげるわ。」

大胆なことを言う。貴族はみんなこうなのか?

「あ、ありがとうございます。」

魔王先生も信じられないという顔だ。でも大丈夫、本当に作っちゃうだろうから。

 アイラは魔王先生に、詳しい業務の内容は追って通達すると伝えると、今度は僕の方を向いた。

「さて、ここからがあなたの仕事よ。集落の子供たちがホルンメランにできる学校に通うための空飛ぶ乗り物を作ってちょうだい。言っとくけど四十日は絶対譲歩しないからね。」

結局僕の一人損じゃないか。魔王先生も僕を期待の目で見てくるし。やらないわけにはいかないか……。




 アイラがこのあと会議を控えているというので、僕と先生は退室した。

「いやあ、なかなかいい人でしたね、ジョシュア伯。」

あれがいい人って、いい人のハードル低すぎないか。

 僕たちがエレベーターに乗ろうと待っていると、ちょうど上がって来たところだった。扉が開くと……アイラにこき使われているもう一人が出てきた。ピオーネは片手に紙袋を持っていた。彼女は魔王先生を見るなり

「魔物か! 」

と、警戒姿勢をとった。対して魔王先生は冷静だった。

「魔物じゃないですよ、魔王です。」

「なんだと! 」

弁明になってないよ先生。

 ピオーネは完全に誤解してしまっていた。だが彼女は聡明なので、ゆっくりと説明したらすぐに理解してくれた。

 落ち着いたピオーネは

「ああ! すいませんタイセイさん。私は早くこの限定ドーナツを首長閣下に届かなくては! 」

そう言って首長室まで駆けて行ってしまった。どうやらパシリの途中だったらしい。

 魔王先生が「もう余は大丈夫です。」というので、僕は彼と官庁の入り口で別れた。一人の帰路の足取りは決して軽くはなかった。

 明日からまた難題だ。どうしたことか。とりあえずはライアンくんと兵士くんに話さないとな。彼らは暇そうにしてたから逆に喜ぶのかな。

 そんなことを一人で考えながら自宅前まで帰ってくると、大きな影があった。

「あれ、タイセイさんじゃないですか。奇遇ですね。」

魔王先生だった。どういうことだろうか。

「あれれ、どうしてここにいるんですか? 」

「さっきこちらでの住所を決めてきたんですけどね。紹介されたのがここだったわけですよ。」

そう言って先生は僕の隣の家を指さした。

「そういうタイセイさんこそどうしてここへ? 」

ちょっと気が重かったが、僕は隣に住んでいることを話した。

「なんと! 本当に奇遇ですな。心強いですよ、助かりました! それではどうぞ、これからよろしくお願いします。」

魔王先生はしばらくの間、僕の手を強く握り続けた。
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