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大エレヅ帝国編
うわべの語らい
しおりを挟む帝都を出発してほどなく。初めてわたしは<アザー>という生き物に遭遇していた。
「エイコは隠れてろ!」
そうわたしに言いつけて、ウラヌスとオージェは抜き身の剣を手にアザーの両側から群れを引き離すように駆けて行く。
二人の間には真夜中の空のような色の、大熊ぐらいある体躯の生き物がいる。毛の間から伸びる乳白色の四つ脚は骨みたいな質感に見えた。足先になる程に細くアンバランスで、見た目通り動きがぎこちない。
そして顔に、白い仮面を被っている。
何の表情もうかがえない、人の顔をした仮面を。
気味の悪い生き物だった。でも二人には少しも怯んだ様子がなく、果敢にアザーへ斬り込んでいく。
「うへぇ、どこのアザーも不気味だな~!」
文句を言いながらもオージェの手は止まらない。
ウラヌスも一体ずつ着々と片付けていたけれど、突進や脚を蹴り上げる攻撃を繰り返していたアザーの内、一体がふいにその場に留まる。そして振り子のように首を振り始めると、軀の周囲を緑の光が風のように吹き荒んだ。
(何をする気なの…!?)
岩場に隠れていても気が気じゃなくて、緊張に生唾を飲む。
揺れる首がカチリと嵌るように停止する。次の瞬間、数多の刃のような風がウラヌスを襲った。
「ウラヌス!」
彼が頭を剣で庇う。そして今度はウラヌスが剣を握らない手をアザーに差し出した。
力むようにわずかに震える手先。その周りの空気が、紫の光と共にパチリと弾けたかと思うと、その衝撃は次々と連鎖しながら規模を増していく。
あれは、電撃だ。紫の光が彼を覆い、衣服を、髪を、逆立てていく。
「落ちろ!」
響き渡る彼の一声の直後、手が振り下ろされると共に落ちた紫電が、大きな破裂音を伴ってアザーを焼いた。
「やるなら言ってちょーだいよ。タイミング合わせたのに」
「すまん、もういいかと思った」
「自信家~」
オージェの気怠げに囃し立てる独特な物言い。アザーの半分を倒し、自分のノルマは終わったとばかりに戦いをやめたウラヌスを尻目に、今度は彼が手に力を込め始めた。
薄青の光と共に、無からこぼれ出したような勢いで水の塊が現れる。見えない球体があるように、一定の形を保ちながらたゆんと揺れるそれは渦巻いていく。
「そぉれ、呑まれろ!」
急激に水量を増した水が、アザーの周囲に移った。まるで渦潮だ。
(魔法!? この世界ってやっぱり魔法があるの!?)
わたしを癒してくれた力も不思議だった。元の世界じゃありえない現象に目を見開く。
そうしてあっという間にアザーを制圧してしまった二人は、何食わぬ顔で納刀した。
「怪我はないな? エイコ」
「う、うん」
もう倒されてるって分かっていても不安で、警戒しつつウラヌス達のもとへ戻る。
アザー達の無機質な仮面の下が気になったけれど……見るのは怖くて目を背けた。そしてウラヌスの側に寄って腕に寄り添う。
「今の力は? 電撃や水が出た。痛いのを治してくれたのも……」
「星術だ。人とアザーなら基本的に誰でも使える。威力や属性の得て不得手はそれぞれだがな」
「ウラヌスは雷が、オージェは水が得意なの?」
「そうだ。だが、エステレア人は大体そうだな。エレヅ人なら炎と風が得意な者が多い。エイコも使えるか試してみるか?」
「え…! 使えるかもしれないの!?」
「どうかな。やってごらん」
彼がわたしの手を取って、手のひらを上に向けさせる。
異世界から来たわたしがあんな力を扱えるのかな。疑問に思ったけれど、もしかしたらってどうしても期待してしまう。
「手に集中して。何でも良い、何かエネルギーが生まれる想像をするんだ」
「エイコ頑張れ~!」
言われたように手に意識を集中する。さっき二人がしてみせたように何か生まれないかとイメージを膨らませた。
けれど、どれだけ願っても小さな光一つ現れない。
「込み上げてくる感覚はあるか?」
「……ない」
「何か違和感は、どーお?」
「ない……」
「……そうか」
ウラヌスの静かな返しに不安になる。これは、異常な事なのかな。
「星術が使えないって、おかしい? だめ?」
か細い問い掛けに彼は優しく微笑って、わたしの頭を一撫でした。
「いいや。基本的にって言っただろう? 少数だが使えない者はいる。ただ……使えない事は誰にも言ってはいけないよ。いいかい?」
「……どうして?」
「珍しい者は目立つ。君の安全の為だ」
わたしが目立つことで起きる、何を危惧しているのかな。ウラヌスはわたしが逃げて来たことを知らないのに。
気になったけれど黙って頷く。彼がそう言うならそうなのだろうと思って。
まだ一緒にいた時間はそれ程じゃないのに、この世界に来た最初が酷かったせいか、ウラヌスの事はもうすっかり信用してしまっていた。
「分かった。言わない」
我ながら無防備な雛鳥みたいに<与えられるもの>を全て受け入れていると思ったけど。今はただ、独りで心細かったところに王子様みたいに現れた彼に見放されたくなくて必死だった。
「エイコ、素直過ぎてオレ心配……」
でも、オージェにそう言われて少しだけ恥ずかしかった。
休憩を挟みながら歩き続けることしばらく。
帝都を出発した時には高かった日はすっかり暮れ、夕映えに浮かび上がる小さな村にわたし達は到着した。
クラシカルながらも都会的だった帝都とは大きく変わり、素朴な家々が建ち並ぶ。赤い陽に照らされる穀倉と、主人に連れられ帰って行く家畜が牧歌的な雰囲気を醸し出していた。
村の入り口では門と一体化した手作りの温もりある看板が訪れたわたし達を迎える。
「今から宿が空いてるとい~けど。お、良い匂い。夕食の時間だな」
「ほんとだ。香ばしい匂いがするね」
オージェと二人して匂いの方へ顔を向けた。そこには他の家屋よりやや大きい建物がある。深緑の屋根に焦茶のレンガ。立て看板には読めない字が書かれていた。
(よ、読めない…。そういえば当たり前に言葉は通じたけど、字は読めないってことは、わたし、今違う言葉を話してるのかな?)
この世界にとっての当たり前が出来たり、出来なかったりしている。字は勉強すれば覚えられるのかな。でも、そうまでする意味はあるのかな、なんて。
「……エイコー?」
「……あ……」
「ま~た悩んでた?」
つい思考があらぬところへ飛んでしまうのはわたしの悪い癖だ。また動きが止まっていた。焦って、笑顔で誤魔化そうとするわたしをオージェは訝しそうに見る。
でもそれは長くは続かなかった。
村の帰路につく人達が、擦れ違いざまに噂を流していく。
「アザーの暴走、もう収まったかな? まったく迷惑な事だ」
「最近多いな。バディオンの警戒線の中とはいえ、ここに兵士様の常駐はないし、襲われたらどうしようもないぜ」
「帝都から近いのが幸いだよな。殿下の飛竜隊ならきっとひとっ飛びで駆けつけてくださる」
飛竜隊……きっと映像で見たあの隊の事だ。
(ひとっ飛びで駆けつけて……)
緋竜が群れを成して向かって来る光景が浮かぶ。その中心にいるのは、あの男。
(ローダー皇子)
いつかかるとも知らない追っ手。わたしにとっては怖いだけのあの人が、帝都やこの村の人達にとっては頼りになるらしい。立場が変われば見方は変わる。
なら、わたしにとっては希望の象徴であるエステレアの皇子様は、エレヅの人達にはどう映っているのかな。
迂闊に話題にしない方が良いのかもしれない。そう思った。
「早く宿に行こう」
ウラヌスの促す声に、オージェとわたしは頷いて彼の後に続く。あの深緑の屋根が宿らしく、ウラヌスの足取りはそこへ向かう。中では人好きのする笑顔を浮かべた女主人さんが迎えてくれた。
「一部屋で良かったら空いてるよ」
「良い。一泊で夕食も付けてくれ」
「はいよ。お兄さん達、旅行客かい? そちらのお嬢さんはエステレア人じゃなさそうだけど……」
彼女の視線がわたしに向く。決して探ったり、訝しむようなものではなかったけれど。あまり顔を見られたくなくて俯いた。その前におもむろにウラヌスの脚が来たのを見る。
「ああ。異国の血が入っていてな。でもおれの親戚さ。……少々恥ずかしがり屋なんだ」
「そうかい。そりゃあ不躾に見てすまなかったね。ごめんよ」
「いいえ…」
優しい声に頭を振る。エレヅの人だからって、みんなが怖い人な訳じゃない。分かっていてもお城の出来事がよみがえって、どこであの人達と繋がるか分からないと思うと……温かさを素直に受けられない自分が悲しかった。
固まるわたしの肩をウラヌスが抱いて、部屋に促される。オージェはその場に留まり別行動を申し出た。
「オレは先に買い出しに行って来るねぇ。マダム、今からでも空いてそうな旅支度整えられる店ってある?」
「そろそろ閉店間際かねぇ。どこでも今すぐ行けばギリギリ間に合うんじゃないかい」
「マジ! 行って来るー!」
「頼んだ!」
明日じゃ、駄目なのかな。
そう思ったけど口には出さなかった。何となく……聞いてもしっくりくる理由は返ってこない気がした。
オージェが帰って来たのはそれからしばらくして。小さい村だからか、思ったより早かった。
「ただいま~バッチリ買い物して来たよ。エイコ寂しかった? ごめんねぇ」
「うん」
「素直ね……」
「助かったオージェ。支度は後にして、ひとまず食事にしよう」
通されたのはツインベッドの広いとはいえない部屋。でも木で作られた調度品は素朴ながら温かみがあって、壁に掛けられた風景画や花のリースが華やかさも出している素敵な部屋だった。
描かれているのはゆったりと雄大な運河。エレヅのどこかなのかな。豊かで美しい光景だ。
ベッドの足元側には丸テーブルが備え付けられ、その上に運んだ夕食が並ぶ。
温かいスープとサラダにパン、メインはお肉料理。添えられる野菜は見た事があるようで、口に入れると違う触感に頭が混乱する。でも美味しい。
「このホクホクしたお野菜、もしかして帝都でも食べた?」
「お、そうだ。ランパ芋といって、エレヅ大陸でもよく育つ強い品種なんだ。美味いだろう?」
「うん。でもエレヅ大陸でもって…エレヅは作物が育ちにくいの?」
「昔は豊かだったらしいンだけどね~……徐々に水源が干上がってきてるって。このランパ芋はぁ、地上の棚でお日様の光を一番の栄養に、ちょっとの水で育つよ。星話にも出てくるし」
「星話?」
「この世界の主、星のお話だよ。ロマンチックだね」
「それじゃ何も分からないぞ……」
ウラヌスが呆れた表情でオージェを見る。わたしはウラヌスに助けを求めて見つめると、気を取り直した様子で教えてくれた。
「この世界を創ったと伝わる創造主、それが<星>だ。星は信仰の対象として世界中で崇められている。その星に纏わるいくつかの話が<星話>。ランパ芋は太古の時代、地上が飢饉に苦しんだ時、星が地上に生み落とした救いの食料だと伝わる。全ての生き物はこの芋を食べて飢えを凌ぎ、滅びを回避したらしい」
「へぇ……。じゃあ、いっぱい助けてくれる特別な食べ物なんだね。もしかして<星術>も星が関係するの?」
「その通り。エイコは察しが良いな」
「えへ……」
褒められてうれしくなるわたし。顔を緩ませながら芋を口に含んだ。
「エイコがいると旅が華やかで幸せ~」
旅の詳しい目的とか、お互いの素性に繋がる事とか。二人はそういうのはあんまり話さないって、薄っすら気付いてきた。わたしも話せないから訊かない。訊いて関係が変わったらと思うと、怖い。
『おれ達も人を探していてな』
どんな理由か知らないけれど、少なくとも怒りとか憎しみとかそんな感じの物言いじゃなかった。むしろーー大切な存在のこと、みたいな声色で。
ウラヌスとオージェに探されてるその人が少し羨ましい。
(エステレアの皇子様は、どうしてわたしを探してくれるんだろう)
会ったこともないのに。わたしの事で、わたしの知らないところでいろんな人が勝手に動いてる。そもそもわたし、どうして呼ばれたんだろう。
でも考えても分からないから今は食事を楽しむだけ。
こうしている今、まさにわたしの知らないところでまた事が動いていたなんてーー知る由もなかった。
応援ありがとうございます!
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